🟨②悟りの結果の違い【聞経・不同得益】阿羅漢果・不還果・一来果・預流果・聖道権仮の方便に衆生久しくとどまりて諸有に流転の身とぞなる悲願の一乗帰命せよ【令和6年03月07日】
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🟥https://youtu.be/TfNtW6FY0S8?si=h3_xztAMKw6JIzUL
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2️⃣〖レジメ資料〗
🌎️🌟悟りの結果の違い🌟
1️⃣阿羅漢➡️ 貪瞋痴が無
2️⃣不還果➡️ 貪瞋が無
3️⃣一来果➡️ 貪瞋が薄くなる
4️⃣預流果➡️ 我見・疑・戒禁取が無
5️⃣⑤tato mudutarehi dhammānusārī hoti,
⇒ それより軟弱であれば、随法行者になり、 
6️⃣⑥ tato mudutarehi saddhānusārī hoti.
⇒ それより軟弱であれば、随信行者になります。
 
🔶解説:随法行者➡️ 智慧と知識で、涅槃に対して、納得している。
 
🔶解説:随信行者➡️ 涅槃と解脱に対して、確信にいたっている。
 
▶⑤と⑥の実践者も、覚者と言わないが、凡夫の次元を越えているといわれます。
 
【理由】
⇒「比丘たちよ、このように、根の相違は果の相違になり、果の相違は人の相違になります。」
 
➡️ 人の根本的な性格と能力によって、出す力、意欲、実践の仕方に差が生じるのです。
 
➡️ 個の宿題なので、必ずしも師匠・指導者が期待するほど、満点にならない場合もあります。
 
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聖道権仮の方便に
衆生ひさしくとどまりて
諸有に流転の身とぞなる
悲願の一乗帰命せよ
     【大経和讃〖72〗】
❇️大経の最後の和讃では、親鸞聖人の作文となっている。
 
🔷念仏に導く為に聖道の教えが分からず、聖道仏教が真実の教えだと思って、衆生が久しく留まっている。
🔶結局、仏を念ずることがないから、煩悩から離れることもできずに、流転を繰り返すだけで、一生を終えてゆくことになる。
 
🔷だからこそ、念仏の教えを信じ、帰命しなさいと教えられています。
🔶このお言葉を見ると、聖道仏教は方便の教えだから、いらないように思ってしまいますが、あくまでも、聖道仏教は権仮の教え。
 
🔷権仮とは、真実に入る為に必要な教え。聖道仏教に励むと己の醜い心が見えてくる。
🔶それを聖道仏教は否定して、そうならないように頑張り続ける。
 
🔷でも、そうやって頑張り続けるから、諸有に流転の身とぞなるのだ。
🔶自分が醜い心しかないと明らかに認めて、仏を念じなさい。
念ずれば、醜い心からも離れてゆくのである。
 
🔷だから、聖道仏教は念仏へと導く為に必要な教えなのである。
念仏をするからこそ、私たちは煩悩から離れ、仏の身になることができる。
🔶でも、多くの人たちは念仏に導くための方便の教えが、聖道仏教であることが分からず、久しく留まり続けている。
🔷だから、早く悲願の一乗である念仏に帰命しなさいと教えられたのです。
 
🌟【聞法の得益】
🟨その時に世尊、この経法を説きたまふに、
🟨無量の衆生、みな無上正覚の心を発しき。
🟨万二千那由他の人、清浄法眼【預流果】を得、
🟨二十二億の諸天・人民、阿那含果【不還果】を得、
🟨八十万の比丘、漏尽意解【阿羅漢果】し、
🟨四十億の菩薩、不退転を得、
🟨弘誓の功徳をもつて、自ら荘厳し、将来の世において、まさに正覚を成るべし。
 
🌟【聖典の本願寺註釈版】
🔷無上正覚の心➡️ 菩提心のこと
🔶清浄法眼➡️ 声聞の修道階位である四果の最下位、須陀洹果(預流果)に入って得る四諦の理をさとる智慧の眼
 
🔷阿那含果➡️ 阿那含
🔶漏尽意解し➡️ 煩悩を滅し尽して智慧を得て、声聞の修道階位である四果の最高位、阿羅漢果に達するという意。
 
🔷弘誓の功徳➡️ 衆生済度の誓願を立て、その誓いに応じて修行し、種々の善根功徳を積むこと。
 
🟨その時に三千大千世界、六種に震動し、大光あまねく十方国土を照らす。
🟨百千の音楽、自然にして作り、無量の妙華、紛々として降る。
🟨仏、経を説きたまふこと已りて、弥勒菩薩、および十方より来れる諸々の菩薩衆・長老阿難、
諸々の大声聞・一切の大衆、
仏の所説を聞きたてまつりて、歓喜せざるはなし。
     【終了】