1️⃣✨【2024年4月06日(土)】10時00分より、北御堂の津村別院にて、濱畑慧憭先生より、御聴聞の会にて『初めての教行証文類』を聴聞しました。

🟨演題は【顕浄土真実教行証文類 】総序の「摂取不捨の真言、超世希有の正法」でした。

🌟【講義メモの走り書き】

🔷総序は三段落に分けられております。二段落目を勧誨(かんかい)と言います。勧め戒められる。
信心を勧めて疑いを戒められる。🔶今回は二段落目のところです。
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」を今日、お話をします。

🔷先輩方は「本典三哉」といわれます。三ヶ所、哉(さい)と使われているところがある。誠なる哉、と親鸞聖人は言われているので、これが真実なのだ!と言われている。この後に慶ばしき哉、悲しき哉と書かれております。
🔶親鸞聖人は慶という字に拘りを持っておられます。生きている間に、どんなことが慶べるのか、因の位に合わせて言われているのが、慶です。

🔷親鸞聖人が最晩年に言われていることですが、何か構想をしている中で、この字と、この字は使い分けなければならないと思われたみたいです。
🔶では果の位はどうかというと、仏果です。

🔷説法の会座が終わると聞いていた方々は、嬉しいと心から慶んでおられる。このことは本当に嬉しかった。これはお釈迦様の慶びと言っても良いと思います。
🔶親鸞聖人は未来の歓びを歓喜と言われます。身も心も歓びを表す時に、歓喜と使われます。
歎異抄では歓べないという問答が出てきますが、ああいう問答に出てくる言葉でもあります。

🔷浄土真宗でいう救いはどういうものか、よく考えておかなければならないと思います。私達の価値観を転換していく。これを救いと言います。
🔶梯実円先生のお師匠でありました山本仏骨先生は「金魚すくいじゃないんだよ」と教えられます。
この世は苦しい、あの世にいったら非常に楽しいことかあるんだよ、良かったよ、という救いではない。

🔷金魚すくいのような救われ方をして、お浄土に行ったら、お浄土のど真ん中で地獄を作り出すんだ!
今と同じ感性を持って、お浄土にいったら、同じ世界しか開きません。
🔶だから、金魚すくいの救いと浄土真宗の救いは違うんだよ、と教えて下さいます。

🔷価値観の転換は勿論、大切だということを押さえておいて頂いた上で、地獄に行くものが浄土に行く救いも、これも勿論、救いだろうと思います。
🔶親鸞聖人の救いとは、非常に幅広いものを持っていると思います。こうやって限定をする必要はないと思いますけれども、お聴聞を重ねていく上で「ここ!」というものだけは押さえて欲しいと思います。

🔷山本仏骨先生の言葉でいうと、価値観の転換ということなのですけれども、死んで地獄に行くものが浄土に生まれる。
🔶死んでゴミになるものが、ゴミにならない。ゴミにならないような救いなのです。そういう生き方が、そこで問われている。

🔷それは浄土に生まれて、仏様になる教えなのか。おそらくそうでしょう。でも仏様になったら、それでいいという教えではない。
🔶何のために浄土に生まれ、仏に成るのか?そこを私達は浄土真宗の教えで、きちんと押さえておかなければならないと思っているのです。

🔷それは一切衆生を救済するためです。ありとあらゆるものが生まれてきて良かった!本当に嬉しい!
🔶皆を救い取っていく。あなたが救われること、幸せになることが私の幸せの救いだ!
「私が救われることは、あなたが救われることだ」と言えるような世界を浄土真宗では、救いと呼んでいたのではないか。
🔷あなたが幸せになる一つは、笑顔になることでしょう。では一番の幸せは何かというと、どう生きていったらいいか、分からない人が、こういうふうに生きていくんだ!とハッキリする。
🔶自障行為をする人がいる。でも中々、止めることが出来ない。
どうして止めるか?

🔷あなたは生きて欲しいんだ、全身で表現をしていくことの積み重ねしか、自障行為をやめることが出来ません。
🔶仏様とは、どういう人か、摂取不捨という言葉もありますように、常にあなたに添い続けて下さる方です。

🔷あなたは自分を大事に出来ない経験をし続けてきてしまった。
言葉ではあなた可愛いね、と言われながら、行動ではあなた、要らないよ!ここにいなくて良いよ!と親に置いていかれる。
🔶あなたは、私の言うことを聞いている限り、ここにいていいよ、役に立つ限りは、ここにいていいけど、言うことを聞かない。役に立たないならば、要らないよ!と行動を言外で受け続ける。

🔷そういう嘘にまみれ続けた時に、その人の生き方が、そういうふうに扱われている人間なんだ、そういうものだから、これは私が悪いからだ、生まれてこなければ、生まれてきたから、こんな!とノーで状況を理解して乗り越えようとする。これは間違った状況理解です。
🔶人は皆、命は皆、幸せになるために生まれてきたのです。どんな命も、今の桜のように満開の花を咲かせて、みんなの命を慶ばせるために生まれてくるのです。

🔷そういう命として大事にされる。そういう経験をしていくうちに自分はどう生きるのか、ということが目覚めてくる。教えられてくる。
🔶今、私はどうやって生きていけば良いのか?念仏をして生きる。浄土に往生して、仏様になって、皆の幸せに繋がっていく生き方をしていく。

🔷その一番が念仏だ!その念仏を通して生きる生き方を確認をしていく。仏道を歩む!といってもいい。仏様に成って、みんなを幸せにしていく生き方を一人一人の上に確立する。
🔶それが確立することが出来る世界に私がいられる世界。出来るか、出来ないかではないんだ!。やるか、やらないかである。成果主義ではない。今、やるかやらないか!

🔷そこに動き出すかどうか。人としては死として終わっていかなければならないけれども、後ろ向きの死か?
🔶親鸞聖人の、あの「力なくして終わる時に」と言われているのは、どこに何をして力なくして、といわれているのか?

🔷人々を救うためには力がない。本当であれば、生き続けて、存在し続けて、人々を救済し続けていく。
🔶その真似事だと言われようとも、本当の意味で、それが出来ていないと言われようとも、それをやり続けようと思うけれども、力なくして、終わっていかなければならない。

🔷一緒には過ごしてあげられない。浄土に生まれていく死は、前向きの死です。完成に向かって、本当にすべき事に向かって、やる事は、もう分かった。
🔶ハッキリとしている。そして、その方法もハッキリしている。
完全に出来る方法も分かった。
あらゆる人は念仏によって救われる。

🔷イスラム教の人は、それでいいでしょう。私の世界に住むイスラム教の方ですから、その人はイスラム教を通して、仏教の尊さを私に教えて下される人なのです。
🔶一人一人の中で、念仏が本当の生き方なんだ!とさせて頂く。

🔷お釈迦様は自分が悟られた時に、万人が悟れることが分かった。だから、伝道の旅に出る。
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     【終了】