🌟1️⃣【4月28日(日)午後】名古屋東別院会館にて愚深会主催の〖唯識に学ぶ〗に途中から、参加させて頂きました。
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🔶鶴田義光先生より、唯識について今回も、詳しく教えて頂きました。
🔷鶴田先生は、安田理深先生を師匠として仰がれ、曽我量深先生、安田理深先生の唯識講義録を殆んど読んでおられるようで凄いです。
🔶唯識教学において、これだけ深い造詣がある方は、日本でも中々おられないと思います。
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🌟【講義メモ】🌟

🔷唯識教学は学校で言うと仏教でいうと小学校、中学に当たる。
🔶法然、親鸞が明らかにされた浄土教学は、大学、大学院に当たる。
🔷昔は、皆、唯識を学んで、それから真宗学を学んだ。法然、親鸞は唯識を徹底的に学ばれて、浄土教学を明らかにされた。
🔶唯識を学ぶと、大学の教えである浄土教学も深く理解が出来る。
昔は大谷大学も龍谷大学も皆、学んでいた。
🔷ところが最近は、仏教学科、真宗学科が分かれて、唯識を学ばずに真宗学を学ぶ人が殆んど。
🔶今回、講義をお聞かせ頂き、改めて、唯識を学ぶことの大切さを知らされました。
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✡️【配布資料】✡️表
✴️「唯識」講義メモ【11】 (「愚深会」令和六・2月)

🌟《第三能変=前五識及び第六意識について≫➡️ 表層意識について解明する

✨『唯識三十頌』本文・十五✨
🟨「根本識に依止す。
或は倶なり、或は倶ならず。
濤波の水に依るが如し」

🌟◎第七段《六識所依》➡️ 前六識の所依(識が生じる依り処となるもの)を明らかにする。

○『成唯識論』解釈文より
「根本識」とは阿陀耶識なり。
染・浄の諸識の生ずる根本なるが故に。
「依止」とは謂わく、前の六転識なり。
根本識を以て、共と親との依と為す。

🌎️【語句の解説と領解】🌎️
⭕「阿陀那(あだな)識」➡️ 阿頼耶識の別名であり、「阿陀那」とは梵語adanaの音写。
「維持する。保持する」という意味で「執持(しゅうじ)識」と 意訳される。
阿頼耶識は一切の存在(識)を生じる可能力である「種子」と感覚器官である「有色(うしき)根(眼・耳・鼻・舌・身の五 根)」とを保持し、かつ再生(現行)時に相続して、引き継がれる識であり、この保持し、相続する面を「阿陀那識」という。

⭕「染・浄の諸識」➡️
「染」は我執・煩悩により汚れた識(迷いの心)のことで、
「浄」は智慧によって、我執・煩悩から解放された浄らかな識(覚りの心)をいう。
阿頼耶識は、迷いの心も、覚りの心も共に生ずる拠り所となることから「根本識」という。

⭕「共と親との依」➡️
「共」は六識共通の拠り所であることをいい、
「親」は阿頼耶識の種子から、直接、生ずることをいう。

🌟◎第八段《五識俱·不倶》➡️ 前五識が現行するに当たり、五識相互が倶に起こるか、起らないかについて明らかにする。

○『成唯識論』解釈文より
五識とは謂わく、前の五転識なり。
種類相似せるが故に、総じてこれを説く。
「縁に随って現ず」という言は常に起るにあらざることを顕わす。
「縁」というは謂わく、作意と根と境等との縁なり。
謂わく、五識身は、
内には、本識に依り、
外には、作意と五根と境等との衆縁の和合するに随って、まさに現前することを得。
これによって、
「或は倶なり、或は倶に起らず」
外縁の合することは頓・漸あるが故に「水の濤波の縁に随って、多少なるが如し」

🌎️【 語句の解説と領解】 🌎️
⭕「作意と根と境等との縁」➡️ 遍行の「作意」と、それぞれの根(五根)と、それぞれの認識対象である境(五境)などを縁とする。
⭕「五識身」➡️「身」は集まりの意で、五識の集まり。五識をまとめた総称。
⭕「外縁の合することは頓・漸あるが故に、水の濤波の縁に随って多少なるが如し」➡️ 外界の諸縁は同時(頓)に起ることもあれば、
順次(漸)に起ることもあるため、
風の強さによって、水の波の多い少ないの違いがあるように、
縁の起り方次第で、前五識は一緒に起こったり、起こらなかったりする。
     【終了】