1️⃣🌃🌍️【2024年6月2日 (日)】
🌠板宿・信行寺
🌠【神戸護法会】午後2時~4時
✡️講題:蓮如上人御一代記聞書
✡️講師:定専坊前住職
    山本 攝叡 氏
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🟨【原文】🟨
✡️(252)一 文亀三、正月十五日の夜、兼縁、夢に云わく、
「前々住上人、兼縁へ御問いありて、仰せられ候よう、
「いたずらにある事、あさましく思し召し候えば、稽古かたがた、せめて一巻の経をも、日に一度、皆々、寄り合いて、読み申せ」と仰せられけり」と云々。
余りに、人の空しく月日を送り候ことを、悲しく思し召し候故の義に候。

🌟文亀三年➡️1503年、蓮如上人の没後4年後

🟩【意訳】
✡️(252)
これは蓮悟さまの夢の記録です。
文亀三年一月十五日の夜の夢である。蓮如上人が私に色々と質問をなさった後で、
「毎日、 空しく暮していることを情なく思う。 勉学の意味も兼ねて、 せめて一巻の経であっても、 一日に、一度は皆が集まり、 読むようにしなさい」 と仰せになった。
私達が毎日をあまりに空しく過ごしていることを悲しく思われて、 上人は、このように仰せになったのである。
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🌉【講義メモの走り書き】🌉
🌟【前半】🌟
🔷蓮如上人御一代記聞書は、お西とお東が使っているのが、少し違います。
🟨文亀三年とは、蓮如上人の没後4年後のことです。
🟨兼縁とは、蓮如上人の七番目の子供さんのことで、
🟨夢の中でのこと。いたずらとは、無駄、空しい。空しく過ごしていることが浅ましいこと。

🟨ここでは、空しく過ごしていることが残念であると思われて、稽古のために、せめて日に1巻の経典を皆が集まって読みなさい。

🔶自分たちの生活と照らし合わせて、考えてみましょう。
🔷男は定年退職金すると、することがない。私達は日々、充実して生活をしているだろうか?
🔶昨晩、NHKのプロジェクトXがありました。
🔷昔、職人さんが、東京タワーの鉄骨を積み上げていくのを見たことがある。
🔶今はスカイツリーになった。物語があって、職人さんたちは、学歴は関係ない。

🔷東京タワーよりも、場所は狭いのに高いスカイツリーを建てた。
🔶スカイツリーを建てた責任者が完成を見ずに亡くなる。

🔷高い所に登って仕事をされる。肉体労働、高卒の学歴しかないので、結婚の話出た時にそんな学歴のないものに娘はやれないと見下される。
🔶ところがその職人さんが、やがて力量を発揮する。私は自信がなかったけど、このスカイツリーの仕事によって、自分の仕事に誇りを持てるようになったと語っていた。

🔷私には、兄が二人いる。定年退職して、最初は仕事から、解放されて、生き生きしていた。
🔶でも、それは二、三年で、やがて趣味に没頭が出来なくなった。
🔷今は軽い脳梗塞をして、目が見えにくくなった。
🔶今、83歳で、家でじっとしている。三重の伊勢市にいるけど。

🔷我々の一生は何のために、何を生き甲斐をして、私達は生きているのでしょうか?
🔶一度、病気をすると、身体は、ガタンと来る。
🔷仕事や、家族への生き甲斐は、最後まで私を支えるものなのか?

🔶稽古がてら、せめて一巻の経典を読むことが大切だと。

🔷浄土真宗で、読経をどう位置付けるのか?親鸞聖人が三部経の読誦。
🔶念仏の信心、称名と信心は別個ではない。称名する信心。

🔷才市さんの温泉津、才市さんが生涯を過ごされた場所。
🔶サボテンをもらった。何も世話をしなかった。30年、ほったらかしにしていた、サボテンが花を咲かせた。
🔷昨年、住職を子供に譲った。
🔶数珠は、栴檀の実、なのです。

🔷念仏をするとは、言い換えると花が開く、という味わいをしたらどうでしょうか?

🔶百日紅【サルスベリ】の剪定、拳【こぶし】みたいになる。醜いといわれる。
🔷うちの寺では、サルスベリ、4本ある。
🔷サボテン、サルスベリの花、育てるという花、作業がいる。
🔶称名はお育てによって、花が開く姿が南無阿弥陀仏と味わう。

🔷母親はよく短歌を作っていた。父親が往生した時に歌を作った。
🔶俗人の考えでは死ぬのは嫌だ。どんなに美味しいものを食べても、喜べない。

🔷しかし、浄土真宗のお育てに預かると出る筈のなかったお念仏が出てくる。
🔶死ぬのは嫌ではなく、浄土へかえる。懐かしい場所へ、かえっていく。

🔷葬儀でも、昔は、忌中と書いていた。仏法では、忌中はない。
浄土真宗も、忌中は本来はない。

🔶私達は、せめて一日は集まってお経を読む、念仏をする、この二つの関係は、どういう意味なのか?

🔷読経を往生の因と考えたら、間違い。
🔶信心とは、如来様の仰せに従うこと。
🔷せめて、一日に集まって、お経を読んだら、どうだろうか。
🔶念仏の声が信心の声。称名は、正定の業である。読誦は、正定業に対して、助業。
🔷いつでも、どこでも、お念仏をさせていただかねばならない。
      【休み】
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🌟【後半】🌟
🟨【原文】
✡️(255)一 同じく夢に云わく、「同じき年の極月二十八日の夜、前々住上人(蓮如)御袈裟・衣にて、襖(ふすま)障子(しょうじ)をあけられ、御出で候間、御法談、聴聞申すべき心にて候処に、ついたち障子のようなる物に『御文』の御詞(ことば)、御入れ候を読み申すを御覧じて、
「それは何ぞ」と御尋ね候間、「『御文』にて候」由、申し上げ候えば、
「それこそ肝要。信仰して聞け」と仰せられけり」と云々

🟩【意訳】
✡️(255)
これも蓮悟さまの夢の記録です。
文亀三年十二月二十八日の夜の夢である。 蓮如上人が法衣に袈裟というお姿で、襖(ふすま)をあけてお出ましになったので、 ご法話をされるのだ、 聴聞しようと思っていたところ、 衝立(ついたて)に書かれている御文章のお言葉を私が読んでいるのをご覧になって、
「それは何か」 とお尋ねになった。
そこで、 「御文章でございます」 と申しあげると、 「それこそ大切である。 心してよく聞きなさい」 と仰せになったのである。

🔷極月とは、月の極まり、12月28日のこと。普段着ではなくて、蓮如上人が法衣に袈裟というお姿で襖(ふすま)をあけてお出ましになった。
🔶日本では、障子というのは、さえぎる。遮る意味を持った言葉で、ここに、ふすま・しょうじとある。

🔷昔は、12月に障子の張り替え。新しい障子を張り替えた。
🔶今では、葬式は、小さなお葬式の宣伝が多いけど、結構、経費はかかる。
🔷去年、病気をしてから、一日仕事で病院に行っていた。

🔶現在の襖・障子とは違う。さえぎるもの、ふすま。そこをあけて、蓮如上人が出てこられた。
🔷衝立、現在の我々が考えている障子とは違う。こんな小道具は、おそらく日本だけでしょう。明かりが柔らかい明かりになる。

🔶蓮如上人が開けて出て来てくださったので、みんなは、教えを聞かせてもらえると思った。
🔷衝立に御文の言葉が書いてある。何が書いてあるか、と聞くと
信仰して聞け!それこそ肝要!
🔶現在の信仰とは違う。信じ仰いで、つまり大切にすること。

🔷一度きりの尊い道を、今、歩いている。【東井義雄・語】
🔶尊い道とは、教えに会える人生。ご法義の話が聞けること。

🔷私は絶望する。今は電車にのったら、みんな、スマホをしている。年輩の方でもスマホで、ゲームをされている。
🔶スマホは、使いようによっては便利ですけど。
🔷それは何を読んでいるのか?それこそ、肝要。信仰して聞け!

🔶御文とは、蓮如上人の書かれたもの。信仰して聞け!いい言葉ですね。下手に誤解をするといけませんが。
🔷御文そのものを尊いのではなく、御文があらわしている法義、教えが尊い。それをよくよく聞きなさい。如来さまがあらわす教えを聞きなさい。

🔶私の初孫も今は18歳になり、来年は大学生。娘が寺に帰ってきて、こんな小さい子供でも掴んだら、離さない、とご門徒の方が言われていた。
🔷仏様の悟りというのは、そんなに難しいことではない。
🟨覚りとは、捨てる、モノにとらわれない。

🔶人と意見が衝突するのは、モノにとらわれているから。

🟨【原文】🟨
✡️(256)一 同じく夢に云わく、「翌年極月二十九日、夜、前々住上人、仰せられ候ようは、「家をば、能く作られて、おかしくとも、信心をよく取り、念仏申すべき」由、かたく仰せられ候いけり」と云々。

🟩【意訳】🟩
✡️(256)
これも蓮悟さまの夢の記録です。
永正元年十二月二十九日の夜の夢である。
蓮如上人が、 「家を立派に建てた上は、 信心を確かにいただいて、念仏申しなさい」 と、 厳しく仰せになったのである。

🟩【意訳】🟩
✡️(259)
蓮如上人は、 「家をつくるにしても、 頭さえ雨に濡(も)れなければ、 後は、どのように作ってもよい」 と仰せになりました。
何ごとにつけても、 度をこえたことをお嫌いになり、
「衣服などに至るまでも、 よいものを着たいと思うのは浅ましいことである。
目に見えない仏のお働きをありがたく思い、 仏法のことだけを心がけるようにしなさい」 と仰せになりました。

🔷蓮如上人は、昔、貧乏で苦労をされたので、生活は質素であった。
🔶ここで、立派な家を作れではなく、確かな生活を送るために家を作る。

🔷大和の清九郎を仰誓が尋ねた時に、家は、あばら屋でみすぼらしい家だった。
🔶けれども、お仏壇は立派であった。仏壇のお荘厳に、おこころがあらわれる。
🔷家を立派に建てた上は、 信心を確かにいただいて、よくよく信心を聞いて、過ごすのですよ。

🔶梯和上が、言われていた。
🟨「信心が本である」こんなことは、誰でも言えることではない。
🔷蓮如上人のような方でないとこんなことはいえない。
🔶如来様の智慧の働きが信心、御文によって、私達はこれを初めて味わえる。
🔷聖人一流の章に、教えの全てがあらわされている。
     【終了】