1️⃣【4月30日(火)】名古屋東別院会館〖愚深会〗にて、鶴田義光先生の「御文を読む会」に参加しました。
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🔷宿善開発の機とは?無宿善の機とは?不宿善とは?久しぶりに宿善について学びました。
🔶訓覇信雄先生、高光大船先生は、宿善について、しっかりと教えておられたみたいですね。
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🌟◎五帖御文「第三帖 第十二通《宿善有無の御文》」(『聖典』p811~p812)蓮如62歳。河内国の出口にて
✡️※🔷前の第十一通と同様、自己流の領解で、真宗の教義を心得たと思い込んで、勝手な振る舞いをする弊害を強く誠めるとともに、真宗の勧化に際しては、相手の宿善の有無をきちんと弁えて、行うべきことへの注意を促す。

🟨「そもそも、いにしえ近年この頃の間に、諸国在々所々において、随分仏法者と号して、法門を讃嘆し、心を致す輩の中において、更に真実にわがこころ、当流の正義に基づかずとおぼゆるなり。その故を如何というに、先ず彼の心中に思うようは、われは仏法の根原をよく知り顔の体にて、しかも誰に相伝したる分もなくして、あるいは縁のはし、障子の外にて、ただ自然と聞き取り法門の分斉をもって、真実に仏法にその志は浅くして、われより外は仏法の次第を存知したるものなきように思いはんべり。
これによりて、たまたまも当流の正義をかたの如く賛嘆せしめたる人を見ては、あながちにこれを偏執す。
すなわち、われ一人、よく知り顔の風情は、第一に驕慢の心にあらずや。
かくの如きの心中をもって、諸方の門徒中を経回して、聖教を読み、あまつさえ、わたくしの義をもって、本寺よりの使いと号して、人を諂(へつら)い、虚言を構え、物を取るばかりなり。
これらの人をば、何として、よき仏法者、また聖教読みとは言うべきをや。あさまし、あさまし。
嘆きても、なお嘆くべきは、ただこの一事なり。これによりて、まず当流の義をたて、人を勧化せんと思わん輩においては、その勧化の次第をよく存知すべきものなり。
それ、当流の他力信心の一通りを勧めんと思わんには、まず宿善・無宿善の機を沙汰すべし。
されば、いかに昔より、当門徒にその名をかけたる人なりとも、無宿善の機は信心を取り難し。
まことに宿善開発の機は、自ずから信を決定すべし。されば無宿善の機の前においては、正雑二行の沙汰をする時は、かえりて誹謗の基(もとい)となるべきなり。
この宿善・無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間の人をも、はばからず、勧化をいたすこと、もっての他の当流の掟にあい背けり。
されば『大経』に云わく、
「若人無善本 不得聞此経」ともいい、
「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過期難」ともいえり。
また善導は、
「過去已曽 修習此法 今得重聞 即生歓喜」(定善義)とも釈せり。いずれの経釈によるとも、既に宿善に限れりとみえたり。
しかれば、宿善の機を守りて、当流の法をば与うべしと聞こえたり。
この趣きを詳しく存知して、人をば勧化すべし。ことに、まず王法をもって本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心に深くたくわえて、外相に法流のすがたを他宗他家に見えぬように振る舞うべし。
このこころをもって、当流真実の正義を、よく存知せしめたる人とは名づくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明八年正月二十七日

✡️【 語句の解説と領解】✡️
⭕「賛嘆」➡️ 本来、仏徳をほめたたえることを言うが、ここでは、法話、法談の意を示す。
⭕「勧化」➡️ 聞法によって信心獲得することを勧め、教え導く(教化)すること。
⭕「ききとり法門」➡️ 正式に教授されることなく、自然に聞き覚えただけの法義。
⭕ 「かたのごとく讃嘆せしむる」➡️ 定まった教義の通りに説いている。
⭕「あながちにこれを偏執す」➡️ むやみに妬ましく不愉快に思うこと。
⭕「驕慢」➡️「驕」は自らおごり「 慢」は人に対して、おごり高ぶること。
⭕ 「宿善・無宿善」➡️「宿善」は過去世に於いて積んだ善根。
「無宿善」は、ここでは特に信心を獲得するための宿善が無いことをいう。

⭕「若人無善本 不得開此経」➡️ 若し人、善本無ければ、此の経を聞くことを得ず。(『大経』下巻 「東方偈」p49 の文)
⭕「若開此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」➡️ 若し此の経を聞きて、信楽受持すること、難きが中に難し、斯れに過ぎて難きこと無し。(『大経』流通分p87 の文)
⭕「過去已曽 修習此法 今得重聞 即生歓喜」➡️ 過去に巳に曽て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て、即ち歓喜を生ず。(『観経疏』定善義「第三・地想観」の文)
⭕「宿善の機をまもりて」➡️ 宿善の機であるかどうかをよく見定めて。

※【問題提起】
①「相伝された法門」と「ききとり法門」とは、どこが違っており、また「ききとり法門」の問題点とは何であろうか?

②「宿善・無宿善の機」とは、具体的に何がどう違うのであろうか?
また「宿善・無宿善の機」はどうやって見分けることができるのであろうか?

③ 「宿善開発の機は、自ずから信を決定すべし」と言われているが「自ずから信を決定すべし」とはどういうことを言っているのであろうか?」

④「無宿善の機に正雑二行の沙汰をすると、かえりて誹謗のもといとなる」とは、どういうことを言っているのであろうか?
     【終了】