🌉✨【4月25日(木)】岡崎市にある真宗大谷派三河別院の『蓮如忌』に、はじめて参詣致しました。

🌟『蓮如忌』とは、真宗再興の祖として敬われる蓮如上人の祥月命日の法要です。

✨法話は午前11時からと、午後13時半から、ありました。
✨講師は佐々木宣祐先生(18組 上宮寺)でした。
✨何と!講師はあの有名な大谷大学第3代学長の佐々木月樵先生の曾孫さんでありました!
✨顔がどことなく似ておられました。そういえば、佐々木月樵先生は、上宮寺に婿養子に入られたみたいですね。

🌎️午前は「浄土に往きましょう」
🌎️午後は「蓮如上人と仏法領・お寺とご門徒・仏物」について、分かりやすく教えて頂きました。

🌟【蓮如上人御一代記聞書】

🟨(299)前々住上人は、御門徒の進上の物をば、御衣の下にて御おがみ候う。又、仏物と思し召し候えば、御自身のめし物までも、御足にあたり候えば、御いただき候う。
「御門徒の進上の物、則ち聖人よりの御あたえと思し召し候う」と仰せられ候いしと云々

🟩【意訳】蓮如上人は、 ご門徒からの贈物を衣の下で手をあわせて拝まれるのでした。
また、 すべてを仏のお恵みと受けとめておられたので、 ご自身の着物までも、 足に触れるようなことがあると、 うやうやしく、おしいただかれるのでした。
「ご門徒からの贈物は、 とりもなおさず、親鸞聖人から恵まれたものであると思っている」 と仰せになりました。

🟨(310)蓮如上人、御廊下を御とおり候いて、紙切のおちて候いつるを御覧ぜられ、
「仏法領の物を、あだにするかや」と仰せられ、両の御手にて御いただき候うと云々
総じて、かみのきれなんどのようなる物をも、御用と、仏物と思し召し候えば、あだに御沙汰なく候いしの由、前住上人(実如)、御物語候いき。

🟩【意訳】蓮如上人が廊下をお通りになっていた時、 紙切れが落ちているのをご覧になって、
「阿弥陀仏より恵まれたものを粗末にするのか」 と仰せになり、
その紙切れを拾って、 両手でおしいただかれたのでした。
「蓮如上人は、 紙切れのようなものまですべて、 仏より恵まれたものと考えておられたので、 何一つとして粗末にされることはなかった」 と、 実如上人は仰せになりました。

🟨(315)兼縁、堺にて、蓮如上人御存生の時、背摺布を買得ありければ、蓮如上人、仰せられ候う。「かようの物は、我が方にもあるものを。無用のかいごとよ」と仰せられ候う。
兼縁、「自物にてとり申したる」と答え御申し候う処に、仰せられ候う。
「それは、我が物か」と仰せられ候う。ことごとく仏物、如来・聖人の御用にもるることはあるまじく候う。

🟩【意訳】蓮如上人がご存命のころ、 蓮悟さまが堺で模様入りの麻布を買い求めたところ、 上人は、 「そのようなものはわたしのところにもあるのに、 無駄な買物をしたものだ」 と仰せになりました。
蓮悟さまが、 「これはわたしのお金で買い求めたものです」 とお答え申しあげると、
上人は、 「そのお金は自分のものか。 何もかも仏のものである。
阿弥陀如来・親鸞聖人のお恵みでないものは、 何一つとしてないのである」 と仰せになりました。

🟨(316)蓮如上人、兼縁へ物を下され候うを「冥加なき」と固辞そうらいければ、仰せられ候う。
「つかわされ候う物をば、ただ取りて、信をよくとれ。
信なくは冥加なきとて、仏物を受けぬようなれども、それは曲もなきことなり。我がするとおもうかとよ。
みな御用なり。何事か御用にもるることや候うべき」と仰せられ候うと云々

🟩【意訳】
蓮如上人が蓮悟様に贈物をしたところ、 蓮悟様は 「わたしには勿体ないことです」 といって、 お受け取りになりませんでした。
すると上人は 「与えられたものは素直に受け取りなさい。 そして、 信心もしっかりといただくようにしなさい。
信心がないから、仏のお心にかなわないといって、 贈物を受け取らないようだけれども、 それはつまらないことである。
わたしが与えると思うのか。
そうではない。 すべてみな仏のお恵みである。 仏のお恵みでないものがあるだろうか」 と仰せになりました。
      【終了】