1️⃣🌉🌃【令和6年6月06日(木)】13時30分より、14時30分まで大阪市ギャラリー読売にて、大谷徹奘先生より、聴聞させて頂きました。
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🔷いつもながら、素晴らしいお話で学びの多いご縁でした。
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🌟【講義の走り書きメモ】🌟
🔷今日、今、教えて頂いたのですが、日本で一番高齢の方は、1908年生まれだそうです。今年で116歳、その人のウィキペディアが出ていて、それを今、頂いたのですが、何と薬師寺の写経をしていたと書いてあります。

🔶僕は現在、61歳ですから、僕の倍ぐらいを生きた方です。今月のうちに会いにいく予定にしております。116歳ですから、皆さんも頑張って下さいね。今までと同じ苦労をそれだけ出来ますから。

🔷今、資料を頂いて、嬉しいですね。この人と会えるように今、奈良に電話をして、段取りをしてもらっています。一緒に写真を取りましたら、また皆さん方にお見せしたいと思います。

🔶私は若い頃、ずっと老人ホーム巡りをやっていたのです。これは勉強になりました。こういう話はあまりしません。これをみて、思い出したのですが、自分の修行中に祖父母が皆、死んでしまったのです。
🔷おじいちゃん、おばあちゃんにお返しが出来ないから、今はめっちゃ、忙しくて行けませんが、僕は、27歳で法話のデビューをしたのです。その法話をした最初の手帳を読むと、一年間にわずか6回しか、法話をしなかった。

🔶その6回の法話に何をしているかというと、必ず話していたことは、この中におじいちゃん、おばあちゃんを老人ホームに預けている人はありませんか?いたら、お金なんか要らないから、法話をさせて下さいと言って、全く知らない老人ホームに飛び込んでいっていた。
🔷最初、行った時は、老人ホームには行ったことがないから、緊張した。忘れもしません。
🔶私が待ってたら、先ず健常の人から、入ってくる。次に健常そうに見えるけど、そうでない人が入ってくる。その人達は普通に見えるけど、急にわめきだす。そうすると心臓がドキドキする。そこへ、次に今度は車椅子の人、そして最後はベッドで横たわったままの人が来られるところでの法話だったのです。
🔷経験がないものですから、これだけ言うのは、よほど印象的だったのです。その時に緊張して話が出来なかった。
🔶そのあとに回を重ねて、回った、回った。そしたら、青森県に御縁があって講演に行きました。
そしたら、主催者の方のお姉さんが施設にいるということで、呼ばれていきました。そのお姉さんは耳が聞こえない。だから、そのお姉さんは来ないのですけど、一番広い部屋で待っているから、法話をして下さいと言われて行きました。
🔷全く意識がなくて、ベッドで離れられない方々ばかりの部屋でした。その時に、こんなところで法話をして話が通じるのか、正直、思いました。でも一生懸命に話しました。
🔶すると、そこに横たわっている人の身体から、嬉しいという湯気が見えたんですよ。ああ、喜んでいるんだと思った。自分だけの体験かなあと思ったら、帰りに主催者の方が車に乗ったら、私にこう言うのです。
🔷「オイ、徹奘!身体が喜んでいたなあ」意識があるとか、ないとかは頭の問題ですね。だけど、たとえ身体が動かなくても、意識が薄くても、聴いておられる。

🔶私の知り合いのお坊さんが、お母さんが意識を失い、倒れたのです。そしたら、お母さんが大好きだから、お姉さん二人と本人で、そのお母さんを一生懸命に看病をしたんだけど、その看病の時間がどんどんと長くなった。
🔷そしたら、最初のようなお母さんをみてあげたい、という熱意が薄れて、兄弟ゲンカが始まるのです。
🔶今後は誰が面倒を看るんだ、という話になって、それでお母さんが亡くなれば良かったんだけど、お母さん、目覚めたのですよ。
🔷そうしたら、目覚めた時の第一声が、
「あんたたち、私の枕元で嫌というほど、私の悪口を言って喧嘩をしていたでしょう!」と言った。
だから、皆さん方、気をつけた方がいいよ。意識があるとか、ないとかは別の問題だから。

🔶うちの和尚さんが、よく言っていました。「棺桶の蓋が閉じるまでは、本当のことを言ってはいけない」と。それは生き返るかも知れないから。

🔷では皆さんと一緒に勉強したいと思います。
私達は何があるか、分からない。
髙田好胤和尚の言葉に
⭕人間は追い込まれた時に、その人の本性が出る。
🔶私は和尚さんがこの言葉を言っていた時に、真横に居た。
私は大学を終えてから、長い間、師匠の鞄持ちをしておりました。全国各地を回っておりました。

🔷師匠は滅茶苦茶、有名な方で実力もあった方なので、どこも満席でした。
今の芸能界でいうなら、出待ちしている人がいる。そしたら、ある時、控え室の扉を開けたら、背広をきた紳士が、うちの和尚さんに近寄ってきて質問をする。
🔶「仏教を勉強したら、どうなるんだ!」その御方にとって、凄い重要な質問だったのです。
うちの和尚さんは決して、はぐらかしはしない人でした。

🟨「平和な時に、何もない時は、仏教を学んでいても、学んでいなくても、全く関係ない。だけど人間は、いつ追い込まれるか、分からない。その追い込まれた時は、必ず来る。その時に出てくる自分のために訓練を重ねるのですよ」と言われた。

🔷今、私達は、何のトラブルもない平和な関係なのです。この人数で、この部屋に閉じ込められたとしましょう。
私が今、持っているペットボトル一本の水を飲まなければ死ぬ、となると、平和な関係は崩れる。
🔶災害学習をしている時に、お年寄りは言うんです。「私はもう歳を取っているから、この水を若い人に譲って、私は死んでいきます!」と格好いいことを言っている人に限って、棒で人を叩いてくるかも知れない。
🔷「人は分からない。その追い込まれた時のための勉強だ!」と、うちのお師匠さんは言われた。

🟨ライナー・リルケ(ドイツの詩人 1875~1926)は、以下のようなことを言われています。
⭕人生は予想できない多くの部分から組み合わされている
⭕この世のことは、どんな些細な事でも予断を許さない

🔶私達が孤立した時に、一番大事なのは水だ!と言われる。命が繋がるのは、飲まず、食べずに生きられるのは72時間。
🔷だから自衛隊の捜索は72時間が一つの切れ目になっている。
ということは、飲める水さえあれば、72時間は命は何とか繋げる。🔶これを自分事として、聴いて、いつ地震が来てもいいように水を準備をしておく。

🔷最近、私が意識をしていることは、薬師寺というお寺は、法相宗で別名が唯識宗といわれる宗派なのです。唯識の唯は英語でいうとオンリー、これしかない。識とは、これ一字でこころ。こころのみ。全ては自分のこころ次第ですよ。
🔶皆さんに意識をしてもらいたいという意味で、私は唯意識、全ては自分が意識をすることによって、変わってくる。意識をしないことは、私達は眼にすることがない。

🔷例えば、災害のテレビをみたら、こういうふうに対応をすればいいんだ。今日の勉強でも、心に身につけて意識をしている人と、ただ単に此処に座っていたら、自分が良くなると思っている人とは、全く違う。
🔶私は中学三年生の時に、高校二年生になったら、薬師寺の坊さんにならないかと髙田好胤師匠から、誘われた。六年一貫の男子学生ばかりの受験校で勉強をしていた。
🔷その時に中学三年生の時に、高校生二年生になったら、薬師寺の坊さんになるつもりでいたので、高校生二年生の時に、就職が決まったみたいなもの。そうすると、私は受験校にいながら、こう思いました。
🔶坊さんになるなら、数学や理科の勉強は要らないなあ、と思った。そうすると無意識に数学や理科の勉強の手を抜く。そうすると一学期の数学の成績は人生で一番悪い点数を取ることになった。
🔷わずかの9点、大の親友は数学が大好きな人、満点の百点を取った。受験校というのは、点数が勝負なのです。そうしたら、その友達は私に答案用紙をビラビラ、見せびらかす。
🟨オイ、大谷、今度の数学の試験は易しかったな!腹立つわ。
彼とは、中学一年生から、高校二年生まで、ずっと同じ教室で育っていた。同じ環境に育ちながら、91点もの差が出来た。
🔷それは彼は数学が好きだから、数学の先生の話を意識して聴いていた。その時の授業の内容は忘れもしません。サインコサイン、全く訳の分からない内容でした。
🔶そうすると私は心の中で言うのです。内の両親はサイン、コサインなんか、使っているのを見たことがないぜ。数学を馬鹿にしていた。
🔷私は意識をしなかったのです。何を思っていたかというと、早く終われ!と思っていた。そうすると9点になった。
🔶皆さんは、今日の同じ1時間、同じ坊さんから、同じ話を聞くのです。テストをすると多分、点数が分かれるのです。自分でせっかくだから、身に付けようと意識が働いたならば、私が投げようと思ったこと以上のものが、身に付けられます。
🔷だけど、ただ心を働かし続けていたならば、それはただ息をしているだけです。ここが問題なのではないでしょうか?
🔶ライナー・リルケ(ドイツの詩人 1875~1926)という人は、人間というものを随分、追及をした人ですよ。
🔷その人は、世の中は、どんな些細な事でも予断を許さないといっているなら、私達も予断をゆるさず、意識をして生きていかなければならないんだ。
🔶うちのお師匠さんは、追い込まれた時のための勉強をせよ、とおっしゃった。
🔷追い込まれた時というのは、別に病気になった時や、災害に遭った時だけではない。
🔶私達は、たとえば、小学生が中学生になる。中学生が高校生になる。大学生になる、社会人になる、結婚をして、奥さんになる、お母さんになる、私達はしょっちゅう、人生のステージチェンジがある。

🔷今まで社長だった人でも、普通の人になってしまう。私は老人ホームを一杯、回って知らされたこと。
🔶嫌われる人というのは条件がある。それは一人の老人になれない人。私が来ることを待っていた。それなりの身なりをした人で、僕の眼を見て言った第一声は、
🟨「私は本当は、こんなところにいる身分ではないんです!仕方なくここにおります!」と言った。
🔷後から、あのおじいちゃん、嫌われていませんか?と聴いたら、滅茶苦茶、嫌われています、と言っていました。
人生、何が起こるか、分からない。
🔶これからお話をするのは、仏教語がばっちし、後ろについているのですが、私は仏教語は一切使いません。仏教語は専門用語ですから。専門用語は聴いても分からない。
🔷誰でも分かるように、私の一番のポリシーは、小学校4年生の子供でも分かるのが、ルールなのです。
🔶そうすれば、誰でも覚えて頂ける。これから生き方の三ヶ条を書きます。僕は仏教を使って頂くために勉強をしています。三つの言葉を書きますから、メモをして下さい。
1️⃣一番、最初は、下手から始める。
2️⃣二番目は、高望みはやめよう。
3️⃣三番目は、少しずつ上手になろう。
🔷これが私達が、追い込まれた時に身につけておくといい、三つの条件です。

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