2️⃣🌍️【2024年5月12日 (日)】
❇️芦屋仏教会館【公開仏教基礎講座】午後1時30分~3時
❇️講題:『観無量寿経』を読む(5)
❇️講師:浄土真宗本願寺派総合研究所研究員・京都女子大学講師
    那須 公昭 先生
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🌍️【配布資料の続き】🌍️

🌃『観経』得益分
🟨この語を説きたまふ時、韋提希、五百の侍女と共に仏の所説を聞き、時に応じて、すなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。
🟨仏身および、二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生じて未曾有なりと歎ず。廓然(かくねん)として大悟して無生忍を得たり。 (註釈版、116)

🟩「釈尊がこのようにお説きになると、韋提希は五百人の侍女と共にその教えを聞いて、たちまち極楽世界の広大な、すぐれた光景を見たてまつった。
🟩更に阿弥陀仏と観世音・大勢至の二菩薩を見たてまつることができて心から喜び、これまでにはない「尊いことである、とほめたたえ、すべての迷いが晴れて無生法忍のさとりを得た。」(現代語・211)

➡️ この『観経』の説法を聞いて、韋提希は無生法忍を得たと説かれているから

【※図表2】

🌟無生法忍
🔷『仁王経』などに説かれる、五忍【伏忍・信忍・順忍・無生法忍・寂滅忍】の中の一つ

⏹️伏忍➡️ 煩悩はあるが、コントロールされて、表にはあらわれない三賢位の菩薩

⏹️信忍➡️ 無漏の智慧を開いて、無生(不生不滅)の道理に決定している、初地~三地の菩薩

⏹️順忍➡️ 四地~六地の菩薩

⏹️無生法忍➡️ 実相をさとり、無生無滅の真理をさとっている、七地~九地の菩薩

⏹️寂滅忍➡️ 十地の菩薩

🔘諸師の章提希理解 (まとめ)

🔷韋提希は、そもそも順忍という物凄い高い位の菩薩にいたけれど、さらに高い境地である無生法忍という、さとりを得るために、凡夫を教化する、という利他の働きを行っている仮のすがたであった、とみる 。

➡️ 普通の凡夫が、どれだけ修行をしようと、無生法忍のさとりを得ることはできないと諸師は考えていた。

2️⃣2. 善導大師の「韋提希」観

※図表③

⏹️「序分義」
🟨五に「仏告韋提」より下「令汝得見」に至る、このかたは、正しく夫人は、これ凡にして、聖にあらず。(中略)これ如来、衆生、惑いを置きて、夫人はこれ、聖にして、凡にあらずといいて、疑を起すによるが故に、すなわち自ら怯弱を生じ、しかるに韋提は現にこれ菩薩にして、かりに凡身を示す。われら罪人、比及するに由なしということを恐る。
この疑を断ぜんがための故に「汝是凡夫」とのたまうことを明かす。「心想羸劣(るいれつ)」というは、これ凡なるによるが故に、かつて大志なし。
    (『註釈版七祖』390頁)

⏹️『般舟讃』

🟨韋提は、すなわち、これ女人の相 [願往生] 貪瞋具足の凡夫の位なり [無量楽]
     (『註釈版七祖』791頁)

⭕『心地観経』などでは、確かに韋提希を聖者とみるが、
『観経』の韋提希は、阿闍世にしてきた自らの行いを恥じることをせず、号泣して釈尊に無理難題を言うなどの姿は、全く菩薩らしい姿ではない。
⭕そこで、善導大師はあくまで『観経』の意を受けて解釈するから、韋提希は凡夫である、と主張する

⬛韋提希が得た無生法忍の位置づけ

⏹️「序分義」
🟨「心歓喜故得忍」というは、これ阿弥陀仏国の清浄の光明、たちまちに眼前に現ず、何ぞ踊躍に勝へん。この喜によるが故に、すなはち無生の忍を得ることを明か す。(中略)勇猛専精にして、心に [仏を] 想いて見る時、まさに忍を悟るべし。これ多く、これ十信の中の忍にして、解行以上の忍にはあらず。
(『註釈版七祖』三九○頁)

➡️ 善導大師は、この「無生法忍」を十信の中の忍であって、解行(十住や十行以上)の位の菩薩が得る利益ではない、とみた。

🌟深川倫雄和上『観経疏序分義講讚』
🟩諸師の誤謬を破し、弥陀法の所被の実機が愚凡の罪人にあることを顕されるため。それは機の分斉のことだけでなく、浄土教の本質である他力摂生の義を明らかにする。

3️⃣3. 親鸞の「韋提希」観

『教行信証』総序
🟨しかれば、すなわち浄邦縁熟して、調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。
浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。
これすなはち、権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。 (『註釈版』131頁)

🌟『浄土和讚』讃弥陀偈讃

🟨阿弥陀如来《観世音菩薩 大勢至菩薩》
🟨釈迦牟尼如来《富楼那尊者 大目犍連 阿難尊者》
🟨頻婆娑羅王《韋提夫人 耆婆大臣 月光大臣》
🟨提婆尊者《阿闍世王 雨行大臣  守門者》
      (『註釈版』565頁)

🌟『浄土和讃』観経讃
🟨弥陀・釈迦、方便して 阿難・目連・富楼那・韋提
🟨達多・闇王・頻婆娑羅耆婆・月光・行雨等
    (『註釈版』570頁)

⭕親鸞聖人は韋提希をはじめ、『観経』の登場人物を「権化の仁」「弥陀・釈迦如来」の方便の姿として捉えている
⭕仏・菩薩が仮に姿を変えて、この世に現れた人であると見られた。

⏹️※『安楽集』
🟨ここをもつて、韋提大士、自ら及び、末世の五濁の衆生の輪廻多劫にして、いたづ らに痛焼を受くるを哀愍するが故に、よく仮に苦の縁に遇いて出路を諮開す。
しかれば、大聖弘慈をもって、勧めて極楽に帰せしむ。
    (『註釈版七祖』184頁)

🌟「化身土文類」
🟨「汝是凡夫・心想贏劣」といへり、すなわち、これ悪人往生の機たることを彰すなり。
      (『註釈版』382頁)

➡️ 宗祖は、この凡夫こそ、弘願所被の機、往生の正機とされる。

✡️大原性実和上『善導教学の研究』
🟩諸師の大菩薩なり、という説と道綽や、宗祖の権人と見る説とは同一ではない。
🟩寧ろ後者と善導の実凡説とは、その軌を一にする。
🟩道綽や宗祖の権人説は、内徳に約して見るのであって、その意は仏の救済意志の顕現を韋提の上に見て、仏によって動かされている人、即ち権化の人と見られたからである。
🟩故に、この立場より見れば、実凡のまま、権者である。

⭕浄土真宗での『観経』韋提希の位置づけ

🟧親鸞聖人は善導大師が強く主張される、韋提希実凡説をうけつつ、道綽禅師が示されたように、仏の救済意図を顕された存在である「権化の仁」として韋提希を捉えられた。
🟩この「権化の仁」とは、さとりを完成した方が、さとりの必然として、大悲教化の活動を示されている還相の菩薩のありようである。
🟧それは、まさに利他の活動があらわれた姿であり、韋提希は私たちに率先して、凡夫のありようを示してくださっているのである。

🌟【図表①】
【序分の構成(善導大師がみた『観経』)】

序分➡️🟨証信序
    🟨発起序
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🟨化前序
🟨禁父縁
🟨禁母縁
🟨厭苦縁 悪い子を授かったのはなぜ?
🔷諸師の序分は、このあたりまで
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🟨欣浄縁⇒ 韋提希、西方浄土を選ぶ

🟨散善顕行縁
⏹️三福を説く(釈尊の説きたい教え)
🟨定善示観縁
⏹️観を説く(韋提希の要請に応える)

🌟【図表②】

✡️五忍の配当は『仁王経』及び諸師

❇️【菩薩の五十二位】
🟨妙覚
🟨等覚
🟨十地
🟩二地
🟩初地=不退転
🟨十回向
🟨十行
🟨十住
🟨十信 ※無生法忍

❇️【任王経】
1️⃣寂滅忍
2️⃣無生法忍
3️⃣順忍
4️⃣信忍
5️⃣伏忍

🌟【図表③】

✡️韋提希をどう捉えるか✡️

⇒ 菩薩としての修行を積んだ聖者だ。韋提希は第七華座観で、上品上生の者だけが得られる無生法忍を得たからだ。

🌎️【善導大師】
❇️韋提希は凡夫です❇️
⇒ 心想贏劣の凡夫と、お釈迦さまが仰っているではありませんか。

⇒ イダイケは、十信位【凡夫位】で、無生法忍を理解された。
      【終了】