🌎️🌟1️⃣【6月16日(日)午後】名古屋市の清和会館にて初めて御縁を頂きました。
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🔶鶴田義光先生より、親鸞聖人の御手紙『御消息集』について詳しく教えて頂き、感銘しました。
🔷出来たら、講義録をまとめたいなあ、と思います。
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🌎️🟨親鸞聖人『御消息集』に聞く・講義メモ【22】(清和会館・令和六・4月)
🟥◎『親鸞聖人御消息集(善性本)』(二のハ) (『聖典』p589~p590)【正嘉年間、親鸞八十五~八十七歲?多屋賴俊氏の推定】
🔷阿弥陀仏の本願力回向によって仏と成る正因(信心)が与えられることを説き、本願を一心に信ずることを勧める。

🟨安楽浄土に入り果つれば、すなわち、大涅槃をさとるとも、滅度に到るとも申すは、み名こそ変わりたるようなれども、これはみな法身と申す仏となるなり。
🟨法身と申す仏をさとり開くべき正因に、弥陀仏の御誓いを、 法蔵菩薩、われらに回向したまえるを往相の回向と申すなり。
🟨この回向せさせたまえる願を、念仏往生の願とは申すなり。
🟨この念仏往生の願を一向に信じて二心なきを、一向専修と申すなり。
🟨如来の二種の回向と申すことは、この二種の回向の願を信じ、二心なきを、真実の信心と申す。
🟨この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御計らいより、おこりたりと知らせたまうべく候う。あなかしこ、あなかしこ。 
🟩二月廿五日 親鸞 浄信御坊・御返事

✡️【語句の解説と領解】✡️
⭕「いりはつれば」⇒ (入り果つれば)往生を遂げたならば。
🔶「信巻」p250には「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」とある。
⭕「法身と申す仏となる」⇒ 法性法身。色もなく形もない、真理そのものである仏身。
🔷「自然法爾章」(『末燈鈔』p602) では「無上仏にならしめんと誓いたまえるなり」と言われている。

⭕「ふたごころなき」⇒ 如来の本願を疑い、危ぶみ惑う慮りの心がないことをいう。
⭕「この二種の回向の願」⇒ 総じては第十八願「念仏往生の願」をいい、別しては第十七願、十八願、十一願、二十二願をいう。
🔷『如来二種回向文』
🟨p476~p477
「この本願力の回向をもって、如来の回向に二種あり。・・・これは如来の還相回向の御誓いなり」

⭕「浄信御坊」⇒(生没年未詳)『親鸞門弟交名牒』には「七条次郎入道」とあり、洛中居住の弟子として名があるが「高田門徒」と伝えるものもある。

⏺️◎『親鸞聖人御消息集(広本)』(十五)(『聖典』p579~p580)
🌎️※真筆〈正嘉二年、親鸞八十六歳?多屋頼俊氏の推定)
🟩・・・浄信坊よりの質問状を受けて答えられた手紙で、専修寺に真蹟が残っている。
🟩真実信心を獲た人を「如来と等し」と言うのは自力の信心である、と批判する同行の誤りを指摘されている。

🟨尋ね仰せられて候う事、かえすがえす、めでとう候う。
🟨まことの信心をえたる人は、既に仏にならせ給うべき身となりておわします故に、如来と等しき人と経に説かれ侯うなり。
🟨弥勒は未だ、仏になりたまわねども、この度、必ず必ず仏になりたまうべきによりて、弥勒をば、既に弥勒仏と申し候うなり。
🟨その定に、真実信心をえたる人をば、如来と等しと仰せられて候うなり。
🟨また、承信房の弥勒と等しと侯うも、ひが事には候わねども、他力によりて信をえて、喜ぶ心は如来と等しと侯うを、自力なりと侯うらんは、今少し承信房の御心の底のゆきつかぬように聞こえ候うこそ、よくよく御あん候うべくや侯うらん。
🟨自力の心にて、我が身は如来と等しと候うらんは、まことにあしう候うべし。
🟨他力の信心の故に、浄信房の喜ばせ給い侯うらんは、何かは自力にて候うべき。
🟨よくよく御はからい候うべし。
🟨このようは、この人々に詳しく申して候う。
🟨承信の御房といまいらせさせ給うべし。あなかしこ、あなかしこ。
🟩十月廿一日 親鸞 浄信御房御返事

✡️【語句の解説と領解】✡️

⭕「仏にならせ給うべき御み」⇒仏に成られるはずの身。
⭕ 「経」⇒『華厳経』入法界品。
⭕「このたび、かならずかならず仏になりたまうべき」⇒ 今の一生涯を終えた後、必ず仏と成られるはず。
⭕ 「その定に」⇒ それと同じように。
⭕「承信房」⇒ 不詳。
⭕「ひが事」⇒ 心得違いのこと。間違ったこと。
⭕「 承信房の御こころの底のゆきつかぬ」⇒ 承信坊のお考えが行き届いていない。
⭕承信の御房、問い参らせさせ給うべし」⇒(どうかよくご理解の上)承信の御坊をお尋ねになって下さい。

🌟【裏面】
⏹️◎『親鸞聖人御消息集(善性本)』(一のイ) (『聖典』p583~p585) 〈正嘉二年、親鸞八十六歳? 多屋頼俊氏の推定) ・・・
🌎️「如来と等し」の教説を始めとする慶信坊からの質問状に対して、親鸞聖人が加筆訂正を施して、続く(一の口とハ)と共に慶信へ返却したもの。
🌎️〔〕内が親鸞聖人の加筆または訂正(○印)。高田派専修寺に親鸞真筆の原本が残されている。

🟨かしこまりてもうしそうろう
🟨畏申候
🟨『[大無量寿]経』に「信心歓嘉(喜)」と侯う。
🟨[『華厳経』を引きて『浄土] 和讃』にも「信心喜ぶその人を如来と等しと説きたまう 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」と仰せられて候うに、
🟨専修の人の中に、ある人、心得違えて候うやらん、
🟨「信心喜ぶ人を如来と等しと同行達の、のたまうは自力なり。真言にかたよりたり」と申し候うなる。
🟨人のうえを知るべきに侯わねども申し候う。
🟨また「真実信心うる人はすなわち定聚の数の[に]入る不退の位に入りぬれば、必ず滅度をさとらしむ」(大経讃)と候うは、
🟨この度、この身の終わり候わん時、真実信心の行者の心、報土に至り候いなば、
🟨寿命無量を体として、光明無量の徳用、離れたまわざれば、如来の心光に一味なり、
🟨この故「大信心は仏性なり、仏性は、すなわち如来なり」
🟨(涅槃経)と仰せられて候うやらん。
🟨これは、十一・二・三の御誓いと心得られ候う。
🟨罪悪の我等がためにおこしたまえる大悲の御誓いの、めでたく、哀れにまします嬉しさ、心も及ばれず、言葉も絶えて、申し尽くし難き事、限りなく候う。

🟨自無始広[曠劫以来(むしこうごうより、このかた)
🟨過去遠々(おんおん)に、
🟨恒沙の諸仏の出世の所(みもと)にて、
🟨自力の[大]菩提心おこすといえども、
🟨さとり「自力」かなわず、
🟨二尊の御方便に催されまいらせて、雑行雑修・自力疑心の思いなし。
🟨無碍光如来の摂取不捨の御あわれみの故に、疑心なく喜びまいらせて、
🟨一念するに[までの]往生定まりて誓願不思議と心得侯いなんには、聞き見る[侯う]にあかぬ浄土の御[聖]教も、
🟨知識にあいまいらせんと思わんことも、摂取不捨も、信も、念仏も、人のためとおぼえられ候う。
🟨今、師主の教によりて[御教えのゆえ〕心をぬきて御こころ向きをうかがい候うによりて、願意をさとり、直道を求めえて、正しき真実報士にいたり候わんこと、
🟨この度、一念に遂げ候いぬる[聞名にいたるまで]うれしさ御恩のいたり、その上『弥陀経義集』に、おろおろ明らかにおぼえられ候う。
🟨しかるに、世間のそうそうにまぎれて、一時もしは二時・三時、怠るといえども、昼夜に忘れず、
御あわれみを喜ぶ業力ばかりにて、行住座臥に時所の不浄をも嫌わず、一向に金剛の信心ばかりにて、仏恩の深さ、師主の御とく[恩徳]のうれしさ、報謝のために、ただ、み名をとなうるばかりにて、日の所作とせず。
🟨この様、ひがざまにか、候うらん。
🟨一期の大事、ただこれに過ぎたるはなし。
🟨しかるべくは、よくよく細かに仰せを蒙り候わんとて、わずかに思うばかりを記して申し上げ候う。
🟨さては、京に久しく候いしに、そうそうにのみ候いて、心の静かに覚えず侯いし事の嘆かれ候いて、
🟨わざといかにしても、まかりのぼりて、心静かに、せめては五日、御所(おんもと)に候わばやと願い候うなり。
🟨あ[噫]、こうまで申し候うも御恩の力なり。
🟨進上(しんじょう)、聖人の御所(おんもと)へ蓮位御房、申させ給え
🟩慶信上(慶信の花押) 十月十日

✡️【語句の解説と領解】✡️

⭕「心得ちがえて候うやらん」⇒誤解して領解しているのでしょうか。

⭕「真言にかたよりたり」⇒「即身成仏」を説く真言宗の教えに偏ったものである。

⭕ 「申し候うなる」⇒ と言う人があるようです。
🔶「なる」は伝聞の助動詞「なり」の連体形で「〜と聞いている」の意。

⭕「人のうえを知るべきに候わねども」⇒ その人がどのような意味で言っているのかは分かりませんが。

⭕「寿命無量を体として、光明無量の徳用、離れたまわざれば、如来の心光に一味なり」⇒ 阿弥陀の限りない命に帰り、限りない智慧の用(はたら)きとなっていくので、如来の大慈悲心と一つになるのである。

⭕「めでたく、あわれにまします」⇒ 大変すばらしく、もったいないほどの有り難さである。

⭕「過去遠々(おんおん)に」⇒ はるか遠い遠い過去において。

⭕「心得候いなんには」⇒ 心得ました上では。

⭕「人のため」⇒ 我れ一人がためであることが、同時に一切衆生のためである、と知られることをいう。

⭕「心をぬきて」⇒ 私心(世間心) の中から、浄士往生を願う心(願生心)を抽き抜いて。

⭕「弥陀経義集」⇒ 善導または法然の作と伝えられているが、真偽は、はっきりしていない。

⭕「世間のそうそうにまぎれて」⇒ 世事のあわただしさに紛れて。
🔷「そうそう」は「忽々」と書き、にわか、あわただしいの意。

⭕「御あわれみをよろこぶ業力ばかりにて」⇒ 如来のお慈悲を喜ぶ念仏を申すばかりであって。

⭕「日の所作とせず」⇒ 毎日の日課としている訳ではありません。

⭕「この様、ひがざまにか候うらん」⇒ このような有り様ですが、間違っているでしょうか。

⭕「蓮位御房」⇒(1278) 常陸の下妻出身。
🔶『交名標』には洛中居住の弟子として名があり、親鸞聖人の晩年、側近として付添い、親鸞聖人と関東の門弟たちとの往復書簡の取り次ぎを務めた。
🟩『御伝鈔』上四段p726、
🟩『口伝鈔』十三条p664参照。

⭕「慶信」⇒(生没年未詳)
🔶『親鸞門弟交名様』には「慶信 ・下野高田住」とあり、覚信(「蓮位添状」参照)の子息。
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