🌟✡️【2024年05月25日 (土)】
▶別院さんの土曜法話会|三河別院庫裡
✴️第二回 5月25日(土)
✴️15:00~17:00
✴️歎異抄第4章「苦を抜き楽を与える」
【講師】市野智行 同朋大学准教授
【主催】
真宗大谷派三河地域教化センター
【会場】三河別院庫裡
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🔷歎異抄第4章の「苦を抜き楽を与える」慈悲について、市野先生より掘り下げて、深く学ばせて頂きました。
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🌟【配布資料】🌟
        【2024. 5/25】
〖別院さんの土曜法話会〗
🟪『歎異抄』第四章「苦を抜き楽を与える」
       同朋大学 市野智行
【第四章】
【本文】慈悲
🟨慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、 はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。
浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりた る大慈悲心にてそうろうべきと云々
      『聖典』628/769頁

❇️【語句説明】❇️
🟩慈悲 ➡️ 仏の衆生に対するいつくしみ、憐れみの心 抜苦与楽

🟩聖道・浄土 ➡️ 自らの力によって、さとりを開くことを目指す聖道門と、阿弥陀仏の本願によって往生浄土を願う浄土門

🟩かわりめ ➡️ 違い目/変わり目 違い目は違うもの 変わり目は変わっていく⇒〖こちらが正しいのでは?〗

🟩もの ➡️ 衆生一切の存在

🟩利益 ➡️ 人々を救済する、導く

🟩今生 ➡️ この世。迷いの境界

🟩不便 ➡️ かわいそう 憐れに思う

✡️【口語訳】✡️
🟥「慈悲」の見解において、聖道門と浄土門では相違があります。
自力聖道門の慈悲というのは、一切の有情を憐れみ、いとおしみ、守りそだてることであります。
しかしながら、思うがままに救済を果たすことは極めて難しいことであります。
他力浄土門において、慈悲という場合には、念仏して、ただちに仏と成って、大いなる慈悲をもって、思い通りに衆生を済度することだと言ってよいでしょう。
この世においては、いかにいとおしく思い、かわいそうに思っても、意のままに救うことは到底かなわぬゆえ、聖道門の慈悲は、所詮、中途半端なものであります。
ですから、念仏を申すことのみが、徹底した大慈悲心であるというべきであります」と親鸞聖人はおっしゃいました。
🌟神戸和麿 『歎異抄に聞く 本願の生活者』 285~286頁

✡️【四・五・六章の担う課題: 座談編】
■第三章の結びの言葉と第一・第二・第四以降との他との違い。(十章も三章と同じ)

🔶「 おおせそうらいき」→と、おっしゃった。

🔶「云々」➡️ 後の文を省略する意

➡️ 一章・二章・三章で、一つの結びとなっている。四章から新たな展開となる。

○一・二・三章➡️【安心】浄土真宗における信心の課題。誓願・念仏・往生。

○四章以降➡️【起行】 信心の課題を担う実践の面。その歩みにおける課題。

🟦四章→ 慈悲を課題とする 慈心不殺

🟦五章→ 父母の孝養を課題とする 孝養父母

🟦六章→ 師と弟子を課題とする   奉事師長
→ 『観経』序分『聖典』94/102頁

🌟『仏説観無量寿経』
🟨序分→ 王舎城の悲劇 (阿闍世王の説話)

❇️韋提希➡️ 観経の主人公 阿闍世に幽閉され、苦しみに直面する

❇️頻婆沙羅王➡️ 阿闍世に幽閉される篤信の仏教信者

❇️阿闍世➡️ 父を幽閉し、自らが王と為ろうとする

(1) 阿闍世に幽閉され、苦しみの中にいる韋提希(禁母縁)

(2) お釈迦様に苦悩を述べ、清らかな世界を求める
(清浄業処・🔶通請/厭苦縁・欣浄縁)
【光台現国】

(3) お釈迦様の無言の説教により、目指すべき方向が定まる
(阿弥陀仏所・🔶別選/欣浄縁)

(4) 阿弥陀の浄土へ行く方法を尋ねる

それに対する釈尊の応答が、次のように説かれている

🟨一つには、父母を孝養し、師長に奉事し、慈心ありて殺せず
→ 世福(仏自説)➡️ 人の心を開発するため

🟩孝養父母➡️:第五章
🟩奉事師長➡️:第六章
🟩慈心不殺➡️:第四章

⭕『観経』の展開では、韋提希の阿弥陀仏の浄土へ行き方を問う → それに対する釈尊の応答

⭕人が生きていく上で、見つめ直さなければならない課題。出来ていると思う心。

⭕世間を離れた仏教はない。けれども出世間として教えとなる。

◎つまり、四章以降は、現実の課題に親鸞聖人が応えていくという背景があることを念頭に置かなければならない。
慈悲を課題としていた人に対する、親鸞聖人の言葉として受け取っていく。

✡️【慈悲について】✡️

■本文における「慈悲」と「大慈大悲心/大慈悲心」

⭕聖道 → 慈悲
⭕浄土 → 慈悲 → 大慈大悲心/大慈悲心

■慈悲と抜苦与楽
🟨慈 マイトリー 【maitri】

⭕友情 地獄「我、今、帰するところなく、孤独にして同伴なし」(友のいない世界)源信
🟩与楽(楽なることを与える)

🟨悲 カルナー 【karuna】

⭕うめき ひきさかれるという悲
🟩抜苦(苦悩を除く)

『大智度論』
🟨大慈とは一切衆生に楽を与え、
🟨大悲とは一切衆生の苦を抜く
「巻二十七」『大正蔵』25.256b

⭕慈は与楽/悲は抜苦

⬛三慈悲

🟩『浄土論註』真聖全1288 (もとは『大智度論』)
🟨慈悲に三縁あり。
一には衆生縁、これ小悲なり。
二には法縁、これ中悲なり。
三には無縁、これ大悲なり。
大悲は、すなはち出世の善なり。
安楽浄土は、この大悲より生ぜるが故なり。
故にこの大悲をいひて、浄土の根となす。

🟩『 大智度論』大正蔵25巻350 b
🟨慈悲心に三種あり、衆生縁・法縁・無縁となり。
凡夫人は、衆生縁なり。
声聞・辟支仏及び 菩薩は、初めは衆生縁にして、後は法縁なり。
諸仏は、善く畢竟空を修行するが故に、名けて無縁と為す

🟥衆生縁➡️ 小悲 凡夫の慈悲で衆生に対しておこす慈悲

🟥法縁➡️ 中悲 仏法によって照らし出されることを意味する慈悲

🟥無縁➡️ 大悲 あらゆる差別の見解を離れ、縁の無い所にもおこる仏の慈悲

🟩『観経』第九真身観『聖典』106/115頁
🟨仏心というは大慈悲これなり。
無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂す
⭕諸々の衆生を摂め取って捨てない仏の心を大慈悲という

➡️ 三つの慈悲が「縁」という言葉で表わされている点に注目

⭕聖道の慈悲は、人が人を憐れみ育む縁 → 小悲
⭕浄土の慈悲は、縁無き人をも照らす仏の慈悲 → 大悲

✴️※仏道を求める者(三乗)が「初めは衆生縁にして」とあることを考えると、聖道の慈悲を出発点に見ていく必要があるのではないか

✴️※「かわりめ」をどう考えるかが、一つのポイントとなる。

✡️【かわりめについて】✡️
■「違い目」と「変わる時」

Q、「かわりめ」とは?
A、相違点
⭕聖道と浄土には違う点がある。
同じものではない。

➡️ 聖道 ×  浄土○
➡️ 廃立を立場とし、聖道を廃すべきものとして捉えていく理解

🌟「分別」を龍樹菩薩は「非実」と言われた。

➡️ 木越康『ボランティアは親鸞の教えに反すのか』

B、ある状態から、別の状態へ変わる境

⭕慈悲として、地続きであるところの変わり目。
➡️ 小慈悲から、大慈悲への目覚め
➡️ 聖道の慈悲から、他力の慈悲へ帰入していくプロセスとして

【例】曇鸞『浄土論註』『聖典』275/314頁
🟨蟪蛄(けいこ)春秋を識(し)らず、伊虫(このむし)あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや、というがごとし。知る者、これをいうのみと

→ 蝉は夏のことを知っているように思うが、春秋を知らないのだから、夏も知るはずが無い。
夏を知っているものが、このようにいうのである。

➡️ 聖道を知らなければ、浄土を知ることもない。

■方便として「慈悲」を考える
⭕小慈悲から、大慈悲への転換
🟩『教行信証』化身土巻
🟨横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり
『聖典』 341/399頁

➡️ 三福(慈悲を含む)は自力仮門であり、「定散二善を回して」(唯信鈔文意) 他力弘願に帰すべき内容としておさえられていく。

※『歎異抄』では、大慈悲は「大慈悲心」と「心」の字が加えられている。その心とは、
🟨仏心というは大慈悲これなり。
無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂す
という無縁の大慈悲心であり、その仏の大慈悲心に帰すべきことが勧められているのである。

✡️【大悲と抜苦与楽】✡️

■抜苦与楽と大悲
⭕『大智度論』
🟨慈→ 与楽
🟨悲→ 抜苦
⭕曇鸞の理解を引用する親鸞 『教行信証』「証巻」
    『聖典』293/336頁
🟨苦を抜くを「慈」と日う。
🟨楽を与えるを「悲」と日う

⭕慈→抜苦 悲→与楽

🌟菩提心を与える ➡️ 妙楽勝真心

🟩曇鸞の言葉 
🟨楽に三種あり 『教行信証』「証巻」『聖典』295/339頁

⏹️外楽(げらく)
🟩五識所生の楽なり → 五識 眼・耳・鼻・舌・身

⭕外とは、対象としての楽ということ。見て・聞いて・食べて・良い匂いなどなど
⭕ただし、それは、一時的な楽でしかない。苦と表裏一体。
⭕不変ではない

⏹️内楽(ないらく)
🟩初禅・二禅・三禅の意識所生の楽なり
⭕禅定という意識の内に止観を求める世界。禅定に入る時は喜びを生ずる。
⭕内面的な楽・精神的喜び
⭕段階的説示からみるに、向上する喜びとも言える。自分自身が向上していく。
⭕時として排他的となる。他者よりも上に。
⭕他者との共存ができない世界。
⭕普遍ではない

⏹️法楽楽(ほうがくらく)
🟩智慧所生の楽なり。この智慧所生の楽は、仏の功徳を愛するより起これり。
🟩この楽は仏を縁じて生じるをもっての故に →  仏縁 → 大慈悲心
⭕智慧とは仏の智慧を意味する。
私たちから起こるものは、外楽と内楽。
⭕仏の智慧・功徳を求めるという喜び・楽。
✴️不変であること・・・・・・ いつまでも変わらない。右往左往しない。
✴️普遍であること・・・・・・・独りよがりでない。平等である。仏に縁じるによって生じる

⭕智慧とは、忍とも言われる。
有頂天にならず、忍ぶという在り方。

🟧自分自身の苦や都合と向き合い、課題として担う事の出来る世界であると言えよう。
🟧宮城あきら先生「いろんな人生の事実も、事実として受け入れていける。そして、そこにみな共にうなずき合っていける。そういう世界を開くのが極楽という世界」
🟧一楽先生「一生かけてやらねばならない仕事を見つけるということが救いと言えるのではないか」
     【終了】