1️⃣🌟【2024年3月10日 (日)】
芦屋仏教会館【公開仏教基礎講座】午後1時30分~3時
講題:『観無量寿経』を読む(3)「王舎城の悲劇②」
講師:浄土真宗本願寺派総合研究所研究員・京都女子大学講師
     那須 公昭 先生
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🔷王舎城の悲劇については、何十回と聞いてきた話ですが、新たな気付き、学びを深めることが出来て良かったです。
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🌟【配付資料】
【芦屋仏教会館〖基礎講座③〗】
❇️2024/03/10 作成:那須公昭

⏹️【第3回『観無量寿経』を読む】
 🌠王舎城の悲劇②
○『観経』の経題と王舎城の悲劇前編(前回復習)

■経題:観無量寿経
🔷「経」:善導大師は仏の言葉は、たて糸にあたり、
その言葉で表される尊い法義内容は、よこ糸のようなものであると示される。

⇒ 仏陀の巧みな教説が、人々を救う本願の法義をしっかりと保って失わず、人々に生死を超える真実の道を明らかに知らせているから、仏の教説を「経」という

■ 『観経』の説かれた場所
🟨かくの如く、われ聞きたてまつりき。ひと時、仏、王舎城、耆闇崛山のうちにましまして、大比丘の衆、千二百五十人と倶なりき。
🟨菩薩三万二千ありき。文殊師利法王子を上首とせり。 (註釈版、87)

❇️「王舎城」➡️ 現在のラージギル。マガタ国の首都 
❇️「耆閣崛山」➡️ 霊鷲(りょうじゅ)山のこと。晩年の釈尊が生活した場所。

■提婆達多と阿闍世(あじゃせ)
❇️提婆達多➡️:阿難の兄で釈尊の従兄弟(いとこ)と言われる。
釈尊に従って出家するが釈尊を妬み、ことごとく敵対し、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、破和合僧)を犯したとされる 【岩波仏教辞典「提婆達多」より】

⇒ 提婆達多は、阿闍世の出生の秘密を阿闍世に話し、いつ何時、殺されるかもしれないから、と、クーデターをすすめた。

🌠※仙人殺しを善導大師が語った意図
🟩『観経』を読んだ限りでは、阿闍世と提婆達多は極悪人で、韋提希は苦難を乗り越えて、さとりを開く聖人のようにもみえます。
🟩しかし、善導はそんな単純な図式で、この経典を読まなかった(中略)。
🟩善導が、わざわざ仙人殺しの因縁話を記述したのは『観経』 を“煩悩を抱えた者たちの群像劇” 的なとらえ方をしていたからではないか、と思うのです 。
(釈徹宗『「観無量寿経」をひらく』29頁)

◼️幽閉された頻婆娑羅王の様子

❇️お妃である韋提希夫人より、食事と葡萄(ぶどう)の汁を与えられ、精気を取り戻した頻婆娑羅(びんばしゃら)王は、釈尊にお願いし、目連・富樓那(ふるな)から受戒と説法を受け、顔色和悦(わえつ)であった。

✡️〈頻婆娑羅王〉⇒ 古代インドマガダ国の王。王舎城に住み、仏教信者となって、釈尊と、その教団を外護した。
彼は王舎城で托鉢し、修行している出家直後の釈尊の姿をみて感動し、財産を与えて、出家を止めさせようとしたと伝えられる。(岩波仏教辞典)
🌠序分の科段・・・図表① 
🌠幽閉された頻婆娑羅王・図表②
      【1】

1️⃣. 幽閉される母、韋提希(禁母縁)
🟨時に阿闍世、守門のものに問わく「父の王、今になお存在せりや」と。時に守門の人まうさく、🟨「大王、国の大夫人、身にシャ蜜を塗り、瓔珞に漿を盛れて、もって王にたてまつる。沙門目連、および富楼那、空より来りて、王のために法を説く。禁制すべからず」と。

🟨時に阿闍世、この語を聞きおわりて、その母を怒りていわく、
「わが母はこれ賊なり。賊と伴なればなり。沙門は悪人なり。幻惑の呪術をもつて、この悪王をして多日、死せざらしむ」と。すなわち利剣を執りて、その母を害せんと欲す。    (註釈版、88)

⇒ 飲まず食わずの頻婆娑羅王が生きていていることに不審を抱いた阿闍世は、守門者にそのことをたずねた。守門者は今までの経緯をいう。それを聞いた阿闍世は、実母である韋提希を「賊」、目連らを「悪人」といい、実母を殺そうとした

🔷我々を煩悩具足の凡夫という。

⇒ 自分に敵対するものは、すべて許しがたい賊であり、悪人であるという阿闍世の言動は、自己中心的な想念に支配されている凡夫の本性があらわになっている。

🟨時に一人の臣あり。名を月光という。聡明にして多智なり。および耆婆と王のために礼をなしてまうさく、
🟨「大王、臣、聞く〈毘陀論経〉に説かく〈劫初より、このかた諸々の悪王ありて、国位を貪るが故に、その父を殺害せること、一万八千なり〉 と。
🟨未だかつて無道に母を害することあるを聞かず。王、今、この殺逆の事をなさば、刹利種(せつりしゅ)を汚さん。
🔷刹利種➡️ クシャトリヤのこと〖王様、武士階級〗。

🟨臣、聞くに忍びず。これ栴陀羅(せんだら)なり。よろしくここに住すべから ず」と。
🔶栴陀羅なり➡️ アウトカースト(不可触民)

🟨時に二人の大臣、この語を説きおわりて、手をもつて、剣を按(おさ)へて却行して退く。
🟨時に阿闍世、驚怖し惶懼【おびえる】して、耆婆(ぎば)に告げていはく、
🟨「汝、わがためにせざるや」と。耆婆まうさく、
🟨「大王、つつしんで母を害することなかれ」と。
🟨王、この語を聞き、懺悔して救(たす)けんことを求む。すなわち剣を捨て、止まりて母を害せず。
🟨内官に勅語し、深宮に閉置して、また出さしめず。 (註釈版、88-89)

❇️毘陀(びだ)論経⇒ バラモン教の根本聖典で、神々に対する讃歌や祭詞、呪文などを集めたもの。ヴェーダと呼ぶこともある

✡️〈耆婆(ぎば)〉 ➡️ ジーヴァカ。とても優秀な医者。
『涅槃経』によると腫瘍(しゅよう)の出来た阿闍世に耆婆は「今こそ釈尊の教えを受けなさい」と提案する。

⇒ 月光は、耆婆と共に 、
「ヴェーダ聖典によれば、世界のはじめより、今日まで国王の位をもとめて父を殺害した悪王は、一万八千もいるが、母を殺害するようなことはなかった。それは、もう人間のすることではない。私どもがここを去りましょう」といい、剣の柄に手をかけ、じりじりと後ろずさりをした。
その二人の剣幕に阿闍世はおびえ、異母兄の耆婆に「そなたも私を見捨てるのか」と尋ねた。
耆婆は「母君を殺害することだけはおやめください」とかえした。
阿闍世は許しを請い、剣をすて、その場を離れた。韋提希は幽閉されることとなった ※図表③

      【2】

2️⃣2. 韋提希のなげき (厭苦縁)

🟨「時に韋提希、幽閉せられおわりて、愁憂(しゅうう))憔悴(しゅうすい)す。はるかに耆闇崛山に向かいて、仏のために礼をなして、この言をなさく、
🟨「如来世尊、在昔の時、つねに阿難を遣わし来らしめて、われを慰問したまいき。われ今、愁憂す。
🟨世尊は威重にして、見たてまつることを 「得るに由なし。願わくは目連と尊者阿難を遣わして、われとあい見(まみ)えしめたまへ」と。 (註釈版、89)

❇️秋憂憔悴➡️「身も心も、やつれはて」 

🔷やつれはてた理由について
①大王に食事をあげられなくなった
②仏にあえなくなった。
③また殺されるかもしれない「絶望のどん底に今、自分がいる、ということの自覚」
🌠「絶望的な場から出発して、真実の法に目覚めていくという展開へと連結することにつながる」
   (雲山和上1994、92-101頁)

🟨未だ頭を挙げざる間に、その時、世尊、耆閣崛山にましまして、韋提希の心の所念を知ろしめして、すなわち大目犍連、および阿難に勅して、空より来らしめ、仏、耆闍崛山より、没して王宮に出でたもう。 (註釈版、89-90)

🌟天台大師は『法華玄義』に法華経が説かれた年齢を72歳と書く。
🌟『善見律毘婆沙』に、アジャセはお釈迦様が涅槃して、8年して亡くなる。王位の年数を計算すると72歳となるようです。

✡️だから、法華経と観無量寿経は同時、同味の教えと言われる。

🌟イダイケは直接、来て欲しいといわれていないのに、釈尊はわざわざイダイケのために現れた。

❇️釈尊が目連と阿難をつれて、自らあらわれた
「・・・浄土の法門は、仏の自説でなければ、説き明かすことのできない絶対不可思議の教え」 (梯和上 2003、64頁)

🟨時に韋提希、仏世尊を見たてまつりて、自ら瓔珞(ようらく)を絶ち、身を挙げて、地に投げ、号泣して仏に向かいて、まうさく、
🟨「世尊、われ宿(むかし)、何の罪ありてか、この悪子を生ずる。
世尊、また何らの因縁ましましてか、提婆達多とともに眷属たる。(註釈版、90)

🔷ここは面白いところ。せっかくお釈迦様が来て下さったのにイダイケは文句をいう。

❇️瓔珞を絶つ ➡️ 瓔珞は飾りの意味。
🔶首飾り、宝石をぷちっと切る。

1️⃣1、権力の象徴 (例・水戸黄門の紋所)
2️⃣2、富の象徴
3️⃣3、虚仮の象徴 (飾ろうとする心)

⇒ (便利な瓔珞をひきちぎった) 「ヨーラクは畢竟依ではない・・・命にかかわる問題に直面した時には、何らの役にも立たない」
 (雲山和上1994、101-110頁) 

「私たちが浄土真宗の法義によって与えられるのは、世間をうまく渡ってゆくための要領とか、
その場限りの理屈で、自己満足するための人生観などではないことは言うまでもないでしょう。
(中略)
社会的な身分や、世間的な立場の如何を問わず、人間である限り、誰にでもついてまわる苦悩、それこそが、本願の大悲のはたらくところ (徳永和上 2005、37頁) なのでありましょう」
     【3】

3️⃣3. 釈尊の応答

🟨「やや、願わくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。われまさに往生すべし。
閻浮提(えんぶだい)の濁悪の世をば、楽(ねが)わざるなり。(中略)
やや、願わくは仏日、われに教えて清浄業処を観ぜしめたまへ」と。
🟨その時、世尊、眉間の光を放ちたまう。その光、金色なり。
あまねく十方無量の世界を照らし、還りて仏の頂に住まりて化して金の台となる。 (註釈版、90)

⇒ 眉間の白毫から、金色の光が放たれ、その光は十方の無量の世界をあまねく照らし、還ってくると釈尊の頭の上に金色に輝く光の台(うてな)を造った(光台現国)

⇒「やや」は、相手の恭順の意を示しつつ、応諾する語。
ですから「どうか、お釈迦様」といった意味になります。
(釈徹宗 2020、38頁)

■現代語訳でみる、これまでの流れ
〈韋提希の問い〉
🟨「世尊、わたしはこれまでに何の罪があって、このような悪い子を生んだのでしょうか?」
〈釈尊の応答〉…………

🔶ここは沈黙されたところ。

〈韋提希の問い〉
🟨「この濁りきった悪い世界にはもう、いたいとは思いません・・・
世の光でいらっしゃる世尊、 このわたしに清らかな世界をお見せください」

〈釈尊の応答〉
🟨眉間の白毫から光を放ち、仏のいる様々な国土をみせた。
🟨世俗に関わる問いに対しては、沈黙 (答えない)

⇒ 善導大師
「釈尊の深い思し召し。愚かな凡夫に、仏陀の境界を説けば、惑いを深めるだけだから、言葉で説かずに目の当たりにみせて、彼女の心にかなった世界を選ばせられた」
 (梯和上2003、85頁)

🌟【ここまでのポイント】
☆世俗に関わる問いに対しては、沈黙(答えない)
〖沈黙の説法〗

➡️ 彼女自身が変わらない限り、解決しないほどの深い問題。
釈尊は、大悲を込めて暖かく包み込み、その痛みや悩みを聞き受け、彼女の心が次第に転換していくのを待った。

🔶配慮の行き届いた素晴らしい説法

☆清らかな世界について、言葉で示さず、様々な国土を見せる対応をなされた。
     【4】

4️⃣. 韋提希の選択
(様々な美しい仏国土を見せられた韋提希は仏に)
🟨「われ今、極楽世界の阿弥陀仏の所に生ぜんことを楽う。やや、願わくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」と。 (註釈版、91)

⇒ 韋提希は、願い求める世界を極楽世界と選び定めた。

❇️親鸞聖人
「浄業機、彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり」 (註釈版、131)

❇️「われに思惟を教へたまえ、われに正受を教へたまえ」

⇒ 浄影寺の慧遠などは、思惟を散善、正受は定善にあたり、韋提希は散善と定善の説法を釈尊にお願いしたと解釈。

❇️散善➡️:散乱な心のまま、悪を廃し、善をなすこと
❇️定善➡️: 心を静め、集中して禅定をなすこと

⇒ 善導大師は、思惟も正受も定善であり、定善は韋提希の請求に応じて説かれるが、散善は釈尊が自発的に説かれたものとする。
     【終了】