🟨②パッタカンマ経【適業経】在家にピッタリの説法【成長を阻む五つの障害〖五蓋〗貪蓋・瞋蓋・惛眠蓋〖惛沈と睡眠〗・掉悔蓋〖掉挙と後悔〗・疑蓋】疑蓋無雑は九か所【令和6年05月10日】
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🟥https://youtu.be/vJSPtSDjbGE?si=E6L2V6g5Nd9OyXLe

🌉🌠2️⃣パッタカンマ経【成長を阻む五つの障害】
🌟在家生活を送る一般の人々が陥る「精神的な病」について、お釈迦様はどのように説かれたのか?

🟪お釈迦様は『パッタカンマ経』【増支部四集】に、在家信者の幸福論を分かりやすく解説されています。

🔶在家信者が求める四つの目標と、その期待に叶える四つの方法を説いた後に、お釈迦様は、在家生活を送る一般の人々が陥ってしまう「精神的な病」の分析に入られます。

🌠病は五つありますので、簡単に説明をします。

【1️⃣】貪蓋(とんがい)〖異常欲〗
🟨『異常欲に抑えられた意志で生活をすると、行なってはならないことを行ない、行なうべきことを行なわないで、名誉と幸福は破滅する』【ブッダ】

🔶お釈迦様は、在家の人に対しては『欲は全面的に禁止です!』とは言われずに、
「非論理的な、非社会的な、異常な欲は止めなさい」と教えられました。
🔷ごく一般的な常識的な欲については、何の文句も言われておりません。

🔶問題は、常識的な欲も気を付けないと脱線して、異常欲に変わってしまうことです。
例えば、若い男性が女性に声を掛けるのは普通の欲です。
🔷しかし断られても、しつこく付きまとってストーカーになるのは危険な異常欲なのです。

🔶幸福になりたければ、欲が理性の範囲内で、具体的な必要の範囲に収まるように気を付けておくことが、大切です。
🔷言い方を変えれば「具体性のない欲の妄想はお止めなさい」ということです。

🔶理性を失って回転する「妄想」こそが、あらゆる精神的な病いの原因なのですから。

【2️⃣】瞋蓋(しんがい)〖異常な怒り〗
🟨『異常な怒りに抑えられた意志で生活をすると、行なってはならないことを行ない、行なうべきことを行なわないで、名誉と幸福は破滅する』【ブッダ】

🔷異常な怒りとは、理由もなく、心が怒り、憎しみで支配されていることです。
🔶怒りが癖になって、何に対しても怒りの反応をしてしまうのです。

🔷真面目に仏教を実践していきますと、自分はこの「異常な怒り」の性格を持っているぞ、と気づく方々もいます。
🔶気づいたら、安心です。気づくのは、有難いことです。気づけば、どんどん「異常な怒り」は弱まり、治っていきます。

🔷理由があって怒るのと、理由がなく怒ることは、随分、違います。
🔶理由があって怒った場合は、理由がなくなると怒りは消えます。

🔷心に理由のない怒りのループに嵌(は)まると危険です。言い方を変えれば「具体性のない怒りの妄想を止めなさい」ということになります。
🔶異常な怒りは、精神的な病いになる原因なのです。

【3️⃣】惛眠蓋(こんみんがい)
惛沈(こんじん)〖心が落ち込み・鬱(うつ)のような状態〗と睡眠(すいみん)

🟨『惛沈・睡眠に抑えられた意志で生活をすると、行なってはならないことを行ない、行なうべきことを行なわないで、名誉と幸福は破滅する』【ブッダ】

🔷惛沈・睡眠とは、心が明るく活発でないこと。
🔶いつでも身体はだるい、眠たい気分で、あまり身体を動かずに、じっとしていたい、外に出たくないと、引きこもりがちになることです。

🔷欲や怒りのようなネガティブな活発性さえもない「無知」の状態に陥ってしまうことです。眠ることが趣味になってしまいます。
🔶人がこの眠気病にかかったら、自分の成長への梯子(はしご)を外すことになります。

🔷この精神状態を放っておくと、必要な社会的義務を果たせなくなり、無気力でいる内に、本人が社会からも捨てられてしまいます。

4️⃣掉悔蓋(じょうけ・がい)
掉挙(じょうこ)〖浮つきや焦り、集中力がなく興奮している状態〗と後悔〖過去を悔いる〗

🟨『掉挙・後悔に抑えられた意志で生活をすると、行なってはならないことを行ない、行なうべきことを行なわないで、名誉と幸福は破滅する』【ブッダ】

🔶掉挙というのは、掉はさお、あがる、挙は選挙のあげる、という意味。
🔷興奮、混乱状態で、ウキウキ状態で、心が落ち着かないこと。精神が不安定の状態です。

🔶後悔というのは「あれも出来なかった、これも出来なかった」と、過去の事ばかりを考えて、今の目の前の仕事をしない。
🔷過去の過失、過ちについて後悔すると精神的な病気に陥ります。

🟨掉挙は、未来のことを妄想して、心が焦ることです。
🟨後悔は、過去に引っ掛かって、心が暗くなることです。

🔶どちらにせよ、「今」から離れ「今するべきこと」を怠っているのです。
🔷掉挙も後悔も、精神的な病いに陥る原因なのです。

🔶「犯した罪に対して、悔い改めるべきだ」という一般論は、くよくよ後悔することだ、と勘違いされています。
🔷仏教の認める「反省」とは、「二度とこのようなことはしません」と理性に基づき、問題を分析して、自分を成長させることです。

【5️⃣】疑〖因果の法則が分からず、頭から真理を否定したり、鵜呑みにしたりすること〗

🟨『疑に抑えられた意志で生活をすると、行なってはならないことを行ない、行なうべきことを行なわないで、名誉と幸福は破滅する』【ブッダ】

🔶五番目は「疑」です。疑は二種類あります。
🔷まず理性のある人の『疑』とは、何でも鵜呑みにしないで、調べて確かめるまで、結論や判断を保留にすることです。

🔶これは正しい疑です。
🔷英語で言えば「reasonable doubt 」であって、仏教が認める立派な態度です。

🔶一方、悪い『疑』は、知識、能力、理性の不足によって現れる「無知の疑」です。
🔷ただ、ゴチャゴチャと混乱した頭で、疑心暗鬼になって疑うことは悪なのです。

🔶理性のある人が疑うことは、きちんと調べた上での疑だから、善い行為の疑です。
🔷疑という病気で悩んでいる人は、何か問題が起きたら、正しい判断が出来なくなります。

🔶人の話を聞いても勉強しても、「そうかも知れないし、違うかも知れない」と曖昧な気持ちになるばかりで、自分自身が何を考えているのか、どんな意見を持っているのか、自分でも分からないのです。

🔷人生では、次から次へと問題が起きるので、すぐに判断をして行動を取らなければなりません。
🔶「無知の疑」があると、態度が、どんどん後ろ向きになって、いつまで経っても何も出来ない状態になります。

🔷「あれや、これや」と問題をあげつらって、ぐずぐずとやるべき仕事をしない。
🔶それで「名誉と幸福が破滅する」という結果に陥るのです。

🔷これが、一般的な「疑」の危険性の説明です。

🌠『以上の五つ「五蓋は心の障害・心の汚れだ」と理解する仏弟子は、五つの障害が、心に入らないように努めるのです』【経典】

🌏️この五つの障害(蓋)の教えは、お釈迦様が「重要な教えだ」と言われていますので、皆様も覚えておかれたら、良いかと思います。

🟥親鸞聖人は「五蓋」の教えの大切さをご存知でした。
🟩ですから「五蓋」中の「疑蓋(ぎがい)」を特に取り上げて、🌠🟪「教行信証信巻」には9ヶ所も使われて、「五蓋」を克服するのが本当の幸せであることを詳しく教えられました。

🟧お釈迦様は、普通の在家信者さんが、生活を向上させて幸福に暮らすために、
⬛『五蓋を破るべきですよ』と教えられているのです。
🟨人間のあらゆる成長、全ての成功、一切の幸福に私達は「五つの蓋」をかけて、妨害しているのです。

🔷五蓋は、悟りのための仏道修行を邪魔します。
🔶五蓋が機能しない時に、私達の心が成長するのです。

🟫ですから『この五枚の蓋がなくなると、心はどこまでも成長しますよ』と、ブッダは教えられます。
🟨在家信者への教えだから、といって、お釈迦様の教えは、中途半端ではないところが、ブッダの教えの不思議なところです。

🟧これを在家の私達が実践していきますと、日常生活が成功に達するだけで終わらず、物質への依存を乗り越えられます。
🟩お釈迦様は、心がどこまでも成長する道を教えておられるのです。

🔶「仏道修行」を専らに実践できない在家信者の私達でも五蓋(ごがい)を機能しないようにすることは出来るのです。

🟩例えば、異常な欲と怒りだけを制御しようとする。
🔶欲を理性の範囲内にとどめる。
うっかり怒ってしまっても、瞬時にそれを処理して、異常な怒りに発展しないようにする。
🔷いつでも気をつけておけば、安全です。

🟨🔶惛沈(こんじん)・睡眠状態に陥らないように、いつでも心が活発でいること。
🔷寝るならば、本当に身体が疲れた時に、その時間だけ寝ることにする。
🔶ふと眠くなってきても、何とか眠気をなくして、眠りは夜までお預けにしておく。

🟨🔷掉挙(じょうこ、焦り)や後悔には、絶対に陥らない。
🔶いつでも落ち着いて、前向きに「今、何をすべきか」という思考でいることです。

🔷まだ来ぬ先のことを妄想して焦るのは、禁物です。
🔶「あれをやっておけば良かったなあ」という後悔も、猛毒だと思って「今やるべきことをやるぞ」と決意して断ち切る。

🔷「無知の疑」は無くす。
世の中の出来事は、鵜呑みにしないで、理性で分析して、正しいことを認めるようにする。
🔶ブッダの教えを頭ごなしに否定するのではなく、分からないことがあったら「なぜこのように説くのだろうか」と学んでみる。

🟩🔷それだけで頭も冴(さ)えてきて『心は向上の道に入っていく』とブッダは教えられます。

🔶仏教は智慧の教えです。だから「私達の最も大切な財産、一切の幸福の元となるのは、智慧である」と強調します。
🔷しかし一般の人々にとって最も分からないものも、また「智慧」なのです。

🔶お釈迦様は、この経典で「どうすれば、智慧が現れるのか?」という難しい問題を、いとも簡単に解決されます。
🔷つまり『智慧があることとは、五蓋がないことだ』と仰有るのです。

🔶「智慧」と言われても、一般の人々には雲をつかむような話です。
🔷しかし、お釈迦様は私達が具体的に分かる「五蓋」という汚れが心に入らないようにすれば、そこから「心がどこまでも成長して、智慧が現れるのだ」と励まされるのです。

🔶五蓋という檻(おり)の中で生活をするのではなく、その檻を破ることが、智慧の道なのです。

❇️今日は過去と別れる最後の日
❇️今日は残りの人生の最初の日
❇️今日は幸せを味わう最高の日
❇️今日は運命を切り開く最良の日
❇️今日は誰かを助ける最善の日
     【終了】