🌉【2024年 04月 07日 (日)】
✡️板宿信行寺【神戸護法会】
✡️午後2時~4時
🌃講題:蓮如上人御一代記聞書
🌃講師:信行寺前住職 米田睦雄氏
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🌟【講義の走り書き】🌟
🟨【249】
一、 前々住上人(蓮如 )仰せられ候。「安心決定抄」のこと、四十余年が間、御覧候へども、御覧じ飽かぬと仰せられ候。また金(こがね)を掘り出すような聖教なりと仰せられ候。

🟩【249】
蓮如上人は 「安心決定鈔」を四十年余りの間、拝読してきたが、 読み飽きるということのないお聖教である」 と仰せになりました。
また 「黄金を掘り出すようなお聖教である」 とも仰せになりました。

🟨【250】
一、大坂殿にて、各々へ対せられ仰せられ候。この間、申ししことは『安心決定鈔』の片端を仰せられ候よしに候。しかれば、当流の義は『安心決定鈔』の義、いよいよ肝要なりと仰せられ候と云々。

🟩【250】
大坂の御坊で、 蓮如上人は集まっていた人々に対し、「先日、 わたしが話したことは安心決定鈔のほんの一部である。 浄土真宗のみ教えでは、 この安心決定鈔に説かれていることが、 きわめて大切なのである」 と仰せになりました。

🔷浄土真宗の一番の肝要は聞くこと、今、この世が終わっても大丈夫という教えをしっかりと考えさせてもらう。
🔶幸せというものが我々は分かっていない。ノーベル賞を取っても、何をなしても、続かない。
しかもこの世だけのこと。岸田首相の顔を見ても幸せには見えない。必ず死ぬけれども、人間というのは自分だけは別だと思う。

🔷そういう中で、蓮如上人が、安心決定抄は、これほど良い御聖教はないと言われている。
🔶作者不明だけど、このように説くと、浄土真宗が分かりやすくなると思われて、安心決定抄を使われた。

🔷それまでは、法然上人、親鸞聖人の時代は漢文です。どうしたら、分かりやすくなるかと考えた時に、おそらく西山派の方の書かれたもの、安心決定抄を使った方よりよく伝えられると思われた。
🔶昔、法然上人が粟野の光明寺におられた。そこに西山上人が住まいをするようになった。その西山派の方が書いたもの。

🔷蓮如上人は、この本を三冊、読み破ったと言われる。なんぼ読んでも、飽きがこない本だと言われる。。
🔶蓮如上人のお母様は正式な奥さんでなかったので、蓮如上人は、法主になることはないと言われていた。

🔷ところが、40歳を過ぎてから、出番が出来てきて、一気に花開くようになられる。蓮如上人は親鸞聖人の教えを伝えなければならないと思われた。
🔶安心決定抄は、飽きがこないのと、それと黄金を掘り出すようなもの、というもの。まるまる全部を使える訳でない。砂金を取るみたいなもの。

🔷法然上人や、親鸞聖人のなら、全部を使えるけど、ここは使える、というところがある。
いくらでも黄金があるぞ!と言われる。

🔶蓮如上人がよく機法一体ということを言われているのは、この安心決定抄から。言われている。
🔷機とは、私達の本来の性根です。機とは南無、法とは阿弥陀仏。救われる我々の立場を機という。

🔶機法一体に対して、合体。夫婦は合体、しかし親子は離れられない。一つだったから。
🔷機法一体の自力は、すべて、Aプラス、Bになっている。

🔶こちら、機法一体は決定だから、無疑。疑いがない。
【二河白道の喩え】
🔷浄土真宗は向こうから来る。呼び声を聞く。聞くとは、届いた。届いたそのままが信心。

🔶蓮如上人は、教行信証を読んで読んで読みまくって、信心が肝要だと言われる。
🔷ニ尊に信順する。声によって、仏様の全ての徳が届く。届くと信心歓喜になる。

🔶自分が死ぬ時には、他人事ではないけど、生老病死は、それまでは他人事です。
🔷人間は、最後になるとは思えなくなるけど、私達は【彼岸】こちらから見る。必ず死は来るんだから。

🔶死を考えた時に今、私は何をしなければならないかを知る。人間、先が長くないとなると、今、何をしなければならないかを考える。
🔷あんた、長くない!と言われるとショックだけど、まだまだ死なないとなる。
🔶あんた、死ぬために生まれてきたのか?と、どうしても目の前のことに目が向いてしまう。

🔷生きている間は、悩みがなくなることはない。悩みがあっても、それを乗り越える力をもらう。そこなのです。南無阿弥陀仏というのは。
🔶この世は無常の世界です。乗り越える力を阿弥陀さんは我々に下さる。我々はこの悩みがなかったらと思うけど、なくなってもまた悩みが出てくる。悩みが出てきてもそれを乗り越える力を頂く。
力を頂くところに阿弥陀様の力かある。
    【休み時間】

🔷親鸞聖人の教えを一般の方に伝える時に今、みたいに字を読める人ではない。読めない人が、殆んど。
🔶そんな人に漢字を見せても読めないので、機法一体の言葉を浄土真宗の教えを伝えるために、他力の信を、ニ河白道、救う働きとして、ただちに来たれ、来いよという呼び声。
🔷蓮如上人は南無阿弥陀仏にその働きが全てあると言われた。
これが一つなのです。南無が、たのむ。阿弥陀仏が助ける。

🔶一つになっているところ。私達の立場を機、助ける立場を法という。
🔷雑行雑修自力の心を捨てる。後生たすけたまへと弥陀たのむ。この事が、南無阿弥陀仏。

🔶雑行が捨てられない、自力の心が捨てられない。捨てよとは、仏様が言われている。わしに任せよ、と言われている。捨てる。
こちらは、持ち合わせがない。助けるぞ、必ず。だから、助けたまえ。
🔷仏様の救いが我々に捨てさせる。あなた方のものは、全部役に立たないと知らせて下さる。南無阿弥陀仏を言い換えて、言われた。

🔶いつのまにか、手を合わせるようになったのは、どうしてか?それらも含めて他力なの。
🔷お母さんのお腹の中にいた時から、ずっと前から、育てて下されている。無始より、お育て頂いた。阿弥陀様のご本願のいわれを聞かせて頂く。

🔶南無阿弥陀仏の薬が出来た。けれども飲まないと治らない。全部を引き受けて下さる。
🔷戦争が、やまないのは全部、自分が正しいと思いが、中心だから。

🔶ニ百年前に西本願寺では、三業惑乱が起きた。三業でたのむ、という説が出た。
🔷当時、トップの功存、智洞が、たのむを助けて下さいと理解した。井戸に落ちたら、助けてくれといった。

🔶ここだけの話だけど、浄土真宗で、要を分かっている人は、あまりいない。これで西本願寺が二つに分かれた。
🔷何も要らん、帰命しなくていい、と言ったのに対して、それは違うと言われた。

🔶親鸞聖人の頃なら、阿弥陀さんは悪いことをしていても救われる、それは違う、と二つに分かれた。それで、関東から、おのおの京都までこられた同行に対して、
それ以外、知らん!と言われた。
🔷それだけ厳しい。命懸けで関東から聞きに来た。三業惑乱もそれと同じこと。

🔶お東はそれはなかった。お西はたすけたまえを助けて下さいと理解をした。親鸞聖人は一つ、信楽が信心、たのむ。
🔷欲生が中心となったのが、これが❌です。
     【終了】