【質問】

あなたの親鸞会を除名された真相について、教えて下さい。

【回答】

昔【2009年 】「さよなら親鸞会」を運営されている方より、依頼をされて書いた私の原稿がありますので、仏縁にならないかも知れませんが、参考まで紹介します。
🟥http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2009/03/post-c736.html

1️⃣清森義行氏の除名の真相(1)

清森問答で有名な、清森義行・元講師から、除名の経緯について投稿をいただきました。

これは私ぶるうのから、多くの学徒に慕われ、教学力も並外れており、さらに説法上手でも有名だった清森さんが、なぜ学院研修から退部、除名になったのか、是非その背景を教えて欲しいとお願いし、書いていただいたものです。

親鸞会が長年、会に尽くしてきた人にどんな仕打ちをするのか。
また、何をタブーとしているのか、この投稿を読めば、分かっていただけるかと思います。
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顕真学院へ再研修になった最初のきっかけは、不倫疑惑事件から局長が復活した、二週間後ぐらいの時です。

当時、S講師が担当だった奈良のT夫妻から、支部長として、招待法話を受けておりました。
その頃は他の三支部からも、招待を受けていましたので、他の講師部員から、妬みの対象になるのではないかと、嫌な予感もしていました。

しかし、丁度、不倫疑惑事件の直前で、局長が殆ど、支部長に関与出来ない状況であり、断ることも出来ませんでしたので、受けておりました。

奈良での勉強会の内容は、講師部講義で聞いた内容で「土蔵秘事とそれに類するものと、真実信心との違い」でした。
その時は、自ら講義を録音しており、そのテープをT夫妻にも差し上げていました。

高森先生の言われた通り、話をしたつもりでしたが、
「土蔵秘事とそれに類するもの」と言うべきところ「華光会」という言い方をした、ということで、S講師が局長に報告しました。

その後、まもなく、講師長から本部会館に呼び出され、局長と講師長の二人より厳しく詰問されました。色々と注意をされましたが、問題点の結論は、華光会の名前を出したことでした。

それが原因で、今後、説法は10分説法のみ、勉強会は中止、招待法話も禁止処分となり、講師部でありながら、ビデオご法話のみ、という活動になってしまいました。

局長からは『君が土蔵秘事とそれに類するもの、と言うべきところ、華光という名前を出したことが問題だ。もし華光という言葉を使わなければ、問題にならなかった』といわれ、高森先生の言われる通り、忠実に話をしていない点が厳しく処分を受ける点でした。

この時の会合は、録音しておりましたので、それを提供し、テープ起こしをO講師がして、分かったことは、華光会という言葉が4回出ていたことでした。

確かに高森先生は講師部講義では言われませんでしたが、当時、講師部員で「土蔵秘事とそれに類するもの」といえば、華光会しか思い浮かびませんので、名前を出すことが悪いという感覚は全くありませんでした。

その頃の私は、まだ華光会のことをよく知らなかったので、どうしてこれほど、厳しい処分を受けるのか、正直、信じられませんでした。

しかし、上司の指示に無条件で従わなければならないのが、講師部の任務です。
この心の苦しみを誰にも言うことができず、一人胸にしまい、真面目に頑張っていれば、いつか許される、説法ができると信じ、親鸞会を信じて、活動を続けていました。

そのあと、日程表の単純ミスが直接の原因となり、学院送りとなりました。

2️⃣清森義行氏の除名の真相(2)
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再研修での学院では、厳しい一年間でした。

講師部として、20年も続けた私が、若い学院生と一緒に活動する。

言葉で書くのは簡単ですが、20歳以上も離れた若い学院生から、毎日のように注意を受けることは、本当に厳しいものがありました。

それでも、学院で頑張ろうと思ったのは、講師部に戻りたい。信心決定したい。親鸞聖人のみ教えをお伝えしたい。ただそれだけでした。

講師部時代で起こした問題で、特に大きなのは、七祖聖教を読んだこと、過去に個人の説法を録音したものを会員に配布したこと、他の講師があまり話をしないこと(高森先生が過去、講師部講義、教学講義で言われたことですが)を話をしたことです。

時間をかけて厳しく問題にされたのは、自分の説法を録音したものを会員に配布したことで、華光会の名前を出したことは、全く問題にもされませんでした。

以前は、講師部員が説法の録音を配布することは、奨励されており、活動費でダビング専用の機械も購入されていました。

他の講師部員の説法テープが、学生には大量に出回っていたのに、なぜ私だけが、こんなに問題にされるのだろう、と思いました。

平成16年4月より、一年間の学院生活でしたが、17年3月に局長、学院長と学院教授からは、君は講師部員の資質がない、と断定されました。

「何とか講師部に復帰したい」
「もう少し頑張らせてください」
と、いくらお願いしたか、分かりません。

しかし、私の思いは認められませんでした。

その中でも高森先生には、分かって頂きたいという気持ちがあり、その時は、高森先生なら分かってもらえるという気持ちがあったので、
「講師部をやめることは、自分が死ぬことと同じだ。」
「人生をかけて講師部の道を全うしたい」
その気持ちを、ぜひとも分かってもらいたいと、自分の気持ちを正直に書いて手紙をお出ししたいと思い、書きましたが、手紙は学院長にチェックされ、女々しいことを書くな、と注意を受けました。

「ものを言え、ものを言え、ものをいわぬはおそろしきなり」という教えなのに、自分の気持ちも書くことさえできない。

今の自分の苦しい気持ち、悲しい気持ち、やりきれない気持ちを分かってもらうために手紙を書くことさえも許されない。この状況にやるせない思いになりました。

手紙の内容もチェックされて、泣き泣き「自分には講師部員の資質なし、とハッキリ知らされたので自分の意思で講師部を退きたい」旨の手紙を、強制的に書かざるを得ませんでした。

その後、17年4月より、心機一転、新しい気持ちになって、ビデオ講師部員となり、配属は東北担当となりました。収入面では最も厳しい場所でした。

理由を当時の学院教授に聞くと、清森は厳しい環境におかねばならない、という局長の意向だったようです。
ちなみに上田君も、私と同じ理由だと聞かされました。

ビデオ講師時代には、仙台で2年間、活動しました。

講師部に倣い、ビデオ講師にも講制度が出来て、顕正人数を上げると、普通は講が上がれるのですが、私の場合は東北大学で目標を達成し、成果をあげても、全く講が上がることはありませんでした。

その理由も、ビデオ講師長から発表されましたが、当時、日報で書いた内容で、四不十四非、という言葉を書いたことが大問題だということでした。

罪の重さについては、どれだけ厳しく処罰されてもされすぎることはないが、お慈悲で東北大学での成果を挙げたのが考慮され、講は下がらなかった、とのことでした。

「四不十四非」という言葉は、内容は、なぜ生きるにも掲載され、なぜ生きる懇親会で、渡部弘宣部長が全体の前で発表して使われていた言葉だったので、私も使って構わないと思ったのですが、私が使うのは駄目だということです。

しかも、この件について、高森先生にお詫び状を書こうとしたところ、それは止められました。
講別は高森先生が決められることになっていましたし、いわば「降格」になるほどの問題を起こしたはずなのに、なぜ書いてはならないのか?

もしかして、高森先生の知らないところで、勝手に決めているのでは無いかと不審に思いました。

3️⃣清森義行氏の除名の真相(3)
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その後、齊尾君から、上田君の説法テープを聴かせてもらい、除名になった件については「除名の真相サイト」に書いてある通りです。

書かれていなかったことを、詳しく申しますと、F講師と齊尾君との法論で、F講師が不利になっていくにつれ、私が関わっているのではないかと、不審をもたれるようになりました。

19年2月にビデオ講師部合宿で上田君が大問題を起したことが発表され、その数日後、突然、K学友部長から電話があり、話がしたいとのことで、山形まで来ることになりました。

ちょうど、仙台から、山形までビデオご法話に行ったときで、ホテルに宿泊するように言われ、夜10時から、朝10時まで徹夜で、無理やり、私が上田君の説法テープを聴いていたことを吐かせました。

上田君の説法は、高森先生を誹謗する恐ろしい内容だと悪口を吹き込まれ、高森先生と上田君の両方から、話を聞きたいと言っても、受け入れてもらえず、二者択一を迫られ、両方から、聞くことは絶対に許されませんでした。

その頃は上田君は話が抜群にうまい、という感想程度で、半信半疑の状態でした。
それで仕方なく、高森先生お一人から聞きます、という内容の誓約書を書かされました。
書き終わった後、W弘宣部長に連絡をして、一安心をしたようでした。

19年3月でしたが、本部に行き、上田君事件の責任者であるW弘宣部長を中心にして、まず私のパソコンの過去ログを調べられ、齊尾君から、法論の記録を受信していたことの履歴が見つかり、厳しい尋問を受けました。

その翌日、チューリップビルに呼び出され、W弘宣部長、K学友部長、O学友部長、H講師の四人から、厳しい詰問を受け、上田君のデマを散々に聞かされました。

二日間、監禁に近い状態で機責めのような状態に追い込まれました。

例えば、
「法謗罪だぞ!地獄へ堕ちるぞ!先生のご恩を知らないのか!上田は異安心だ!」
そんな異常な状態が、ずっと続きました。

このようなことを書くと、読んでいる方は、常識から考えて、そんなことをするなんて信じられない、と思われるかも知れません。

しかし、中にいる人から見れば、これくらいは会を守るために当然の行為だったと思います。

そのようなことが続き、さすがに心に動揺が起きて、彼は異安心でないか、と不審が起きました。
そして、携帯電話を突きつけられ、
「大罪を反省したなら、上田から話を聞いている会員さんに電話しろ!」と電話をさせられました。

取調べの当日の朝、上田君の除名が通達で流れ、先生に報告された文面をW弘宣部長より見せてもらいました。

今、思えば、全くの事実無根の内容で、これを高森会長が読めば、事情を知らなくても、除名の承認印を押すだろうと思いました。

学院長から、いつも「高森先生はウソが大嫌いな方だ」と聞いていましたが、いつも高森先生を善知識を仰いでいるはずの人たちが、都合が悪いことになると、高森先生にさえ、平気でウソをつく体質があることに、この会は何のために存在しているのだろうかと思います。

局長から、ビデオ講師退部宣告の際に言われたことは、
「君はビデオ講師としては不適格だ。君の狂った姿勢を総懺悔して、一年間、見てみる。それで反省が出来たならば、先生にお伺いをしてやる」といわれました。

まるで自分が会長気取りで、この局長の言葉で、今は完全に人事権を握っているのだな、と思いました。

当時の私は、局長の指示で、持っていた貯金も、なかば強制的にご報謝させられ、妻と子供2人もいる中、貯金も無く、失業保険も無い。
職歴も資格も無く、あるのは親鸞会という宗教団体に所属していたという就職に不利な条件を抱え、親鸞会から放り出されたのでした。

その時は、こんなことをされたのも、自分が悪いんだと自分を責めましたが、今から思うと、弥陀の大慈悲を教える団体によって、本当に血も涙もない無慈悲なことをされたのだと思います。

4️⃣清森義行氏の除名の真相(4)
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その後、上層部の言っていることが本当なのか、知りたくて、電話で徹底的に上田君に質問しました。

毎日、何時間もの時間を使って、上層部が言っていることの事実の確認、上田君が真実信心であるか、どうか、真宗聖典の色々な難しい箇所や、親鸞会では回答が到底、得られなかった仏教の疑問をぶつけました。

約一週間ほどで、今回の除名は明らかに、上層部の捏造であることが確信できました。

その当時、F講師と斎尾君との法論で、F講師が法論に敗北を喫していた頃でした。
おそらく除名が決定的となったのは、上田君の除名の真相がネットに上がり、私が上田君の信心は真実信心だと思う、という内容がアップされたことが除名の直接の機縁になったのでは、と考えています。

しばらく親鸞会は、教えは正しいが、組織が腐っているだけ、会に色々問題はあっても、高森先生は素晴らしい善知識だと思っておりました。

しかし、自由に仏書を読むことが出来ることが縁となって、今まで気が付かなかった親鸞会の教義の矛盾点、問題点がどんどん浮き彫りとなって、親鸞聖人のみ教えと、大きな隔たりがあることが知らされました。

親鸞聖人のみ教え、お書き下された御聖教を正しく学べば学ぶほど、親鸞会は、名前は親鸞とつけてあっても、実態は、親鸞聖人のみ教えとは、真逆な、正反対のことを教えていることが知らされます。

私の今の願いは、一刻も早く、親鸞会が間違った教義を改め、会員の皆さんが、正しい親鸞聖人の教えを聞かれるようになることです。
そのためにも、まず、今の軍隊組織は解体すべきだと思います。

それが出来ないのであれば、親鸞会は、自ずとその歴史を閉じることになるのではないでしょうか。

    【終了】