🟨②横超断四流【断というは往相の一心を発起するが故に生として当に受くべき生なし趣としてまた到るべき趣なし・厭えば娑婆永く隔つ、欣えば浄土常に居せり】【令和6年05月03日】🟦YouTube で見る🟥https://youtu.be/SKaB-QsiOds?si=gRPqrSF-jG4myVpF✡️✴️2️⃣〖レジメ資料〗✨【教行信証信巻】🟨【原文】🔷「断」と言うは、往相の一心を発起するが故に、生として当に受くべき生無し。趣として更た到るべき趣無し。🔷已に六趣四生、因亡じ、果滅す。故に即ち頓に、三有の生死を断絶す。故に「断」と曰うなり。🔷「四流」は、則ち四暴流なり、又、生老病死なり。『大本』(大経)に言わく、「会ず当に仏道を成りて、広く生死の流を度すべし」と。🔷又、言わく(平等覚経)、「会ず当に世尊と作りて、将に一切、生老死を度せんとす」と。已上🔷『涅槃経』(師子吼菩薩品)に言わく、「又、涅槃は名づけて「洲渚」とす。何を以ての故に。四大の暴河に漂うこと能わざるが故に。🔷何等をか四とする。一には欲暴、二には有暴、三には見暴、四には無明暴なり。是の故に、涅槃を名づけて「洲渚」とす」と。已上🔷光明寺の和尚(善導)の云わく(般舟讃)、「諸の行者に白さく、凡夫、生死、貪して厭わざるべからず、弥陀の浄土、軽めて欣わざるべからず。厭えば、則ち娑婆永く隔つ。欣えば、則ち浄土に常に居せり。隔つれば、則ち六道の因亡じ、輪廻の果、自ずから滅す。因果、既に亡じて、則ち形と名と頓に絶うるをや。」🟩【意訳】🔶断というのは、 往生して、さとりを開く他力の信心をおこすのであるから、 もはや未来に迷いの世界の生を受けることがない。 🔶既に迷いの世界を輪廻する因が消され、 果もなくなるのであるから、 速やかにその迷いの世界の輪廻を断絶してしまう。 だから、断というのである。 🔶四流というのは、 迷いの因である四暴流、 すなわち煩悩であり、 また、 迷いの果である四苦、 すなわち、生老病死である。🔶無量寿経に説かれている。「必ず仏のさとりを開いて、 広く迷いの流れを超えるであろう」🔶また平等覚経に説かれている。「必ず後に仏となって、 すべての迷いを超えるであろう」🔶涅槃経に説かれている。「涅槃を島という。 なぜなら涅槃は、 四つの大きな煩悩の河にも、 押し流されないからである。 その四つの河とは、 一つには欲暴流、 二つには有暴流、 三つには見暴流、 四つには無明暴流である。 だから涅槃を島というのである」🔶善導大師が 般舟讃にいわれている。「すべての行者たちにいう。 凡夫の迷いの世界に執着することなく、 これを厭うべきである。 阿弥陀仏の浄土を軽んじることなく、 これを願い求めるべきである。 🔶厭えば、娑婆世界、 すなわち迷いの世界を永久に離れ、 願えば浄土、 すなわち、さとりの世界にいつもいる。 迷いの世界を離れると、 迷いの因も滅し、 迷いの果もおのずから滅することになる。因も果も既に滅したのであるから、迷いの形も言葉も、たちまちになくなってしまうのである」🌟四暴流(しぼうる) ➡️ 煩悩の異名の一つ。「しぼる」とも読む。四流ともいう。🔷欲暴流、有暴流、見暴流、無明暴流の四つをいう。🟨善導『観経疏』玄義分に「横超に四流を断ずべし」とある。🔶煩悩に覆われていることを「四流に漂う」「四流に溺る」などという。🔷煩悩を断ずるについて「四流を断ず」のほかに「四流を度す」などともいう。🔶例えば『大宝積経』61には、「自ら四流と諸の有を度し已り、亦た人天を四瀑河に度し、無畏の洲岸上に安置す」などと説かれる。     【終了】