🌟唯識教学の基本的な話のまとめです。
⭕〖唯識と浄土真宗〗
【一座目】〖レジメ①〗
🟥https://youtu.be/qRodY70RaKw
【八識を四智に転識得智へ】
🙆‍♀️〖妙観・平等、初地分得
  大円・成事、唯仏果起〗

大乗仏教は人間の心理を詳しく説き、大きく八つに分けて「八識(はっしき)」と説かれる。

①眼識(げんしき)
②耳識(にしき)
③鼻識(びしき)
④舌識(ぜっしき)
⑤身識(しんしき)
⑥意識(いしき)
⑦末那識(まなしき)
⑧阿頼耶識(あらやしき)

🟡眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五つを「前五識」と言う。
🟡意識は、その前五識を統括している心で、私たちが普段生活をしていて分かるのは、ここまで。
🟡仏教では、この意識よりも深い心「末那識」「阿頼耶識」があると教えられる。

🔴「末那識」とは、自我執着心。
世界を「我他彼此(がたぴし)」に分ける働きです。

🔴「阿頼耶識」は、仏教で説かれる最も深い心であり、「永遠の生命」といわれている心。
「阿頼耶」はサンスクリット語の「アラヤ」に漢字をあてたもので意味は「蔵」。

🟢蔵というのは、大切なものを保管しておく処、蔵のような心が阿頼耶識なので「蔵識(くらしき、ぞうしき)」ともいわれる。

🟢「阿頼耶識」に何が保管されているのかというと「カルマ」
「カルマ」は「業(ごう)」と訳され、意味は「行為」です。

🟢私たちの行為は、業種子(しゅうじ)【業力】として、阿頼耶識に蓄えられます。

🟢業種子(業力)は、行為を引き起こすまでは、決して消えることなく「業力不滅」と言う。

🟢阿頼耶識には日々、無数の業がおさまり続けている。業は不滅であり、その業がおさまっている阿頼耶識も不滅、永遠の生命なのです。

🟢現代の心理学よりも、更に深く人間の心が洞察されている仏教心理学を「唯識学」と言う。

⭕心には必ず〖対象〗がある。
眼識 ➡️色境
耳識 ➡️声境
鼻識 ➡️香境
舌識 ➡️味境
身識 ➡️触境
意識 ➡️法境
末那識 ➡️阿頼耶識の見分
阿頼耶識➡️環境、身体、経験

🌕️仏法の目的は ➡️転識(てんじき)得智(とくち)【八識を転じて四智を得る】
🌀八識(分別心)と四智(無分別智)

⭕「識(しき)」は煩悩がある有漏の心の働きで、
⭕「智(ち)」は煩悩がない無漏の心の働きです。

💮「四智(しち)」は具体的には、識を転じて智を得る。
🔵「成所作(じょうしょさ)智」
:「前五識」が、仏位で変化する。前五識を駆使して、人を助ける実践を行える智慧を言う。
🔴「天眼通」「天耳通」が得られる。

🔵「妙観察(みょうかんざつ)智」
:「意識」が変化して、見道で生まれて、修道で成長して、無学道で完成する。
「すべての存在、自他が平等である」と認識し、物事をあるがままに見えて、慈悲心が現れる智慧を「後得智(ごとくち)」と言う。

🔵「平等性(びょうどうしょう)智」
:「末那識」が変化して、見道で生まれ、修道で成長し、無学道で完成する。
他を排除していた心が他を尊重する心に転ずる。

🔵「大円鏡智」
:「阿頼耶識」が無学道で変化する。鏡餅の根拠?

⭕私たち凡夫の<こころ>が、智慧に開けることを<転識得智(てんじきとくち)>と唯識では言う。

⏺️<第八阿頼耶識>が智慧に変わったのを<大円鏡智(だいえんきょうち)>
⏺️<第七末邦識>が変わったのを<平等性智(びょうどうしょうち)>
⏺️<第六意識>が変わったのを<妙観察智(みょうかんざつち)>
⏺️<前五識>が転換すると<成所作智(じょうしょさち)>

⭕仏教の要は<智慧>であることを<こころ>に刻み付けておきたい。

⭕その転換の時期について、唯識では、
🙆‍♀️〖妙観・平等、初地分得
  大円・成事、唯仏果起〗
「偈頌(げじゅ)」で昔の人は覚えた。

🙆‍♀️<妙観察智>と<平等性智>は、初地で一部分、会得されるが、
<大円鏡智><成所作智>とは、修行の完成した仏の位で、初めて働き始める。

🙆‍♀️<初地>とは、仏教の真理【無常、苦、無我】が本当に深く分かった段階。
真理が解る、それを<初地>あるいは<見道(けんどう)><通達位>という。

🙆‍♂️「仏四智に住したまう」【教行信証教巻】

🟡『信心決定(初地)』の体験は、
「末那識の一部が、平等性智に変わる体験」
     【終了】
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【二座目】〖レジメ②〗
🟥https://youtu.be/AhAkkYpGHSE

🌀真実の信心とは「二種深信」
正確には「機法二種一具の深信」

🌀「対機説法」「応病与薬」
機とは心、病人。
法とは医者、薬。
機と法が揃って、病が全快となる。

🌀「愚禿釈親鸞」
愚禿➡️機の深信
釈 ➡️法の深信

🌀〖お多福〗
「本願におうた福こそ尊けれ
 鼻が低くて【機の深信】
 頬(法)が高くて【法の深信】」

🌀親鸞『高僧和讃【天親菩薩】』
「本願力に遇いぬれば
 空しく過ぐる人ぞなき
 功徳の宝海みちみちて【法の深信】
 煩悩の濁水へだてなし【機の深信】」

🟢私たちが、はかることができない命のはたらきと、その命からの私の心の闇を照らす光のはたらきに出遇ったならば、
私たちの人生がどのようなものであったとしても、それは決して「空(むな)しい」ものにはならない。
そこには、常にはかることができない命と光のはたらきが豊かな海のように満ち、私たちの煩悩一杯の自分中心の濁った心がわき上がったとしても、それが自分と他者を冷たく、分け隔てるものにはならない。
     【終了】
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【三座目】〖レジメ③〗
🟥https://youtu.be/zg2onEQDqwI

親鸞聖人が、二十年間の比叡山での厳しい修行の末、悩みに悩み抜かれて、法然上人の下へ赴かれたのは「生死出づべき道」を明らかにするためだったと、奥様の恵信尼様が、お手紙の中で綴っておられます。

🌑救われる道は「聴聞に極まる」
🔵舎利弗は、ある日、釈迦の弟子の一人アッサジ(阿説示)と出会い、アッサジを通じて、釈迦の教えの一部を聞いた途端に預流果(悟りの最初の段位、浄土真宗でいう初地、信心決定に相当)に達したと伝えられる。

その時に、阿説示(アッサジ)が舎利弗に語ったのが、
「縁起法頌(じゅ)」だとされる。

🙆『縁起法頌・・・諸法は因より生じる。それら諸法の因を如来は説いた。また、それら諸法の滅をも。大沙門はこのように説きたもう。(律蔵『大品』)』

⭕悟りを開くには資糧力(しりょうりき)が大切。
資糧力とは「後天的な能力」のことで「生まれてから、今日まで励んできた善や功徳、智慧」を言う。
「資糧」とは、資材、食糧という言葉があるように、私達の身体が食糧によって保持されるように、人間の善き行動の積み重ねが人格を形成し、資養する力になる。

⭕では、なぜ釈尊の教法を正しく聞かねばならないのか。
それは釈尊の教えこそ、
「最清浄の法界等流(ほっかいとうる)の法(ほう)」であるから。
「法界」とは、真理の世界のことで、この真理から流れ出たものが、釈尊によって説かれたのが仏教。

それをまず
🙆正しく聞き【聞慧】
次にそれを
🙆正しく思惟(しゆい)【思慧】することによって
🙆正しく実践【修慧】する。

最終的には、
「真理そのものに帰入することが出来る」と教えるのが、
🙆「聞思修(もんししゅ)の三慧(さんえ)」です。

🟠仏教を正しく聞くこと。その行為が阿頼耶識の中に植え付けたエネルギーを「正聞薫習(しょうもんくんじゅう)」と呼ぶ。

🟠このエネルギーが引き金となって、阿頼耶識は真理に向かって、質的な変化を開始する。
しかし、燃料のないロケットにいくら点火しても、ロケットは発射しないように、阿頼耶識の内に元々、真理に向かおうとする可能力(無漏の種子)がなければ、阿頼耶識は質的向上を遂げることは出来ない。

🟠この阿頼耶識に、先天的に内在する真理への可能力を、
「無漏(むろ)の種子(しゅうじ)」と呼ぶ。覚りを開く内的原動力が、
「無漏の種子」であり、
外的誘導力が、
「正聞薫習」であります。

『聞法は、私の命を育てる
 永遠の学び
 聞法は、私の人生を切り開く
 不断の学び
 聞法は、仏からの課題を
 頂く学び
 聞法は、新たなる私の
 誕生の学び』

『足るを知るは、最上の富
 善き友と交わるは、最上の楽
 法を聞くは、最上の福』

『死を忘れると
 生活は浮く
 死を怖れると
 生活は沈む
 死を明らかにすると
 生活は輝く』
     【終了】