🌟✨✡️以下、法友から頂いた情報です。とても良かったので、皆さんと共有したいと思います。

🟥先日、話していた法然上人と、浄土宗第二祖・聖光上人と、陰陽師・阿波介(助)の、念仏にまつわる逸話をお届けします。

🔷親鸞聖人は、法然聖人の功績として『正信偈』の中で「憐愍善悪凡夫人」と讃えられています。
🔶その「善悪凡夫人」ですが、
✴️在家で、善の凡夫人の代表が、九条兼実公であり、
✴️悪の凡夫人の代表が、耳四郎氏といわれています。 

🔷この陰陽師・阿波介も、耳四郎と同様に悪の凡夫人といえますが、
✴️耳四郎が、反社会的な悪人なのに対し、
✴️阿波介は、どちらかというと、反倫理的な悪人といえます。

🔶以下が、その阿波介の解説となります。
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🟩⬛新纂浄土宗大辞典⬛🟩
■阿波介
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E4%BB%8B
あわのすけ/阿波介

12世紀末頃、生没年不明。
「阿波の介」とも書かれる。
法然に帰依した京都伏見居住の陰陽師。
人の心を誑かし、謀(ハカリゴト)によって人の目を欺く、放逸邪見の者であったという。
富貴長者にして、七珍万宝と七人の妻を得て、日に三度、妻たちを裸にして柱に縛って杖で叩き、その啼き声を酒の肴にしていた。
ある時、播磨国の「うらこ」に行く途中で道に迷い、通常三日の道程に七日をかけた。
今生においても、旅路には道案内が必要であるのだから、まして浄土に往生するには善知識が必要であると思い至り、即座に道心を発した。
のち法然の弟子となり、聴聞の嬉しさの余り、財産を妻たちに等配した。
臨終の時には、陸奥国平泉(岩手県)にある藤原清衡建立の中尊寺金色堂で、端座合掌し、西に向かって念仏百遍ほど称えて往生した。荼毘に付した後の遺骨は皆、水精の珠のようであったという。
現在、金色堂そばには、阿波介舎利塔があり、陸奥を教化した金光(こんこう)との関係が指摘されている。
一説に、現在、浄土宗で用いている二連数珠のもとを考案したとされる。
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🔶以下が、その出拠の原典となります。
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🟩⬛浄土宗全書第17巻再版⬛🟩
■第九輯 傳記系譜
□法然上人秘傳【注1】 律師隆寬撰(注︰伝・隆寛律師)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1226394/1/25

彼の阿波助と申は、俊乗上人【注2】の念仏の札をくばられし時、七枚の札を七枚のさゝの葉と見し者なり。
放逸邪見にして、人の左と云ときは右へちがへ、右といふことをば左へちがへ、人の心をたぶらかし、はかり事をもて人の目をぬく。然れども富貴長者にして七珍万宝をもちたり。
妻を七人具せり。一日に三度づゝはだかになして七本の柱に結付て、かたはしより杖にてさいなみ通る。啼んとすれば一人づゝ啼してはひがことぞ、一度に待合せて啼けと云ふ。ちからをよばずして七人打すまして先世の罪業を思ひ、杖の音たへがたきあひだ七人同音に啼時、是を聞てゑみに入て飯をくひ肴にとて酒を呑むくせ者のなり。
彼の阿波助が或時、播磨の国うらこと云所へ行とて、路に迷ひて三日の路を七日につく。
此の阿波助たちまち道心発り、今生にて路を行くにも先達なきには迷ふなり、まして浄土の路には知識御座で叶はじと思ひて、此の辺に法然上人の御座あり、浄土の先達に頼み奉らんと、すなはち参りて御弟子達の中へ押し分けて居なをりて、浄土の法門を承らんと申せば、上人も弟子達もをともせず。良久しくありて阿波助御前を立つ。御弟子達皆何事をかせんと色をうしなふ。
爰に熊谷次郎真実入道座を立て上人の御もとへ参て、なにしにさわがせ給ふ、法力かくて候はん程は別事はよも候はじ。阿波助百人千人にもまさりたる法力なりとて懐の中よりかたなのつかをつよくにぎりて待居たり。
さて阿波助ひがことをばはゞからずして、うしろどのかたへさしまはりて、もとゞりおしきりて、誠とに思ひ切たる体なり。それより上人の御剃刀をいたゞき直垂(ヒタタレ)ぬぎすて墨染の袴ばかりを給り着たり。
在俗の時こそ御椽まで参り候ひつれども出家入道して候へばはや御弟子の一分にて候はんずるが、いかでか師の後のかげと同座をば申し候べきとて、御椽の下に畏て浄土の法門を七日聴聞して、あまりの嬉しさに是より宿所ヘ帰りなば、妻子の姿をも見所知財宝をも見るならば妄念をこり候はんずらんとて、そこばくの財物をば七つに分て七人の妻に譲り、形見はかりを伏見の里ヘ遣して、上人の御庵室よりかごおひを肩に懸け東の奥ヘ下りけるが、秀衡が建てたる光り堂【注3】の椽にして、終いに端坐合掌し西に向て念仏百遍計申して往生し給ひぬ。
村里の男女、往生人結縁のためにとて葬送すれば、骨みな水精の珠のごとし。不思議なりし事なり。
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【注1】法然上人秘傳
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%B3%95%E7%84%B6%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E7%A7%98%E4%BC%9D
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【注2】俊乗上人(重源)
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%87%8D%E6%BA%90
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【注3】秀衡が建てたる光り堂(中尊寺)
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%AD%E5%B0%8A%E5%AF%BA

🔷以下が、法然聖人、聖光上人、阿波介の、念仏にまつわる逸話です。
🟩⬛法然上人行状絵⬛🟩
https://dl.ndl.go.jp/pid/966903/1/74
 阿波介といふ陰陽師、上人に給仕して念仏するありけり。
 或時上人かの俗をさして、
「あの阿波介が申念仏と、源空が申念仏と、いづれかまさる」
と聖光房にたづね仰られけるに、心中にわきまふるむねありといへども、御ことばをうけ給はりて、たしかに所存を治定せんがために、
「いかでかさすがに御念仏にはひとしく候べき」
と申されたりければ、上人ゆゝしく御気色かはりて、
「されば日来浄土の法門とてはなにごとをきかれけるぞ。
 あの阿波介も仏たすけ給へとおもひて南無阿弥陀仏と申す。源空も仏たすけ給へとおもひて南無阿弥陀仏とこそ申せ。更に差別なきなり」
と仰られければ、もとより存ずることなれども、宗義の肝心いまさらなるやうに、たうとくおぼえて感涙をもよをしきとぞかたり給ける。

 二念珠をしいだしたるは、この阿波介にてなむ侍なる。
 かの阿波介百八の念珠を二連もちて念仏しけるに、そのゆへを人たづねければ、
「弟子ひまなく上下すれば、その緒つかれやすし。一連にては念仏を申し、一連にては数をとりて、つもるところの数を弟子にとれば、緒やすまりてつかれざるなり」
と申ければ、上人きゝ給て
「なに事もわが心にそみぬる事には才覚がいでくるなり。阿波介きはめて性鈍にその心をろかなれども、往生の一大事心にそみぬるゆへに、かゝる事をも案じ出けるなり。まことにこれたくみなり」
とぞほめおほせられける。
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🔶以下は、上記の御文を小説家の中里介山氏が現代語に訳したものです。
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✴️【現代語訳】
🟩⬛法然行伝 中里介山⬛🟩
https://www.aozora.gr.jp/cards/000283/files/50567_38528.html#midashi190

十九
 阿波介という陰陽師が法然に給仕して念仏をしていたが、或時法然がこの男を指して、
「あの阿波介が申す念仏と、この源空が申す念仏と何れが勝っているか」
と聖光房に尋ねられたところが、聖光房は心中に何か考うる処はあったけれども、
「それはどういたしまして、御上人の念仏と阿波介が念仏と一緒になりましょう」
と答えたので、その時、法然が由々しく気色が変って、
「お前は日頃、浄土の法門といって何を聴いているのだ。あの阿波介も、仏たすけ給えと思って南無阿弥陀仏と申している。この源空も仏助け給えと思って南無阿弥陀仏と申している。更に差別はないのである」
といわれたから、聖光房も固(モト)より、それとは思っていたけれども、法然から、そういわれて宗義の肝腎、今更の様に胸に通ったということである。

二念珠(ニネンジュ)ということをやりだしたのは、この阿波介である。
 阿波介は百八の念珠を二連持って念仏をしたから、人がその故を尋ねると阿波介が答えて、
「暇なく上下すれば、その緒が疲れ易やすい。一連では念仏を申し、一連では数をとって積る処の数を弟子にとれば、緒が休まって疲れません」と答えたので、法然がそれを聞いて、
「何事も自分の心に染しみていると才覚が出て来るものである。
阿波介は性質は極めて愚鈍の人間だが、往生の一大事が心にしみているからこそ、斯様(カヨウ)な工夫も考えだすのだ」とほめたということである。
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🔷以上によりますと、聖光上人は、法然聖人と阿波介の念仏が「ひとし」と充分わかっていましたが、法然聖人のご領解と照合するために、わざと間違った答えをされたようです。
🔶しかし、このように聖光上人が叱られ役を買ってくれたおかげで、この逸話が印象深く、重要な教えとして伝わったと思われます。

🔷この逸話は、浄土真宗の者には「信心同異(信心一異)の諍論」を想起させることが多いそうです。
🔶念仏も信心も「如来よりたまわりたる」ものであれば、一つであることは当然ですね。

🔷蓮如上人がよく使われている「たすけ給へ」という表現ですが、『法然上人行状絵図』では、法然聖人が先駆けて、そういわれていたとされています。
🔶しかし法然聖人の死後、浄土宗の一部では、この「たすけ給へ」がいわゆる祈願請求の意味で使われていたそうです。
🔷それを蓮如上人が元祖の正意にそって、信順許諾の意味に戻されたのかも知れません。

🔶余談ですが、浄土宗で用いられる二連の数珠は、なんとこの阿波介が考案したものとされています。
     【終了】