1️⃣🌟【令和6年度・第70回仏教文化講座】
✡️八尾市南木の本・若江山 光蓮寺
✡️4月5日(木)午前と午後
❇️ 「御文章のお勧め・平生業成の救い」
❇️阿部 信機先生
🌎️【講義の走り書き】🌎️
🔷今回は光蓮寺の仏教文化講座の70回目であります。どういう因縁で、こういうことになったのか、少しお話をさせて頂きます。
🔶私は生まれは、築地本願寺です。歳は、後期高齢者になりました。昭和23年生まれで、戦後、父親は築地本願寺の職員をしておりまして、なぜかというと、父親は上海にある軍隊の経理学校におりまして、それを見込まれました。

🔷築地本願寺は、空襲に遇わなかった。それは直ぐ近くに十字架の立っているキリスト教の病院があったからです。間違って落としたのが、長崎です。
🔶だから、アメリカはそれを最初に隠した。そこで職員を築地本願寺に住まわせて、父親は経理が達者だったので、職員になった。

🔷そこで私が生まれた。母親は、隣の旅館の娘だった。旅館の主人が築地本願寺の世話人だった。それで私の父親と知り合った。
🔶築地本願寺で12歳まで、ずっと育ちました。父親は群馬県に寺を持ちまして、子供がいないので養子夫婦で入りました。

🔷母親の叔母に当たる人が坊守になり、結婚して、後取りがいないものですから、そこに養女として母親が入り、夫婦養子として入った。
🔶群馬県のみどり市で、当時は初代のお祖父さんがいましたから、それが色々と私に影響を与えているのだと思います。
🔷12歳で群馬県に帰って、高校を出て、浄土真宗のお坊さんは大体、京都の龍谷大学に行った。
🔶東京にいたお坊さんの家は、東洋大学か、慶應大学に行った。なぜかというと、慶應大学を作ったのは、福沢諭吉です。

🔷福沢諭吉は、日本の大学で初めて仏教青年会を作った。ご自分のところで家庭法話をやって、東大の近角常観を招いた。
🔶この人は、アインシュタインに姥捨山の説教をした人です。その近角常観を自分の家に呼んで、家庭法話をした。

🔷だから、バリバリの浄土真宗の人です。東洋大学を作った井上円了は浄土真宗のお坊さんだよね。
🔶お金のあるお寺は、龍谷大学に行った。私が大学に入る頃には、さほどお金持ちでなくても、大学に入れた。住職になる人は、下駄を履かせて貰った。

🔷当時、住職になると言えば、みんな入ることが出来た。
自分は跡取りだから、父親から、お前は龍谷大学に行くか、と言われた。
🔶当時、お坊さんというのは、人が死んだ時に訳の分からないお経を読んで、御布施を貰って帰る。高校生がやりたい仕事ではない。

🔷お前、何がやりたいのか?と聞かれた。小学校の先生の影響で絵描きになりたい。絵の仕事、デザイナー、イラストレーターは当時、花形職業だった。横尾忠則さんとか。
🔶まあええか、ということで許して貰えた。ああいう職業は、世界中の流行というものをキャッチしないと良い絵とかデザインは出来ない。

🔷当時、入ってきたのがアメリカ文化。アメリカ文化は、ベトナム戦争までは、世界では連戦連勝。アメリカが世界を制覇する。ベトナム戦争が酷かった。
🔶皆、徴兵制で、それが嫌だと言う人は、兵隊は丸刈りをする。徴兵、丸刈りを拒否して、髪を伸ばしたのが、ヒッピーの始まりです。
🔷アメリカは一番いい国だと思っていたのに、とんでもない酷い国だ、と。枯れ葉剤を撒いて、未だに奇形児が生まれてくる。

🔶日本の禅、仏教をアメリカに紹介したのが鈴木大拙、奥さんがアメリカ人なので、鈴木大拙は英語で夢見る、凄い人です。
🔷昭和天皇に特別講義をした。英語で訳されたものと、日本語のものがあるけど「仏教の大意」講義の内容で、その結びが庄松同行。
🔶鈴木大拙は妙好人を紹介された。浅原才一を紹介される。

🔷トップクラスのアメリカのインテリたちは、仏教を今まで馬鹿にしてきた。観音菩薩はモンスターで気持ち悪いと言われていた。それを鈴木大拙は英語で紹介して、アメリカの若い人達がキリスト教に絶望しかけていたので、東洋の宗教に引かれた。
🔶その影響を受けて、ビートルズはインドに行った。ビートルズのホワイトアルバムは、全部、ヨーガの修行しているのを作り上げた。

🔷私は当時、最先端の流行の絵の学校に行ってましたから、触れたのですね。
🔶だから、私は龍谷大学に行かなくて良かった。授業がなかった。遊び場だった。そういう時代です。

🔷そうこうしているうちに色々なことがありまして、世界の平和をどうしたらいいか、戦争をなくすには、どうしたらいいか、色々な悩み苦しみをどうしたらいいか?
🔶生きているのは辛くて苦しい。生きている苦しみを解決する方法は何だろうか、と考えていた時に鈴木大拙の書いていた本に、
🟨「人間に生まれてきた目的は覚りを開いて仏になることだ!」と書いてあった。

🔷それで覚りを開くことに気づいた。当時、ヒッピーの人も一杯いた。亡くなったけど、さかきななお、という人がいた。日本のヒッピーの走りの人です。
🔶この人に私は出会いました。この人が凄いのは、座禅を組みながら、般若心経を歌うのです。

🔷朝起きて、大きな声で、それを聞いて、お経のイメージがガラッと変わった。
🔶お経は死んだ人のために読むものではなく、覚りを開く方法が書いてあるのが経典だと分かった。
それから、私の人生が変わって、イラストレーターになっても、私の悩みは解決する訳でない。

🔷でも覚りを開いて仏になったら、全ての悩みが解決する。私が仏になったら、世界が平和になる。こう考えたのです。
🔶人生の目的は覚りを開くことになって、かといって、いきなり日本のお寺に通うことは思わなかった。

🔷その時に出逢ったのが、ヒンズー教の聖者です。ロマン・ローランという人が伝記に書いてある。
🔶ラーマクリシュナという人が、明治から大正にかけて、インドのカルカッタ【コルカタ】にいた。

🔷この人は今でも、どのレストランにいっても、ラーマクリシュナの写真がある。どんな写真かというと、まさに三昧に入っている写真です。
🔶これが聖者か?俺も聖者になりたい。イラストレーターから、聖者にチェンジする。それから、宗教書を読み漁った。

🔷私は旧約聖書、新約聖書を全部読みました。イスラム教までいったけど、イスラムはちょっと肌に合わなくて、これは無理だと思った。イスラムは途中まで読んだけど、ヒンズー教とか。
🔶私はキリスト教は詳しいですよ。キリスト教の説教せよといわれたら、ここで出来ますから。

🔷あと、ヒンズー教、あと禅の本も読んだ。色々と分かってきたことは、世俗を捨てなければ、覚りが開けないと分かってきた。
🔶世俗とは、家庭生活です。
私は、気になって仕方ないのは、本願寺の坊さんになって、アイツは在家だから、という。

🔷みんな在家よ。結婚をしているのを在家という。出家は家出ではない。出家の坊さんは、日本にどれだけいますか?
🔶禅宗のお坊さんは皆、結婚をして在家ばかり。しかも真宗の坊さんが、アイツは在家だ、というけど、お前も在家だ!と言いたい。

🔷在家だから、お前は跡取りなんだ。覚りを開こうと思ったら、出家をしないといけない。出家するには家庭を捨てなければならない。
🔶家庭の中心は夫婦です。親子の縁を切らないと覚りは開けない。これを親鸞聖人は和讃に、恩愛甚だ断ち難く、生死甚だ尽き難し、といわれている。
🔷恩愛とは、男と女の間だけではない。親子の情愛も切り捨てる。それを切り捨てて入ってこい!というのが、他宗の三門なのです。

🔶愛欲を断ちきれ、名利を断ちきれ、それで入ってくる。勝他、人に勝とうという思いを断ちきれ、それを捨てないと、この門から、入ってはいけないというのが三つの門ということ。
🔷山の門と書いてあるのは、浄土真宗だけです。他は三つを捨てないと入れない。それを捨てるのが大変です。そこで日本のお寺はダメなので、インドに行こうと思った。
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