🌟🌍️【2024年5月24日(金) 14時~15時半まで】❇️〖講義及び質疑応答〗】❇️場所・東別院名古屋教務所🟨③どうして私は仏法を聞くようになったのか?【真宗に出会い学ぶきっかけ】40年前の随行文・同級生の巨人軍からのドラフト一位の指名を縁として【仮令身止諸苦毒中・我行精進忍終不悔】【令和6年05月24日】🟦YouTube で見る🟥https://youtu.be/W-zz_J-BeFc?si=A-k2LMxvPxmaQtRh🟨④真宗に出会い学ぶきっかけ【質疑応答】現在の課題について【⭕⭕会の問題点はどこにあるのか?】【令和6年05月24日】🟦YouTube で見る🟥https://youtu.be/3T2fL9QP1Zc?si=navk2pwthHZosVSW✡️【演題】✡️1️⃣真宗に出遭い、学ぶきっかけについて2️⃣現在の自身の課題について❇️〖講義レジメ資料〗🟨40年ほど前に毎週、日本全国の大きな会場で、(土)(日)に⭕⭕先生の前座として10分ほど、布教使として進む決意と覚悟を3ヶ月間、訴えました。【随行文】🔷私は、浄土真宗⭕⭕会・講師学院、第三期生の清森義行と申します。🔶先生のお話の前に、私がどうして真実の仏法に命をかけるようになったのか、しばらく話をさせて頂きます。どうぞよろしく願い致します。🔷私は今から25年前に、兵庫県の尼崎市に、三人兄弟の次男として生を受けました。🔶真実の仏法に巡り会うまでの人生は、まさに釈尊が仰有った「人生は苦なり」の言葉そのままでありました。🔷幼い頃より、内気な性格で、神経質な程、ちょっとしたことでもクヨクヨ悩む。🔶しかも、これといった特技もなく、勉強は出来ない🌟【英語だけは勉強が出来た。小学校6年生から、中学2年まで新聞配達をして終了後に、朝6時から、毎日1時間、母親が購入した英語カセットテープを欠かさず、勉強してました。そのお陰で大学も合格出来ました。】🔷スポーツもダメ、クラスでは、劣等生であった私は、毎日が不安で憂うつな日々を送っていました。🔶生きていても何の意味もなく、ただ情性に流されて過ごす毎日。🔷何の自信も、とりえもなかった自分に嫌気がさしていた私は、やがて、兄の影響により、「野球こそ青春を謳歌し、生き甲斐ある人生にするものだ!」と思うようになりました。🔶兄が高校野球に青春を燃やしているのを見て、自分も野球に打ち込み、甲子園に出場し、最高の青春時代を過ごそうと思い、高校生活は野球一つに打ち込みました。🌟【兄は高校時代、キャプテンで四番サードで背も高く、イケメンでした。高校2年生の時に、今の阪神の監督である岡田彰布(あきのぶ)選手から、二塁打を打ち、すごいなあ、と思いました。当時から、岡田監督は、エースで四番を打ち、騒がれていた選手でした。】🔷一つのことにしか、熱中できない私は、当然、勉強などするはずもなく、ただひたすら、野球一筋に青春の情熱をぶつけていきました。🔶朝から晩まで、練習に励み、盆も正月も返上して、ただ幸せをつかみたい一心で全力で、頑張ったのですが、激しい練習で背骨を痛めてしまい、🟩【側彎症・そして右と左の腕の長さが違う】🔷高校三年の春、とうとう野球の出来ない体となってしまいました。🌟【今では健康のために、毎日、筋トレと素振りを欠かさずしており、お陰で腕は太いままです。】🔶特に同期の友達が、当時の長嶋茂雄監督から大いに期待され、巨人軍より、ドラフト一位【林泰宏選手・1979年、岡田監督も同じ】で指名されました。🔷テレビ、新聞、ラジオ等で騒がれて、脚光を浴びているのを見た時の悔やしさは、忘れることは出来ません。🌟【私の人生で初めて、新聞に出た時です。林泰宏選手のVサインの足を持って、スポーツニッポンの一面に前面に出ました。】🔶人生の勝利を克ち得たような友達の姿を見た時、私は、🟨「何くそ!今に見ておれ!今はどん底かも知れないが、必ず這い上がってみせる!俺は野球では負けたが、野球だけが人生ではない!スポ―ツが、ダメなら勉強だ!」と、今度は野球以上に、勉強に情熱を燃やしたのです。🔷今まで、勉強らしい勉強は、何一つしなかった私が、勉強一筋に燃え上がるのは容易ではありませんでしたが、🟨「負けたくない!今に見返してやる!」という執念で、受験勉強に猛然と取り組んでいきました。🔶そして、念願かなって、遂に関西学院大学に合格することが出来たのです。🌟【英語の配点が高かったので、入れました。】🔷「ついにやったぞ!」という思いで感涙にむせんでおりましたが、なぜか心にポッカリと空洞があいたような何とも言えない空しい心に、🟨「今まで自分は何のために苦労をして勉強してきたのか、こんな筈ではなかった」と裏切られた思いでありました。🟨「ああ、誰かこの生き甲斐のない空しい心に生きる目的を与え、私の魂を燃やしてくれるものはないのか!」🔶本当に命をかけて燃やせるものが欲しくて、悶々とした日々を送っていた、大学一年の九月【1980年】に先輩に声をかけられ、仏法を聞かせて頂いたのです。【途中、省略】🔷仏法を知らされた私は、聴聞、顕正、教学とすべてに情熱をもってぶつかっていきました。🌟【この頃から、人生の一番の愛読書が真宗聖典になっていきました。現在はお西とお東、他に色んな聖典を活用しておりますが、親鸞会では法蔵館のものを使用しており、現在は法蔵館の聖典は3冊目です。】【途中、省略】🔷そうだ!この道一つを伝えよう。たった一度の人生、金がなくても、名誉がなくてもいい!🔶仏法一つに人生をかけたい。この道以外に自分を生かす道はない!と確信した私は講師学院に進ませて頂き、専任講師にならせて頂いたのです。【途中、省略】🟨「たとひ身は諸の苦毒の中に止るとも、我が行は精進にして忍びて終に悔いじ」の仏語の如く、仏法にこの露の生命をあずけます。どうぞ宜しくお願いいたします。🌟【座右の銘】🌟🟨「仮令身止 諸苦毒中🟨 我行精進 忍終不悔」🟩たとい身を、諸々の苦毒の中におわるとも、🟩我が行は精進にして、忍びて、ついに悔いじ。🟥たとえ、どんな苦毒の中にあってでも、すべての人を幸せにするまでは決して精進(努力)をやめない。真実の仏法に命を懸けても悔いはない。⏹️『無量寿経』「讃仏偈」2️⃣現在の私自身の課題について🔶仏教は抜苦与楽の教え。抜苦与楽になるような説法、教えを説いていきたい。🔷私自身は、当初、全く仏法にご縁がなく、生まれは一般在家でありましたので、仏法・浄土真宗が、真実であることを確信する必要がありました。🔶私のようなものを仏法に導くまでの話がどうしても必要だと知らされます。🔷その点、現在、活躍している菊谷隆太君、筬島正夫君、岡本一志君、長南瑞生君が、YouTubeで発信している内容は、もし私が昔の自分ならば、仏法を聞くためには絶対に必要だったと思います。🔶私自身、特に仏法に強く引き付けられた話は沢山ありますが、特に我々の運命は何によって決まるか?【因果の道理・唯識の教え】です。🔷兄の姿や、同期の友人が巨人のドラフト一位で選ばれた事例を目の前にして、🔶運命は今生だけの種蒔きではない!生命は三世を貫いているに違いない!と唯識の教えに触れて、仏法の真実性を確信したことです。🔷YouTubeで、特に唯識を中心にして、様々な説法動画を1000本以上、アップしているのも、この素晴らしい教えをお伝えたいからです。🔶浄土真宗の教えは、大乗の至極【大学・大学院】の教えでありますが、この素晴らしい教えを正しく理解をするには唯識【小学校・中学校】の教えを勉強すべきだと思って、同時平行で学んできました。🔷浄土真宗の課題として、私が注目をしているのは、清沢満之先生が、哲学から、他力の世界を明らかにされた点です。🔶大谷派布教使の土井紀明先生から、私は毎月、西宮市の念仏寺で二回、聴聞をしております。🌟【土井先生は仏法を17歳から、20数年〖30数年?〗真面目に求められて阿弥陀仏に救われた真実の信心の方です。】🔷最近、よく土井先生が言われるのは、瓜生崇さんから、メールで質問を受けた件についてのお話です。🟨浄土真宗に清沢満之の教えがなぜ必要なのか?🟨自分はそこを通らずに教えに会えたので、必要性を感じていない。🔶浄土真宗の教学だけで布教をしようとしても、今の若い人に仏法は伝えられない。🔷清沢満之の教え方によって、多くの人に仏法が広まったのも事実。🟨「曽我量深は『成唯識論』と『無量寿経』を同時に学び、それが後世の曽我教学を形成したといわれる。 その弟子である、安田理深は、曽我教学を受け継ぎ、《唯識を学ぶことによって、親鸞が理解できる》という方向性を切り開かれた。………………………✴️…✴️……………………      【終了】