1️⃣🌟【2024年5月04日 (土)・13時30分より15時00分まで】
✨本願寺派津村別院2階二尊堂
✨【土曜講座】
✨講題:先手・無条件
✨講師:大阪教区 小林 顕英 師
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🌟【講義メモの走り書き】🌟

🔷葬儀のセミナーがありまして、先ず質問を受けたのは、枕経はいつあげるのが正しいのか、という質問を受けました。
🔶「死んでしまったなら、慌てなくてもいいんじゃないですか」というと滅茶苦茶、怒られました。
「あんた坊さん、ひどいことをいうな。」

🔷言い分は「早く枕経をあげて、いいお経をあげないと死んだ人はいいところにいけないやないか」と言われる。
🔶「では、いいお経とは何か」と、こちらは質問をした。
お釈迦様の仰せに嘘はなし。仏語に虚妄なし。そのお釈迦様の仰せを文字にあらわしたのが、お経だから、私は悪いお経を知らないから。

🔷枕経というから、間違いが起こっている。厳密に言うと浄土真宗では、臨終勤行というんやで。
🔶ここに、レテンがついているので、死んでからでなく、死ぬ前です。

🔷いよいよ命が終わる時に、阿弥陀様に、今までお育てを賜りまして、お礼を申し上げるのが、臨終勤行です。
🔶いよいよ迷いの世界を離れて、阿弥陀様のお浄土に参らせて頂く。これが臨終勤行やで、と言いました。

🔷隣の人が質問をしてきて、
「では、私は、死んだらどうなるのですか」と聞かれた。
🔶私は「知るか、そんなもの!」と答えました。
「あんた、坊さん、薄情なことをいうな!」と言われた。

🔷「あんたが、どう生きてきたかも知らないのに、そんなことを答えられるか!」と答えました。
🔶私の大好きな方ですが、東京の親しい人に森津純子さんが、若い時に言われたことが、
「人間、生きてきたようにしか、知らないのですよ」
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🌍️インターネットより🌍️
森津純子(もりつ じゅんこ、1963年- )
✨日本の精神科医。京都生まれ。
✨1988年筑波大学医学専門学群卒業後、東京都立墨東病院勤務、外科系総合医として外科、内科、救命救急、小児科、産婦人科を研修。
✨1991年東札幌病院ホスピス勤務。92年昭和大学緩和ケアチーム(ホスピス)に入局し、長岡西病院ビハーラ病棟(日本初の仏教系ホスピス)の医長に就任。
✨1997年春より独立開業し、医療相談とカウンセリング専門の診療所 「ひまわりクリニック」で、治療にあたる。
✨2011年カウンセリングルーム「ひまわりの部屋」として、「ひまわりクリニック」をリニューアル。
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🔷そこで質問に答えるために、聞いてみた。
「あなたの宗教は何ですか?」
迷わずに「うちは門徒や」という。
「あんた、門徒なら、自分が死んだら、どうなるか、私に問う筈がないやろ」
「どういうことですか?」
「あんた、今まで聴聞したことがありますか?」「ない」
「自信をもって言うな!」

🔶あなたの宗教は、何かと聞いた。宗教という言葉をどう受け止めるか?
宗とする、拠り所とする。
あなたは何を拠り所に生きて来られたのですか?と聞いている。

🔷本願寺で僧侶養成の仕事をしていた時のこと。うちの門徒が家で、クリスマスのイルミネーションをしていた。
🔶これでは私の立場がないので、その家に行って、思い切り、嫌みをこめて、「これ何!」と言いました。本当は「何をしとるんや!」と言いたかった。

🔷その奥さんは「ご院さん、知らんの?」と言って、教えてくれた。平気で、クリスマスを門徒がやる。
🔶「まさか、12月24日にケーキを食べてへんやろな!」と聞いた。これを寺で話をすると、皆、くすくす笑っていた。

🔷12月25日を過ぎると、うちはクリスチャンではなかったと気づく。この後に除夜の鐘をつく。
これで終わったら、可愛らしいけど、その足で初詣にいく。

🔶その人が言ったのは、
「わし、どうしよう?みんな当たっているわ。」

🔷これを、キリスト教は十字架、
12月25日を過ぎると、クリスチャンではなかったと気づくので、バッテン、✕。この足で初詣。しんにょう。迷いという漢字。よく出来ている。
🔶どこへいくか、分からない。私から、言わせれば、もう遅いけども、阿弥陀様は、もう遅いとは言われない。えー?

🔷仏の顔も三度まで、といわれるけど、阿弥陀様は何度でも。今のままではあかんで。
🔶私が今まで教えて頂いた中で、忘れられないのが、初めての布教法の授業の中で、利井先生が、
🟨「自分のことでありながら、自分で絶対にしない、出来ないことがあるが分かるか?」
🔷葬式ではない。誰に聞きに行っても良いから、宿題を出すから、一週間、考えてこい。
🔶一番しつこく聞きに行ったのが、梯和上でした。
「まあ、あんたには無理でしょうね。自分で考え」と言われた。
🔷十何人の名前を全部あげて、いいました。
🔶答えは、棺桶の蓋をすることだと言われました。自分の棺桶の蓋をすることは誰も出来ない。

🔷浄土真宗の教えで大事なのは、念仏を称えることではなく、念仏を聞くことである。
私の命の拠り所を大事にして、生きさせて頂くことですが。
結構、聞き違いをしている人が多い。
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     【終了】