🌟2️⃣🌟【3月25日(月)】8時30分より、岡崎市にて聴聞
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【質問】

同性愛について、これは過去世に影響をしているのですか?

【回答】

多くの場合は、私の見る感じとしては、たとえば、男が男を好きになる。
それは男が好きになるのではなくて、女性が怖いとかでなる。
その人のお母さんが、とても怖い人で、女性に対する恐怖心が出来て、女性が怖くて、同じ感情を同じ男性に向けている、ということもあると思います。

そういう場合は、脳自体は、男だったら、男自体の脳を持っている。あとは脳自体が、女性の脳を持っている。

🟨生まれて、自分の違和感を感じるのは生まれつきのものですか?

⭕⭕さんは純粋にお父さんに対する嫌悪感から、お母さんがお父さんに対して、いつも悪口を言っているのを聞いていると、男って嫌だなあと思う。

🟨ジャニーさんは、男性ばかりに行為をしている。女性なら、分かるのですが?

女性は、怖いじゃん。口が達者で言うことを聞いてあげなくではならない。女性は、ワーッと言ってくるので。男なら、従順なので。

女性と接する時には、自分が大人にならないといけない。ジャニーさんは子供でいたかった。わがままをしたいとなった時に、求める対象としては、母親か、男、少年しかいない。
女性は、大変で、言うとワーッと言ってくるから、もう嫌だ嫌だとなる。
     【終了】
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【質問】

覚如上人は幼児の頃、抜群のイケメンで、比叡山では、多くのお坊さんの同性愛の対象になったと記録にある。これは、お坊さんの心が歪んでしまったのですか?

【回答】

女性はダメだ、ということで、心が歪んでしまった。

🟨出家がいいのか?

悟りを開くためには、現実世界に対するとらわれを離れる必要がある。
それを端的に、現実世界との縁を切って山に籠れば、現実世界に対するとらわれがなくなると思って、出家という制度が出来ている。

でも、実際は現実世界との縁を断っても、心の中は現実世界のことばかりを考えている。

仏教は中道の教えだから、片寄ってパッと切って、とらわれをなくそうとしても、女性に対するとらわれも、それはいけないんだけど、無理矢理に戒律で縛って、やってはいけないんだ、というふうにやっても捕らわれはなくならない。
それは、仏教の中道の教えとは違う。中道はその中で、捕らわれをなくしていく。

🟨⭕⭕会では、そういうことがなかったですか?

⭕⭕会では、分からずにやれ、やれと言っている。

🟨不倫をした方も愛情に餓えていたからですか。

⭕⭕さんなら、権力によって、愛情を得ようとしたから余計に心が渇いた。だから、一人の奥さんだけでは飽きたらず、他の女性と取っ替えてしまった。

🟨不倫事件の頃は、上田さんはどうしていたのですか?

その頃は学院でした。学院にも、その波がやってきまして、大量に学院生が40人いたのが、20人にまで減らされ、やめさせられていきました。

あの事件の後に、多くの学院生が講師部は無理だと凄く厳しくなっていって、学院には置いておけないということになりました。
よく自分は卒業ができたと思います。毎月、何人かずつ、やめさせられていきました。
      【終了】
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【質問】

正しい愛欲の満たし方について、教えて下さい。

【回答】

私達は愛欲を満たすために、価値がなければ、満たされないと思っている。
価値にすがれば、すがるほど、価値がない自分は、相手にされないと思うので、安心が出来ない。

だから、本当は価値のない人間になる必要がある。でも価値のない人間になったら、今度は、そんな自分をどうして愛してくれるのか、となる。

親なら、無条件で愛してくれるけど、何もないのに普通は愛してくれることはない。

そうなると、自分が頭を下げて、人の中に入って、そして、みんなが望むことを気持ちよくやっていく。
そうすることによって、みんなの中で、必要とされる人間となる。自分から近づいていく。

私が先ず家族のことを必要とすることが大事です。必要とするから、ここに居たいから、何でもやります!と。

🟨凄く分かるけど。
🟩それを嫌々でなく、気持ちよくする。それによって愛欲が満たされていくのですね。

自分が必要としている。そしたら、子供が近づいてきてくれたら、これは価値とは関係なく近づいてきてくれたと思う。
その気持ちが嬉しくて、自分の愛欲が満たされる。

子供が望んでいることを何でもやってあげる。居心地がいい。
そうすると子供がきてくれることが自分には凄く嬉しい。そのわすがな喜びを貯めていくのが愛欲。

一気に解消される訳ではないけど、少しずつ。

🟨主人は自主的にやってあげたいという気持ちがあまりないのでは?

それは正義が強いから、やらなくてはいけないから、⭕⭕さんのために誕生日、おめでとうといってあげて下さいね、というと、それが正義になる。
本当に大事だから、やっている訳でない。それが正義だからやっている。それを言われたからやっている。

🟨どうして、そうなったのか?

それは⭕⭕会で、動くロボットのように長い間、自分の意思で動くことを否定されてきたから。

⭕⭕さんは、平等に接しないといけないと思っている。
奥さんに9、お母さんに1ぐらい。
🟩上田さんは、平等ではなく、奥さんを重く比重を置いているので、最初は抵抗があった。私は兄弟でも平等思想があった。
🟨兄弟でも、仲がいいのは上の子を大事にしていますね?

そうそう。

🟨会社では、平等した方がいいのですか?

会社では、ある程度、平等にしないといけない。あんまり深く関わるところではない。関わったら、どちらが一番か、二番かになるので。
会社は、そこまで深く期待させない。そこまで深く関わってしまったら、大変になる。
      【終了】
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【質問】

唯識教学で説かれる『成唯識論述記』に書かれている智増の菩薩、悲増の菩薩、悲智平等の菩薩について教えて下さい。それと煩悩の再発について、説かれているところも、お願いします。

【回答】

智増の智慧とは、この相手に対しては、こう伝えた方がいい、こう接した方がいい。そういうものが智慧です。
⭕⭕さんが⭕⭕さんに、こうした方がいい、というのは、その方法をどんなに貫いても、相手が変わる訳ではないとしたら、⭕⭕さんには、智慧がない、ということ。智慧とは、人を導く力でもあります。

次に悲増というのは、慈悲ということで、本当に相手のことを思う気持ち、優しい気持ち、救ってあげたいという思い、それは一人の人に対して、どれだけ粘り強く接してきたか、心をかけ続けてきたか、そういうことがかかっている。

私は過去世、おそらく多くの人に話をする一辺倒で、一人の人に時間をかけて、この人を導いてあげなくてはいけない、という思いでやってきた訳ではなかったので、人を導く力はあるけれども、情の深さというのは、薄情なところがあった。

昔の僕なら、家族のことよりも、外に飛び出して活動をした方がいいと思っていた。

悲智平等の菩薩とは、智慧と慈悲の両方ともやってきた人。

不思議変易生死とは、無生法忍の悟りを開いている。

私達は死というと、肉体の死に凄く、とらわれます。でも仏様になると肉体の死に対しては、魂が続いていくと知らされているから、肉体の死にとらわれなくなります。

仏様は肉体の死によって、何を失うかということを知っているから、失われるものに対する執着が少ない。だから、ずっと続いていくものに対して、時間やお金や体力をかけていく。

悲増とは、人に凄い思い入れがある。この人のために一生懸命にやる。
そしたら、死というのは、その人との別れなので、凄くその人に対して、いなくなってしまうこと、別れることは悲しいことで中々、それに対して、仕方ないとは思えない。
そこは智増の方が、あまり時間をかけていないから、思いが少ない。

煩悩の再発というのは、この場合の煩悩とは、価値にとらわれる心なので、分かりやすくいえば、
自分は愛欲の固まりなんだ、と、再発に恐れるというのは、愛欲を価値で、価値があるから、愛欲は満たされるんだ、という心に戻ってしまう。

どうしても私達には価値にとらわれる心が出てくると、おかしな方向に進んでいく。
煩悩の再発を恐れるとは、自分に正直に、私達は階段を登るようにどんどん進んでいきたい。

地道にコツコツとやっていくことが大事なんだ、と分かる人は、もっと早い段階で、なるし、恐れないともっとやっているつもりで、俺って、こんなに価値の方にとらわれて、煩悩の方に心がいって、もっと長い時間がかかる。
本当にコツコツとやっていった方が、早く進める。
      【終了】