🌟私のアメログのブログで、二番目にアクセス回数が多かったものです。
🌟2020/07/24、少し古い投稿ですがためになる内容だと思いますので、紹介させて頂きます。

【質問】

「戸塚洋二という方が、最後に仏教を聞き求めた」と聞きましたが、どういうことがあったのでしょうか。

【回答】

戸塚洋二氏に仏教を話をしたのは、仏教学者の佐々木閑(しずか)氏です。

以下のように語っておられます。

『戸塚洋二という方は、日本の素粒子物理学の権威です。

ノーベル賞の小柴さんの直弟子で、一番弟子の方です。

この方は、ノーベル賞は、当時、絶対確実と言われており、本当は小柴先生が取るか、戸塚先生が取るか、どっちだろう、という話だったそうです。

小柴さんが取られたので、数年後には、必ず戸塚さんと言われていたのです。

「私は神も仏も信じません。完全な無神論です」といわれていた方ですが、この方が癌(がん)になりました。

大腸癌から転移して、肺と肝臓と、それから脳にも転移しました。

物理学者なのに、仏教学者の佐々木閑氏に、
「佐々木先生、仏教について教えてください。仏教では死ぬということを、どう考えるんですか。死んだら、どうなるんですか」ということを、一生懸命、聞かれたそうです。

その時、佐々木閑氏は、仏教の側から、色々なことを話をして、2時間で終わったそうです。

その後、戸塚さんは、ずっと自分のコンピューターでブログを書き、亡くなる直前まで書き続け、本になって出ているそうです。

立花隆氏が編集して本にしたもので、そのブログを読むと、仏教の話をしたのは、2時間だけなのですが、その前後で、

戸塚さんが自分の死を見つめて、何をしていたかということが、毎日、克明に書いてあるようです。

世界一の物理学者が、自分の死を見つめて何をしているかというと、

「自分の心を何とか制御して、自分の心を何とか抑えて、そして、その死の恐怖から、自分の心を守るために、自分を変えよう、変えよう」

となさっている様子が、見えるのです。

それは壮絶なやり方です。

例えば「毎日、花を見るんだ、木を見るんだと。私が死んでも、木は生きてるんだ、ということを、毎日思い続けるのだ」と。

あるいは「本を読む時に、ゆっくり読むんだと。ゆっくり読むと、その時間が私にとって大切な時間になる。早く読んでしまうと、その人生の大切な時間が早く終わってしまうから、本はゆっくり読むんだ」というように、目の前の一つ一つの細かいことから、ずっと自分の一日を構築していかれるのです。

最後まで、物理学者としての誇りと、それから気概を保って、亡くなりました。

佐々木閑氏は、この戸塚先生の姿を見て、
「これは現代の僧侶である、現代の修行者である」と思ったそうです。

決して仏教の衣を着て、鉢(はち)を持っている訳ではないけれども、
普段の日常の生活の中で、仏教的に生きるというのは、こういうことであると。

自分の心の中に、自分の生きがいというものを見つけていくのであり、外に求めたって、仕方がありません。

外のものは、必ず壊れます。

持っているものは、皆、なくなる。

所有しているものは、皆、消えていく。

「自分の心の中につくったものだけが、自分の支えになるのだ」

という気持ちで生きる。

これが、本来的な仏教のお坊様の生き方というものである。』

今、私自身、臨終間近の父親を目の前にして、やはり、どんな人であっても、
最後は、仏教に救いを求めないと、本当の安心、満足は絶対に得られないのだなあ、と改めて知らされています。

お互い、一度しかない、人生だからこそ、最高の生き方をして、
「わが人生に悔いなし」と言い切って、死んでいきたいですね。

🟨浄土真宗講義【28年3月17日】①五怖畏(十住毘婆沙論)
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