1️⃣🌎️【2024年5月24日 (金)】
✴️大谷派名古屋教務所議事堂
【2023年度・名古屋教区聖典研修⑤】午後6時~8時
✴️テーマ:『正信偈』を読む
✴️講師:姫路第一病院小児科部長・真宗大谷派僧侶 梶原 敬一 氏
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🔶『正信偈』と『文類偈』の微妙な言葉遣いの違いを通して、親鸞聖人は晩年は変わってこられていることを教えて頂き、親鸞聖人の教えを固定化しない方がいいことを再確認させて頂きました。
🔷御聖教は正しく読み取らないといけませんね。
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🔶講義メモの全部は、とても書けないので、最後の10分で質問を受けて下さったので、それを紹介させて頂きます。
🔷毎回、私が最初に質問をさせて頂き、お答え頂き、申し訳なく思っております。
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【質問】

「世親」と「天親」の言葉遣いを親鸞聖人は敢えて使い分けておられると教えて頂きましたが、もう一度、どこが違うかを教えて下さい。

【回答】

天親【旧訳】を世親【新訳】と変えられたのは、玄奘三蔵で、世親の仕事としての最大の功績は、唯識三十頌、成唯識論である。

世親の名前で日本に伝えられている一番大きな仕事は、唯識の論書でありますから、特に唯識三十頌を翻訳されて、玄奘三蔵はまとめられました。

世親の名前では、唯識三十頌、成唯識論。それ以前のものは、天親と書かれている。
曇鸞大師の往生論註は、天親の名前で言われている。

そこに親鸞聖人が世親の名前で、あえて言われているのは、明らかに玄奘のなされた唯識三十頌、あるいは成唯識論というものを前提にしたお名前で言われている。

それは、唯識三十頌自体は、そのあとに書かれたと言われる浄土論を書いた人と、決して別人のものではないんだ、ということをあらわそうとしておられる。

だから、浄土論も、やはり世親のものとして、唯識三十頌を書いた方として見ていかなけばならない。

唯識から見た論蔵でなければ、本当の意味で、浄土論としては成立しないであろうと。

論註を見ていく時に往相、還相と浄土に往って還る。
その前に浄土を唯識からみていく。浄土は私達の心の世界としてみていかなければ、浄土の働きが私達には受け取れない。
【浄土論は一巻】

天親となっているのは、中国風に浄土の教えが変容していった。
【往生論註二巻】
そして【迦才の浄土論三巻】
方便としての浄土の思想として、
念仏の教えが違ってきた。

そこで、親鸞聖人は、晩年、浄土論を世親に立って、読み直さなければならないと思われた。

そうすると、単に世親でなくて、曇鸞、道綽、善導という流れの中で、あらわれてくる浄土論というものを親鸞聖人は見ていかれた。【入出二門偈頌】
そこは面白いですね。

『尊号真像銘文』では、世親と天親について書いてありますが、訛(あやま)れるなり、と親鸞聖人は
天親は、あやまれるなり、と、かなり強い調子で言われている。

私達は、親鸞の思想は、ずっと変わらないみたいに思っているけど、親鸞聖人自身の中では成熟されている。成熟の過程の中で、変わって成熟していかれている。

たとえば、正信偈では、即証真如法性身とある。
あれは親鸞聖人の若さ、お若い時は真如法性身だったのが、
晩年、歳を取ると、文類偈では、同じところが、寂滅平等身になっている。
その辺が、歳を感じます。若い時には見えないことがある。
正信偈と文類偈の表現の仕方の違いの両方をみていく必要がある。
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