🟨①他人に伝えたいという気持ちが自分にはない【伝えたいということは苦しみを抜いてあげたいという気持ち・人の苦しみを我が事のように感じる・中道を実践していく】【令和6年6月17日】
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🟥https://youtu.be/i-dkS3izspE?si=ysGgojvy3ux3E0mK

【質問】

自分には他人に仏法を伝えたいという気持ちがない。

【回答】

仏法を伝える、仏法を伝えたいという気持ちがないのが、普通だと思います。
多くの人が、例えば、親鸞会とかでは、仏法を伝えたいという気持ちでやっていくのは、名誉欲でやっているので、その方が価値のある人間だと周りから、見て貰えるから、やっています。

本当に伝えたいと思っている人は、少ないです。そこまで心が成長していないのです。
苦しみを抜いてあげたいと思うということは、当然の如く、人の苦しみをわが事の如くのように感じる心があるということです。
人のために苦しむという経験がある、ということです。

伝えたいという気持ちになるには、仏法を伝えたいという気持ちは、苦しみを抜いてあげたい!という気持ちなのです。

私達には、色んな段階があります。【四禅】

まず最初は、私達は時間があると欲に流れる。欲に流れることが楽しいと思って、時間があると欲に流れていくのが私達です。

そういう人は、欲に流れることによって心が不安になる。不安になって、不安を誤魔化すために、また欲に流れる。

🟨私はそうなのですか?

欲に流れる人は苦しみが多いから、あなたは違うと思います。

次は、中道を実践する段階なのです。中道とは、自分の生活がどんなに忙しくても、心の中に余裕を常に保っておくことをする段階です。

自分の心の中で一杯になる。心の中にいつも自分を見続けるだけの余裕を保ち続けておく、ということです。

今はこの段階です。心に余裕を作って、自分の心を見つめていく段階ではない。
だから、中道とは、自己の確立ということです。自己の確立が出来ていないから、利他に心を向けることがないのです。

自分のことで精一杯、自分のことしかない、ということは、すぐに自分のことで頭が精一杯になる。
自分のこと以外に心に空洞をあけておくことが出来ていない。

例えは、家の中で部屋があるとする。使っているものだけにする。
本当に使っているものだけにする。そして空間をあけておく癖をつける。

整理をして、常に空間をあけておく訓練をする。空間があると、それを積めようとするのか?
それとも、あけたままに出来ておれるのか?

🟨私は同じ年代の人と比べても、服は少ないと思います。

先ずは自分の身の周りで本当に使っているものだけにする。空間をあける訓練をする。

やって、捨てられないものがあったとしたら、倉庫とか押し入れに、ぎゅうぎゅう詰めにしておく。
実際に使っている場所に空間を作る。どうしても捨てられないものがあると思います。着ない、それは滅多に行かない場所に入れておく。

🟨それぐらいなら、出来ます。

いつも使っている場所が、いつもある程度、空間が空いている状態にする。
それが心に余裕を作ることになります。その余裕を余裕のままにしておく訓練が中道です。
今は、余裕があると自分のものを入れてしまう。この状態では、人に伝えたいとは思わない。
自分の頭の中は、自分のことで一杯になっているから。

自分の部屋があるとすると、部屋の棚には本当に使うものだけを置いて、空間をあけておく。

🟨確かに空間はないです。

空間があくと、その空間に初めて人が入る。とにかく中道とは、空間をあけておくこと。
あけておけば、自分に余裕が出来る。いつも自分に余裕がある状態になる。余裕がある状態があると、人はその余裕を奪ってくる。
余裕があると、これやって、あれやって、話を聞いて、とかなる。

🟨他人に伝えたい人は、それが出来ているのですか?

本当に伝えたい人は、中道が出来ていて、三番目、人に時間とか労力を奪われるのですが、その奪われた労力に対して、執着しないようになる。
だから、余裕をあけておかないと、その余裕を使おうという人がいない。だから、自分だけの世界になる。自分一人の世界になる。

三番目が本当に実践出来たら、気にならなくなります。人の評価が気になるのは、人が離れていくのが怖いからです。
でも、ここまで、実践すると人は離れないと分かる。ほっておいても人は近づいてくる。

今までは人が来て欲しい。人が近づいてきて欲しいと思っていた。
そのためには、自分に価値がないといけないと思っていた。
だけど人が近づくのは価値があるか、ないかではない。
人が近づくかどうかは、余裕があるかどうかです。

🟨余裕があるかどうかは分かるのですか?

余裕があれば、人はその余裕を奪ってくる。

私はこれが修行だから、嫌だとは思わない。そのために余裕をあけているのですから。

🟨私は二禅ですね。

先ず中道を実践して、人がその余裕に入ってくる。

🟨四禅はどうなのか?

今度は相手は平気で苦しみをぶつけてくるようになる。

🟨本当にそこまでいくと嫌だとは思わなくなるのですか?

嫌だとは思うけど、嫌だという苦しみに対するとらわれをなくす。

苦しみから離れるということは、苦しみをなくすことではなく、苦しんだとしても、とらわれなくなることですから。

🟨とらわれなくなると、その人のことを憎たらしくなくなることですか?

そうそう。人のために苦しんだとしても、あえて人のために苦しんであげる。苦しみを嫌がらない。

🟨考えられません。

ここまでいって、苦しみを抜いてあげたいという気持ちになる。
これが仏法を伝えたいという心ですから。

🟨厳しいですね。

大乗に入るということは、お釈迦様は、35歳で教えを説いていって、45年間、ほんのわずかな人だけが大乗に入った。

先ずは着実に一つずつやっていったら、変わりますから。
先ずは余裕をあけること。そしたら、絶対に人が入ってくる。
空間をあけることによって、空間をあける癖がつく。
人は余裕があると思うと、人は色んなことで甘えてくる。
余裕がある人に人は入ってくるし、人が離れていくという不安がなくなる。
余裕がある状態が当たり前になるようにする。当たり前になったら、その余裕を必ず人は奪ってきます。子供は必ず余裕を奪ってくる。

父の日は、みんなから、やってもらうのではなくて、みんなをおもてなしにする日なのです【笑】

今までは祝ってもらうことを喜んでいた。祝うこと、おもてなしをすることが幸せなのです。

私は、意識が変わってきました。 

🟨確かにそちらの方が幸せのように感じますね。

そうそう。みんなが喜んで一日を過ごせるように施しをする。それが父の日です。
      【終了】