2️⃣🌃【2024年5月11日(土)】興福寺佛教文化講座にて聴聞させて頂きました。
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❇️場所・興福寺会館
🌎️🌟第2講 午後2時~午後3時30分
🟨連続講話「『摂大乗論』を読む」
🟨大谷大学名誉教授・小谷信千代先生
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🔷会場は、沢山の人で溢れ、唯識を多くの方が求めておられる姿に感銘を受けました。
🔶小谷信千代先生とは、初めて御目にかかりました。気さくな方で優しそうな先生でした。真宗のお坊さんだそうです。
🔷『摂大乗論』が作られるまでの経緯を仏滅後の根本分裂から、分かりやすく教えて頂き、知らないことが、まだまだ沢山ありました。
🔶続けて聞きたい気持ちになりました。
🔷「唯識説の深層心理とことば: 『摂大乗論』に基づいて」を購入しましたので、しっかりと研鑽したいと思います。
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✡️【配布資料】✡️
✨「唯識説の深層心理とことば: 『摂大乗論』に基づいて」
⏹️著者 ・小谷信千代

【序章】
一 、無著の時代
『摂大乗論』を理解するには、それが著された時代に新興の大乗教団は既成の小乗教団に対して、どのような立場にあったか、そして、無著は小乗教団の仏教をどのように理解し、どのような方策を用いて、新興の大乗教団を仏陀の「正当」の教団へと確立しようと企図したか、大乗興起の時代の状況に関する知識が多少なりとも求められます。

無著は小乗仏教を仏陀の真意を十分に汲むものではないと考えます。
仏陀の教えは深淵であり、それは深い思索によってのみ、証得されるものであるにかかわらず、小乗仏教は、その深淵に達する深い思索の解明に努めず、仏陀の言葉を表面的に文字通りに理解しようとしている、と無著は考えます。

なぜ、彼はそう考えたのか?
そう考えた無著によって著された『摂大乘論』を理解するには、その当時の仏教教団の状況に関する知識が多少は必要になると思われます。
それゆえ、彼の伝記を参考に、その時代の仏教教団の状況を簡単に見ておきたいと思います。

とはいえ、無著個人について記した伝記は現存せず、玄奘の『大唐西域記』や真諦(パラマールタ、Paramārtha, 499-569) が記した世親の伝記『婆数槃豆法師伝』などに収められた断片的な文章が僅かばかり残されています。

そこには、小乗仏教の正統派である説一切有部(略称・有部)で出家した無著が、小乗の空観では満足できず、神通力によって兜率天に昇り、そこで弥勒菩薩から大乗の空観を教えられたことが記されています。

その後も彼は、しばしば兜率天で弥勒菩薩から大乗の教えを学び、地上(閻浮提)の人々に、その教えを聞かせたいと願い、弥勒菩薩に地上に下って、教えを説くことを請願し、その願いを聞き入れて、弥勒菩薩が四ヶ月間、毎夜『十七地経』を説いたことが記されています。

『十七地経』は現存の玄奘訳「瑜伽師地論』百巻の最初の部分である「本地分」五十巻に相当します。

この伝記の最後に、弥勒と無著の関係を示す興味深い記事が見られます。

そこには、無著が弥勒菩薩から「日光三摩提」という瞑想法を習い、それによって博覧強記となり、大乗経典を悉く理解できるようになったことが記され、その後に、

弥勒菩薩が兜率天で無著のために大乗経典を講じ、無著はそれをすべて理解し記憶して、後に地上に〔戻って〕大乗経典の解説書(優波提舎)を造り、仏の説かれたすべての大乗の教えを解釈した。

と記されています。瑜伽行唯識学派【以下、唯識学派、又は瑜伽行派と略称】の開祖は弥勒に帰せられていますが、弥勒が歴史上に実在した人物であるか否かについては議論が分かれます。

この伝記では弥勒が兜率天で、無著に大乗経典を講じ、それを無著が地上に〔戻って〕解説をしたと記されています。

無著が兜率天に昇ったと記す記事からは、弥勒は歴史的に実在した人物とは考えられないように思われますが、中国とチベットには弥勒に五部の著作があるとする伝承が残っています。

そのことについて、平川彰氏は著書『インド仏教史』で、それら五部は無著以前に唯識学派において、既に造られていたものであり、それらが伝説に合わせて、弥勒の著作と呼ばれることになったと考えられる旨を述べています。

そう考えるのが妥当であろうと思われます。

例えば「中辺分別論」は中国とチベット両国において、弥勒の作と伝えられる論書の一つです。

その注釈の中で、唯識十大論師の一人とされる安慧(スティラマティ、Sthiramati, ca. 510-570)は、偈頌(gāthā 詩)の部分の作者は弥勒であると言い、それを語り伝えた人は無著である、と述べています。

そして弥勒を、
〔もはやただ〕一つの生涯〔だけ迷いの生存に〕縛られている者(一生所繫)であるがゆえに、菩薩のあらゆる神通・陀羅尼・無礙解・三味・根・忍・解脱〔という勝れた能力〕によって、最高の彼の〔悟りの〕岸に到達し、すべての菩薩地(菩薩の修行段階)における障害 を残りなく、断じておられるお方である。

と讃歎しています。
ここには「一生所繫」(一生補処 eka-jāti-pratibaddha)という、釈尊の没後、五十六億七千万年に、その後継者として、未来に仏となると伝承される弥勒菩薩を示唆する語が用いられています。

そのことからも、安慧が「中辺分別論」の偈頌の作者・弥勒を歴史上の人物とは考えていないことが窺えます。

安慧が偈頌の「作者」は弥勒であり、それを「語り伝えた人」は無著である、とする言葉の背景には、平川氏によって、無著以前に唯識学派において、既に造られていた一連の書の著者を伝説に合わせて弥勒と呼ぶことにした、と解釈される歴史的な事情があると考えられます。

本書でも、しばしば参考にする『瑜伽師地論』は漢訳では、弥勒説、チベット訳では、無著作とされますが、おそらくは無著以前に唯識学派において、造られていた著作であり、それを「語り伝えた」のが無著であると考えられます。
「語り伝えた」ということは、この場合「編纂した」ことを意味すると考えられます。

そうすれば、無著が、唯識学派の草創期において、それまで学派で伝承してきた諸著作を編纂して、学派の教学を確立するという重要な役割を果たした人であると考えられます。

🌟Wikipedia🌟
🟨小谷 信千代(おだに のぶちよ、1944年5月21日 - )は、日本の仏教学者、大谷大学名誉教授。
🟨兵庫県生まれ。
❇️1967年大谷大学文学部 仏教学科卒業。
❇️1975年京都大学大学院 文学研究科仏教学修士課程修了。
❇️1978年大谷大大学院 博士課程満期退学。
❇️1984年大谷大学 専任講師
❇️1990年同助教授
❇️1998年同教授
❇️1999年「法と行 仏説の真意を求めて」で大谷大学博士(文学)❇️2010年定年退職、名誉教授

🌃【著書】
🌎️『法と行の思想としての仏教』文栄堂書店 2000
🌎️『摂大乗論講究』真宗大谷派宗務所出版部 2001
🌎️『世親浄土論の諸問題 二〇一二年安居本講』真宗大谷派宗務所出版部 2012
🌎️『真宗の往生論 親鸞は「現世往生」を説いたか』法藏館 2015
🌎️『虚妄分別とは何か』法藏館 2017
🌎️『法然・親鸞にいたる浄土教思想 利他行としての往生』法藏館 2022
🌎️『唯識説の深層心理とことば 『摂大乗論』に基づいて』法藏館 2023

🌃【共著】
🌎️『倶舎論の原典研究 智品・定品』櫻部建・本庄良文 共著 大蔵出版 2004
🌎️『倶舎論の原典研究 随眠品』本庄良文共著 大蔵出版 2007

🌃【翻訳】
🌎️『倶舎論の原典解明 賢聖品』櫻部建 共訳 法藏館 1999
🌎️グレゴリー・ショペン『大乗仏教興起時代インドの僧院生活』春秋社 2000
     【終了】