1️⃣✨🪐【3月26日(火)】名古屋東別院会館〖愚深会〗にて、鶴田義光先生の「御文を読む会」に参加しました。
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✡️新たな気付きがあり、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

🔶蓮如さんには身の危険があり、11月までの三ヶ月間、御文を書く余裕がなかった。
🔷何のための報恩講なのか?
勝手に解釈をして吹聴するものがいたために誤解を受け、世間から、弾圧を受けられた。
🔶吉崎に何千人と人が増えた。世間の争い事に巻き込まれて、大阪に逃げられる。そのあとは京都に逃げられる。
🔷蓮如さんは、ずっと逃げられたけれども、その間に教えを説いていかれた。
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✡️【配布資料】
🌟【蓮如上人『御文』を読む会】 〖資料8〗(「愚深会」令和六・1月)
◎五帖御文「第三帖第十一通《毎年不闕の御文》」
(『聖典』p810~p811)蓮如61歳。
河内国の出口にて

⭕親鸞聖人の御正忌の集いに際して、門徒の自分勝手な領解による弊害を戒め、親鸞聖人の教えの正しい意義を聞き、信心獲得することが、仏恩報謝となることを示す。

🔷蓮如上人は、文明七年八月二十一日、文明三年より、四年間、居住し、布教活動に専念した吉崎を退去し、若狭小浜(福井県小浜市)を経て、河内出口(大阪府枚方市)に移住した。
🔶以後、文明十年、山科(京都市)に移住するまでの間、坊舎を建てて畿内での布教の中心地とした。

🟨「そもそも今月二十八日は、開山聖人、御正忌として、毎年不欠に、彼の知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡、その他、いかなる卑劣の輩までも、その御恩を知らざるものは、まことに木石に異ならんものか。これについて、愚老この四五か年の間は、何となく北陸の山海の片辺に居住すといえども、はからざるに、今に存命せしめ、この当国に越え、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあいたてまつる条、まことにもって不可思議の宿縁、喜びても、なお喜ぶべきものか。
しかれば自国・他国より来集の諸人において、まず開山聖人の定めおかれし御掟のむねを、よく存知すべし。その御ことばにいわく「たとい牛盗人とは呼ばるとも、仏法者・後世者と見ゆるように振る舞うべからず。また外には仁義礼智信をまもりて、王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本とすべき」よしを、懇ろに仰せ定めおかれしところに、近代この頃の人の、仏法知り顔の体たらくを見及ぶに、外相には仏法を信ずるよしを人に見えて、内心には更にもって、当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまつさえ相伝もせざる聖教を、わが身の字力をもって、これを読みて、知らぬえせ法門を言いて、自他の門徒中を経回して、虚言を構え、結句、本寺よりの成敗と号して、人をたぶろかし、物を取りて、当流の一義をけがす条、真実真実、あさましき次第にあらずや。これによりて、今月、二十八日の御正忌、七日の報恩講中において、悪き心中の通りを改悔懺悔して、おのおの正義におもむかずは、たとい、この七日の報恩講中において、足手をも運び、人真似ばかりに報恩謝徳のためと号すとも、更にもって何の所詮もあるべからざるものなり。されば、弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうえにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどと申すことはあるべけれ。この道理をよくよく心得て、足手をも運び、聖人をも重んじたてまつらん人こそ、真実に冥慮にもあいかない、また別しては、当月御正忌の報恩謝徳の懇志にも深くあい備わりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
 文明七年十一月二十一日 書之」

【語句の解説と領解】 
 ⭕「御正忌」➡️ 故人の亡くなった日に当たる、毎年の当該月日。十一月二十八日は親鸞聖人の御正忌。

⭕「不闕(けつ)」➡️ 欠けることがないこと。

⭕「いかなる卑劣のともがらまでも」➡️ どのような卑しい身分や心構えの者までもが(報恩講に参列しているが)。

⭕「北陸の山海のかたほとり」➡️ 越前吉崎の地を指す。

⭕ 「当国」➡️ 河内国を指す。
蓮如上人は、文明七年八月二十一日に吉崎を退去し、河内国の出口(大阪府枚方市)に移住した。 

⭕「仁義礼智信をまもりて、王法をもって先とし」➡️ 道徳 (仁義礼智信)を守り、世俗の法律や慣習(王法)に従うこと。

⭕「あまつさえ」➡️ その上に。 
⭕「成敗」➡️お達し。ご命令。

⭕「何の所詮もあるべからざるものなり」➡️ 何の甲斐も利益もあるはずがないことである。

⭕「冥慮」➡️ 如来や親鸞聖人のおぼし召し。

✡️※【問題提起】
① 「たとい牛盗人とは呼ばるとも、仏法者後世者と見ゆるように振る舞うべからず」とあるが、「仏法者・後世者と見ゆるように振る舞うことは、なぜいけないのであろうか?

②「外には仁義礼智信をまもりて王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本とすべき」とあるが「ほかには王法をもって先とし、内心には信心を本とす」とは、具体的にどのような生活態度を言うのであろうか?
また、それはどういう理由から言われるのであろうか?

🌟➡️ 王法とは、世間の法律、儀礼、慣習を優先する。
🌟古文で「すべし」は命令ではない。命令は一番少ない。間違ってしまうので、するのがよい。適当の「よし」
🌟p.680『改邪抄』にもある。
🌟後世者ぶっていたのは、神社をかろしめたり、年貢を納めなかった。
🌟世間の倫理道徳を破っても、無礙に救われるから、と思って、生活は貧しいし、破る人が現れてきた。
🌟それは造悪無礙であり、薬ありとて好むべからず、親鸞聖人の教えに背いている。敵を作ってしまう。それを窘める。
🌟たとえば、戦争になって、戦時中、我々も協力する方向に走ってしまった。それは間違っている。
真俗二諦を戦争に利用された。
🌟「深くたもて」どこまでも信心を頂いていきなさい。忘れるな。
🌟一番の要は、機の深信。本願に背いている我が身を、懺悔、忘れるな。
🌟もしロシア、北朝鮮から、責められて戦争になると、どうするか。もし反対すると潰される。単純に間違った教えに賛同するのか?
🌟徴兵制が始まったら、賛成するのか?単純な問題ではない。
たとえ殺されても、弾圧に対して、教えは守るべき。教団が潰されても。
🌟一番大事なのは何なのか?
本当に大事にすべきことは一つ、真実信心を明らかにする。
🌟願生に生きる。発言、意思表示は必要になる。
今は、何をいっても良い時代なので天皇批判も許されるけど。
🌟覚悟をもって、本願に生きる。
🌟キリスト教でも、踏み絵をされた。
🌟王法と仏法、時代によって変わってきている。
🌟本願に生きる、とは、どうすることか?正義に立っていると、懺悔抜きには安っぽい、自己主張になる。
🌟懺悔のない立場、自分は本願に生きている。先の六つの掟を守らない人がいて、それを戒めている。
🌟戦争に対する態度はどうあるべきか?戦争を肯定する党に選挙の票を入れるのか?
🌟池田勇諦先生は明らかに信心を賜っておられるけれども、言われていることが、全て真実信心の通りに言われていることではないと思う。

③ 「 御正忌(報恩講)」の持つ意義とは、どうなることとしていただくべきであろうか?

🌟➡️ 読めば分かる通り、信心を獲得すること。
🌟「悪き心中の通りを改悔懺悔して、おのおの正義におもむかずは、たといこの七日の報恩講中において」を確かめること。
🌟毎回の聞法が本当に正しく頂けているのか?
🌟100%、どこか間違っていますから、信心を頂いていても、間違っている。
🌟改めて問うべき、根本的なところを、深いところを問うべき。
🌟信心を賜る意味。念仏をする意味としない意味は、どう違うのか?
🌟報恩講は、一年の聞法の一つの総括。実は毎回の聞法が問われている。
     【終了】