1️⃣【3月12日(金)】西宮市の念仏寺にて午後3時より5時半まで、土井紀明先生〖念仏座談会〗での御縁を頂きました。
 ………………………✴️✴️……………………
✡️【講義録の走り書き】〖前半途中から〗

🔷この前に、私と親しくしている瓜生崇さんから、メールを頂きました。
「清沢満之は必要なのですか?」という問いが来ました。
🔶戦後30年以降に同朋会運動がありました。

🔷清沢教学を入り口にして、浄土真宗を聞いていこう、という運動がありました。
🔶それから、清沢満之のことが出るようになって、私も高校時代に浄土真宗に出会いまして、そこで大学はどこにいくかということになり、龍谷大学に行く予定も少ししていた。

🔷佐々木蓮麿という人の本を読んで、清沢満之のことを触れていて、これは凄い人だと思って、私は大谷大学に行き、清沢満之に触れるようになりました。
🔶本願寺派は清沢満之については殆んど触れない。私も本願寺の先生から、結構、教えてもらいました。

🔷瓜生さんは清沢満之を通さずに浄土真宗に入ってこられた。確かに清沢満之がなくても、浄土真宗は聞ける。
🔶では、なぜ清沢満之が必要なのか?

🔷歎異抄第二章の、ここに関わってくることなのです。
🟨「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞 がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか」

🔶阿弥陀仏の救いは、なぜ真実なのですか?と尋ねられたら、どう答えるか?
🔷これはキリスト教も同じです。十字架にかけられ、そのあとに復活した。贖罪、贖い、キリストのお陰で我々の罪が除かれた。

🔶なぜキリスト教が真実なのか、疑います。多くの人は聖書に書いてあるからだという。聖書パウロ
がいわれているから。
🔷仏教では阿弥陀さんのことが浄土三部経に説かれている。三部経は仏説だと、仏説だから、間違いない。

🔶要するに経典に書いてあるから、間違いない。ところが、そこで収まっていいのか、ということがある。
🔷これは明治時代から、問題になっていて、無量寿経が我々の真実の拠り所であると。仏語だから。
🔶「仏語に虚妄なし」といわれる。弥陀の本願、間違いない。

🔷皆さんなら、どう答えるか。
お釈迦様が、親鸞聖人がおっしゃっているから、間違いない。
これで収まっているようなのですけど。
🔶大乗非仏説といわれて、大乗経典は歴史上のお釈迦様が説かれたものではないということが今日、言われている。

🔷歴史上のお釈迦様でなくても、私達は仏説無量寿経という。無量寿経は約一世紀頃に現れた経典です。
🔶今の経典を勉強すればするほど、これは本当にお釈迦様の言葉なのか、大きな問題となり、研究されている。

🔷無量寿経は、お釈迦様が亡くなってから、400年後に説かれた経典だとなって、大乗経典は非仏説だと明治から、言われるようになった。
🔶私が思うのは、お釈迦様のあとに悟った人は次々と現れてきている。そういう方々が説いていかれたのが大乗経典である。

🔷アメリカの南部の人たちは、聖書を信じて、ダーウィンの進化論も学校では教えない。
🔶聖書が正しいんだ。イスラム教のコーランも同じ。聖典主義、聖典が最後の拠り所。

🔷仏教も仏説だから、間違いないんだ!ところが、聖書も色々と研究すると、後の人が加えた。
🔶しかも矛盾することがある。聖書の権威も大分、落ちてきている。イスラム教はコーランを疑ったら、逮捕しかねられない。

🔷聖書主義が、段々と通用しなくなってきた。そうすると何が出てくるか?
🔶コーランだけが絶対に正しい!
仏教でも日蓮宗は、法華経以外は間違っているという。

🔷清沢満之は既に、そういうところに目を付けていた。一番もとにある真実がある。
🔶それを悟った人が釈尊、あるいはイエス、ムハンマドとか、どんな民俗でも通用する、貫通している普遍的な真実が元々あって、それを体得した人が伝えるため、それが道元とか、親鸞が色々と表現をしている。無量寿経もそれを表現している。

🔷どれだけ、それを正確に表現をするか、普遍的な真理を問題にしていく人が進んだ人、誰でも、万人に共通している真実、それをどう表現するかによって、違いが出てくる。
🔶普遍的な真実というものを探求していったのが、清沢満之という人。

🔷これは非常に大事なことであって、浄土真宗、親鸞聖人はこれを「摂取不捨の真理」と言われた。
🔶はかりなき命、はかりなき光、働きが私自身をおさめ取って捨てない。

🔷これは真宗だけではない。私と阿弥陀仏とは離れない。阿弥陀仏と離れて、私はない。仏凡一体。
🔶インドの宗教、ヒンズー教では、梵我一如という。梵とは神様で、神様と私とが一体である。
これが印度哲学の一番基礎である。

🔷キリスト教でも、同じことを言う人がいる。普遍的な真理がある。
🔶日本では、井筒 俊彦、この人は凄い人で、天才です。外国語を30以上を操ることが出来た。中国、そして仏教のこともよく知っている。
……………………✴️…✴️……………………
🌎️❇️【Wikipedia】❇️🌎️

🌟井筒 俊彦(いづつ としひこ)1914年5月4日 - 1993年1月7日)
🔷言語学者、イスラム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。
慶應義塾大学名誉教授
🔶語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
🔷アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語等の30以上の言語を流暢に操る。
🔶日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組む。
🔷イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収める。
🔶禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。
🔷東京府出身。父の井筒信太郎はオイルマン。また書家で、在家の禅修行者。坐禅や公案に親しんで育つ。
🔶旧制青山学院中学で初めてキリスト教に触れる。当初はキリスト教に激しい嫌悪感を抱き、礼拝の最中に嘔吐したこともある。
🔷文学部志望だったが父の反対を受け、1931年4月慶應義塾大学経済学部予科に入学。
🔶しかし経済学の講義に興味なく、文学部英文科に転じる。
🔷在学中、旧約聖書に関心を持ち、ヘブライ語を習う。さらにアラビア語を学ぶ。同時にロシア語や古典ギリシア語・ラテン語も学習。1度に10の言語を学んだ。
……………………✴️…✴️……………………
🔷浄土真宗は、なぜ本当なのか、真実なのか?
それを説かれたのが、仏説無量寿経、普遍的な真理というものを、私達に説いて下さった浄土真宗の人として、清沢満之という人が現れた。
🔶そのあとに西田幾多郎という人が出てきたし、そして、井筒俊彦という人が現れた。日本だけでも凄い人が現れた。それが、ヨーロッパでも現れてきている。

🔷私が言いたいのは、清沢満之は、勿論、仏説無量寿経が真実ですけど、真実そのものは経典を越えて、その真理を如何にして伝えるか、それをお釈迦様は法蔵菩薩として伝える。
🔶だから、法蔵菩薩は歴史上の人物として、修行をして阿弥陀さんになったという話ではないことは、よく分かっている。

🔷五劫という長い間、思惟をする。人間には出来ないこと。その真理を単に直接、伝えても伝わらないので、親鸞聖人は摂取不捨の真理を如何に有難い、恵みに満ちたものであるか、そして万人の拠り所であるかを因と果で説いて下さっている。
🔶私達がそれによって、そこに慈悲を感じる。慈悲を中心にして説かれる。人間の心というものは不思議だと思う。真理というものは温かい情け、慈悲という形でないと我々の心に浸透してこない。

🔷人は優しさというものに感動する。旅行でも海外に行くと困ることがある。旅行で一番印象に残るのは、そういう人に出会ったことです。人間関係でも優しさに出会ったことは忘れられない。
🔶それが阿弥陀さんの慈悲。それに触れることによって、普遍的な真実と出会う。

🔷話は飛びますが、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、一声、一声、阿弥陀さんが助からない私に対して、そのまま引き受けるぞ、助けるぞ、助けずにはおかない。
🔶阿弥陀さんが私のところまで来て、私に呼び掛けて下さる。ここまでのご親切、ちょっとありませんわ。

🔷キリスト教の十字架も、二千年前のこと。それを聖書によって。
🔶今は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声となって呼びかけておられる。これは有難いことです。

🔷如来様は今、ここにいる。今、私と共にいる。阿弥陀さんが私の存在根拠である。
🔶阿弥陀さんが私の主体であると。私の命の主であると感じる。それが智慧となる。

🔷本当は人生は行き詰まらない。私の思いは行き詰まるだけで、私の計画やプログラム、願いや欲求は行き詰まるだけで、行き詰まらない阿弥陀さんは、私を担ってくださり、私と共に生きて下さる。
🔶私の肉体は滅びる、死ぬけど、命自身は死なない。ずっと続いていく。

🔷親鸞聖人は信の巻の一番最初に「長生不死の神方」と書いてある。素晴らしい方法ということです。
🔶信心は長くて死なない道、方法があった。死にたくないなら、信心を頂きなさい。これは物凄くリアルです。
🔷みんな、死にたくないのに死んでいかなくてはならない。死なない無量寿の命が今、私と共にいる。

🔶私なんかは、仄かですけど、なるほどなあ、と実感が出来ます。
これがクリアに分かったら、大したものです。
🔷そういう人もいると思いますけど。永遠の命に生きている。
これは完全に悟った人。これは、仏様ですけど。

🔶今、ほのかでもいいです。一声、南無阿弥陀仏、私と阿弥陀様が離れない。
🔷それを清沢満之は近代において、最初に、
🟨自己とは何ぞや!
これ人生の根本的問題なり。
(清沢満之「臘扇記(ろうせんき)」)
🟨自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。

🔷清沢先生は、普遍的な真理から言われた。それを色んな形で、言われている。仏説無量寿経の真実は凄いと思います。
   【前半終了】