1️⃣🌃🌠【2024年6月01日(土)】10時00分より、北御堂の津村別院にて、濱畑慧憭先生より、御聴聞の会にて『初めての教行証文類』を聴聞しました。………………………✴️…✴️……………………🟨演題は【顕浄土真実教行証文類 】総序の「爰に愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな」でした。 ………………………✴️✴️……………………🌃【講義メモの走り書き】🌃🔶我々が学ぶ先に何があるのか、それは仏様に成るという世界があり、ありとあらゆる生命を幸せにするということなのでしょう。🔷総序の第3段落目は、先輩方は、造書の意図といわれる。大切なところは、親鸞聖人の感動、自分が浄土に生まれて、みんなを幸せにしていくんだよ。🔶私自身もそれを幸せとして生きていくんだよ。親鸞聖人自身が喜んでいることが一貫してありました。そして最後にもう一度、親鸞聖人が喜びを新たにあらわしている。🟨「爰に愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな」🔷この文章を紐解いていきましょう。ここに、平仮名で書いてますけど、教行信証では漢字で書いております。親鸞聖人の大きな特徴なのは、一つ欠画文字、最後の一文字を線を引かない。🔶註釈版では、見ることが出来ませんが、今は、コピーで親鸞聖人の原本は見れますので。🔷昨日、実は天岸先生と空海展に行きました。11時30分に入って、見終わって、休憩無しで、出てきたのが15時30分。天岸先生に説明をして頂きながら、見てきました。🔶さすがの上野先生も、もういい!と満腹みたいな顔をしてました。空海さんの字の原本が出てました。現物を見ると良いですね。🔷人柄が字に現れると言われる。分かる訳はないけど、字を書く人は、こういう生き方をしているんだなあ、ということは少し見えます。こんな字を書く人は、およそこういう生き方、性格を何となく想像が出来る。🔶写真でなく、現物を見る。同期に最澄さんも見ることが出来ました。これも良かった。私は書道をやっておりますので、書道のテキストに出る。それで見た時は単に生真面目な人に見えたのですが、改めて文章を読んでみると最澄さんは真面目な人です。🔷空海さんに、自分の弟子を弟子入りをさせている。空海さんに書物を貸してくれ、読ませてくれ、お願いをしている。丁寧に書いている手紙が残っている。🔶もし希望するなら、私の持っている法華経の解説書を見せてあげるから、ぜひ空海さんから、講義をしてほしいのです。だから、どうぞお願いします、と飾り文字を、奉って、物凄く読みにくい漢文になっている。間にお願いします、お願いします、と。🔷はあ、空海さんと最澄さんの世界は、こんな世界だったんだなあ。空海さんも最澄さんも真面目、本気の人達です。🔶中国に四艘で行って、途中で二艘は辿り着かなかった。たまたま残りの二艘に二人は乗っていたので、辿り着いた。最澄さんは、わりと楽だったのですが、空海さんは厳しかった。🔷親鸞聖人の欠画文字は写真ですけど、見ることが出来る。一字、なんで減らすのかと言いますと、親鸞聖人の生きていた時代は宋の時代、南宋の時代で皇帝に使われている名前を使う文字には欠画文字にするのです。🔶一文字を減らすことによって、私は皇帝の名前を勝手に使っていませんよ、ということを主張している。同時代の人達は、そこまで欠画文字を使っていないのです。🔷日本人が中国の文字を使ったからといって、咎められる訳でもないし、関係ない。当時の人達はあまりしないのに、親鸞聖人は、律儀に欠画文字にしている。🔶おそらく宋の人達に読まれることを想定している。考えている。持っていかれて、現地で読まれてもいいんだ。🔷宋に留学したり、してくる人が読んでも、最新の仏教の文化を学んできた方々が、法然の弟子は欠画文字も知らないのか!そんなことも分からずに偉そうなことを書いているのか!といわれる可能性がどこかにある。それを避けようというのがあると思います。🔶親鸞聖人にとって大事な方に源信僧都という方がいます。往生要集という書物があります。この書物によって、源氏物語とかが深まっていきます。🔷日本の文学が、漢文が日本語になる。日本の言葉になっていく。日本の文学が出来上がる。どこかで中国の漢文を翻訳していますから、日本のものではない、借り物なのです。🔶その借り物を本格的に日本人とは何かを考える時に、本格的に示したのが、この往生要集でないかと言われる。当時の平安貴族たち、文化人たちは殆んど読んでいる。🔷この書物が実は中国に逆輸入される。浅田先生が言われてました。そんなに沢山、逆輸入はされていない。🔶日本人が書いた文章は日本漢文といいます。日本人の漢文は、日本っぽい。内容は薄い。🔷中国人はネイティブなので、漢字に精通しまくっている。だから、漢文を自由自在に使えるので、内容は非常に深い。そういう人が、日本の漢文を読んだら、なんじゃこれは!となる。だから、読まれない。🔶ところが往生要集は読まれた。そういう歴史があるから、そして親鸞聖人は、往生要集に大きな影響を受けておられる。その教行信証文類も、これと同じ逆輸入されてもいいと思っていらっしゃった。🔷何をしようと思っておられたかというと、お師匠様の念仏往生の教えをこの世から、抹殺されてはならない。正当な評価を受けなければならない。🔶念仏の教えは全ての人々、全ての命に良かったといえる命を与えていく。その教えがけなされてはならない、というのが親鸞聖人にはあるんですね。🔷その流れの中に、こういうところにも表れているんでないかと思います。🟨それが「爰に愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな」に表れている。調べてみると「爰」の漢字ですが上の部分は爪で引き伸ばしていく。引っ掻いて、引き伸ばしていく。🔶伸ばすので、ゆったりという意味がある。それと指示代名詞、これ、あれ、という意味。ここ、この部分ですよ!あまりゆったりとしていないような。🔷しかし、親鸞聖人はここに、ゆったりという意味を含ませていると思います。🔶梯先生から教えて頂きましたことですが、親鸞聖人は日野家、文書博士、だから中国の漢籍に精通している。その漢籍に徹底して引き継いでいるのが、教行信証文類だと言われている。🔷お経の言葉遣いよりも、漢籍の言葉遣いの方が、強調されている。それはおうちが、日野家、でも正当な日野家ではなく、傍流の日野家なのです。🔶今、大河ドラマでやっていますが、位が上がっていくのに、せいぜい五位。五位になったら、地方の国司の長官になれる。いくら賢くても家柄がよくないと上に上がれない。日野家は五位ぐらいがせいぜいであった。🔷ところが親鸞聖人の叔父さんは、むねなり、といいますが、この方は従三位、殿上人、宮中に上がれる。そこからが本格的な貴族です。貴族とはこの従三位からです。国の幹部、大臣とか国司になれる。大きな官僚になっていくことが出来る位なのです。その位くまで、叔父さんは上がっていったのです。本当は五位までしか、上がれないのに従三位まであがれるのは何故かというと、それだけ学門が出来るからです。何をしたのか?🔶建保、建仁という元号がある。建仁はむねなり、が元号を選ぶ会議で提案して、二回、選ばれている。健保と建仁は14年ぐらい下がります。その間に文書博士として、元号を何にするか?🔷今回の令和でも日本の第一人者が万葉集から選んだ。日本のトップグラスの学者が、叔父さんだったのです。親鸞聖人は、9歳で比叡山に登っていますから、叔父さんとどれだけ教えてもらっているか、分かりませんが、今と違って、九歳ぐらいまでに漢籍を全部学ぶ。全部、頭の中に入っている。🔶それまでぐらい、学んでから、そしたら比叡山で経典が読めるのです。それぐらいの家系で徹底した学びをされているのです。🔷だから、漢字、一文字一文字に物凄く拘りがあります。そういう意味で、「爰」にという漢字には、どんな意味があるか、ゆったり。🔶私は、死んだらお浄土へ行くつもりです。お浄土へいって、親鸞聖人とお会いして報告をしようと思います。🔷ゆったりと、これは、今、やっとのことで、と思う。今ここで、慶ばしきかなや、阿弥陀様の一番大切なところに遇わせて頂けた!29歳でお会いしている筈なのですが、違うのです。

🔶親鸞聖人は私の人生はどこから始まったのですか、というと無始より、と言われています。その間にこんなことをいわれています。過去に親鸞は三恒沙の諸仏の出世のみもとにいた。🔷この沙は、この砂と違う。この沙の方が小さいと思います。砂は岩を砕いて小さくしたもの。沙は河や海にあって、埃みたいな砂漠みたいな沙です。砂漠の沙は、小さいので、吹いてくると困るのです。🔶あの小さな沙の数ほど、私は仏に遇ってきたと、親鸞聖人はお経の中に書いてあるから、親鸞はそのように頂く!親鸞の過去世は、生まれ変わり、死に変わり、ガンジス河の沙の数ほど、お会いして、仏様から教えられて、大菩提心を起こしてきた。🔷偉大なる大乗の菩提心、菩提心とは何ですか?仏様に成ろう、という心のことです。仏様に成って何をするのか?仏様に成って、あなたを幸せにしたい!あなたに笑顔になってもらいたい!あなたが本当に生まれてきて良かった!という身になって頂きたい、という心のことです。そういう心を起こしたけれども、自力かなわで流転せり。流れ転ずる、煩悩に流されたのです。心を濁流に例える。自分に攻撃してくるものにカッと怒る。そして相手がいなくなればいいんだ!🔶仏様は、たとえば、マンゴーの実を実際にマンゴーって、こんなものですか?と分かるように話が出来たそうです。🔷一人一人を本当に充実させるような説法ができるのが仏様。そんな仏様に出会いながら、流転をしてきたんだ!ずっと過去に繰り返してきた。親鸞聖人は今、やっと日本に生まれた。平安時代に生まれた。そんな中でも、今、法然上人に遇えた!本願力の世界に遇うことか出来た!自力を交えなくていい世界に出れた!越えていく世界に出れた!🔶お釈迦様、有り難うございます。また沢山の仏様、ようこそ、法然上人の教えを受け入れられるところまで、今まで拒否をしてきたけど、今、やっとおみのりは間違いなかったとお育てを下さった、どれだけ長いか、わからない時間、仏様は諦めずに私をお育て下さったんだ!そんな世界がありましたね!それを何というか!これを摂取不捨というのです。🔷親鸞聖人の最晩年、摂取不捨を味わう時にいわれるのは、大慈大悲の恩恵みの心といわれる。🔶これは源信僧都の往生要集に味わう時に使います。この言葉を同じように使っておられるのが、法然上人でもあるのです。🔷今、私の上に働いております、と味わっておられます。私が流転をしてきた歴史は育てて貰った歴史ですね。🔶梯先生は、もしDVに遭ったとしたら、それを、どう私は考えていけばいいのか?あってはならないけど、不幸な歴史、不幸な過去をどう考えていけばいいのか?人から、やられたことをどう受け止めればいいのか?🔷梯先生は、禅宗のお祖師、先生は弟子を叩く。肩もみみたいなものです。中国では、殺すほど叩くそうです。禅宗では、叩きたくて叩くのではないんだよ。最晩年、梯先生は涙ながらに語っておられました。あれは何だったのか?🔶諸仏方の、その中には玄奘三蔵もいたでしょうね。明恵上人も入れなければならないでしょう。そして善導大師の教えを謗った方々と入れなければならない。念仏を非難された方々も真面目に、真面目に仏教を生きて下さった。それはこの私を育てよう、この私を幸せにしようという思いだったのではないでしょうか?🔷次の愚禿は、また来月に詳しく話しますが、愚禿とは、仏様の大慈大悲、摂取不捨の利益を受けたここころを私がどういう命だったのか、本格的に受け止めようという考え方です。🔶自業自得、これは厳しい言葉です。仏教の道理です。自分の経験を自分自身が受け止めていかなければならない。だから、地獄に行くというけれども、人が地獄に落とす訳ではない。自分で作って自分で苦しめていく。これが仏教の大きな特徴です。🔷仏教というのは、他から、やられたのではないですよ。人を苦しめた、人ともめた、これは何が原因か、私が責任であり、私の責任として、ちゃんと生きていく。運が悪かったのでもない。人のせいにしてはいけない。あいつが俺を苦しめている!と思っていたら、永遠に苦しまなければならない。🔶法然上人の教えは、この自業自得の教えを、どこかで私がやったことだったと何らかの形で知らされて越えていこうという教えです。     【続き2️⃣】