3️⃣🌟【2024年03月03日 (日)】
14時00分より
板宿信行寺【神戸護法会】
午後2時~4時
講題:蓮如上人御一代記聞書
講師:西光寺住職 天岸淨圓氏
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(248)
✴️一、人はそらごと申さじと嗜(たしな)むを、随分とこそ思へ。
心に偽りあらじと嗜む人は、さのみ多くはなきものなり。またよきことはならぬまでも、世間・仏法ともに、心にかけ、嗜(たしな)みたきことなりと[云々]。
◆随分 ➡️ 精一杯、全力を尽くしていること。
 
(248)
✨「人は、嘘をつかないようにしようと努めることを大変よいことだと思っているが、心に嘘いつわりのないようにしようと努める人は、それほど多くはない。
また、よいことは、中々できるものではないとしても、世間でいう善、仏法で説く善、ともに心がけて行いたいものである」と仰せになりました。
 
🌟【後半】講義の走り書き
 
🔷これは、私達に対して、たしなみについて教えておられます。
たしなみは、色んな意味で使われる。
🔶道でいうものを、お花にたしなんでいらしている、という。
ちょっとは、たしなみなさい。という。止める時にやめなさい、嗜みなさい、と言います。
 
🔷ここで使われているのは、つつしみなさい、という意味で使っている。私達は、そらごと、普通にはウソ、ありもしないことをあるという。嘘は言うまいと、たしなませてもらう。
🔶随分という言葉、随分も今は使わなくなった。今なら、大変とか、思いの外とか、大変努力しているとか、気を遣っているとか、という言葉遣いですね。
 
🔷頂きものがある時に、期待する。期待以上のものがあると、随分、入っていると言う。
私達は出来るだけ、嘘を言わないように気を付けて。嘘を出来るだけ、つかないのように努力していきさない。
🔶心の底から、偽りをいわずに慎み深い人は、それほど多くはない。
 
🔷そして、またよきことは、ならぬ、成し遂げることは出来なくても、せめて世間についても、仏法についても、努力をして思わねばなりませんよ。
🔶特に浄土真宗の私達の御法義というものが、教えが影響を与えてくる様々な問題が起こってきている。
 
🔷最近、私は親鸞聖人の書物もそうなのですが、多くの場合は、生まれた時から、浄土真宗から出発していることが多いと思います。
🔶日本の仏法は、江戸時代から宗旨を変えないことが法律で決まっていました。
 
🔷秀吉の時代から、日本にキリスト教を定着させないように、配慮がありました。
🔶キリスト教の人達は、神様の思し召しが何より、一番大切なことです。
 
🔷意識の中では、神様の思し召しの中で生きていく。宗教としては当然といってもいい。
🔶当時は秀吉は、世界は日本を植民地のように考えていたので、それも見抜いた。
 
🔷キリスト教の信仰が一番ならば、お殿様の言うことを聞かない。神は人を殺すな、といっている。でも、お殿様は合戦にいけ、といわねばならない。いかないと褒美が貰えないし、食べていけない。
🔶最近のお方々は、キリスト教で結婚式をされる。結婚は神様が決める。勝手にやったら地獄にいくことになる。神が最後まで二人をわかつまで、と牧師さんが言う。
別れるつもりなら、仏教の方がいい。御縁がなかったんです、といえる。
 
🔷キリスト教の立場の人たちの考えている利益と、こちらの利益と考えたら、神様の利益の方になる。戦争にいっても、戦争に参加しない。一向一揆も同じことが起こった。
🔶大河ドラマであった。三河の一向一揆、本証寺、上宮寺、勝マン寺さんの三か寺が大きな力を持っていた。あのあたりの一体の権益を全部、握っていた。
 
🔷三か寺は税制優遇策になっていたので、税務署は入れなかった。
手にした坊さんも権益を離さなかった。
🔶松平は家来だけども門徒、家来と家来とが戦争をするので、戦争にならない。空鉄砲を打つ。
 
🔷家康にしても、秀吉にしても、
宗教的な理由で、言うことをきかないようになったら、困るから、先ずキリスト教を弾圧する。
その次が浄土真宗、そして日蓮宗。この二つは、わりと自意識が強い信仰ですから。
🔶親鸞聖人、御本山がおっしゃることが先になる。お殿様のいうことは聞かない。殿様の言うことを聞かない説教をしてはいけない。
 
🔷だから、秀吉、そして家康になってから、本願寺を二つに分けて、争わしておいて、そしてお説教は、死んだ後の説教だけにしておきなさいと言われてきた。
🔶だから、信心は浄土に行くための信心ですよ。
 
🔷私らは、この世はどうしたらいいですか、と聞くと、お上(かみ)の言う通りをよく聞く。税金を出す。ぐちゃぐちゃ文句を言わない。デモンストレーションもしない。
🔶大人しく生きていく、というお説教をしなさいよ、となったから、葬式しかいけない。
そしてお寺に参ったら、極楽に生まれることだけが、お救いになってしまった。本当の意味のお救いではない。
 
🔷誰の言われることが、一番大事なことなのか、けじめをつけさせてもらうことが宗教というものにとって、一番大切な救いなのです。
🔶ほっといたら、自分の都合でしかモノを考えない人間に、人間の考えを越えて、お互いが安らかに幸せに、豊かに生きていく拠り所を、お一人お一人の意識の中にお伝えをさせて頂く。
 
🔷そして、慎んで、嗜んで教えにあわせて生きていく。仏法なら、仏法に合わせて生きていく。
誤ったことなら、ハッキリと誤っています、と言うことの出来るような人格を形成していくような教えを頂くのが、一番大事な意味です。
🔶しかし、そういうことをされたら、困りますやんか。
だから、仏様の話は、葬式以降の話。ご法話は、お葬式以降のお救いの話になる。
 
🔷もう一つは、金が儲かりますように、病気が治りますように、商売がうまいこといきますように。
🔶この二つで大体、持つやんか。
商売繁盛のところと、病気直しのところと、後生の一大事でどっちかいけるやん。
 
🔷その代わり、この世の生き方は、みんな同じやんか。
🔶看板は浄土真宗、看板は日蓮宗、看板は禅宗、何が違うのか?お経の読み方が違う。葬式の作法が違う。
 
🔷あとは、私達はどないして生きていけばいいんか、と聞くと、お上の言う通りに生きていきなさい。
🔶ごちゃごちゃ言ってはいけない。大人しく生きていくんでっせ。
 
🔷今、日本は、直接、戦争に関わっていないけど、もし日本人が戦争に動くようになったら、私達はどないすんの、ということです。
🔶ガザにしても、ウクライナにしても、他所の火事です。やりましょう、となったら、我々はどういう形の意思表示をするのか?
 
🔷前の戦争の時にどうなったのか?
うちに、古本屋さんから買った本にあった。大きな法事の時に、散華をまく。
🔶戦時中の古本の本に華があった。栞(しおり)の代わりに入れていた。紙は薄い。そこには、デザインとして、神風特攻隊が敵艦へぶちこんでいくデザインにある。
 
🔷これが蓮の華に書いてある。そして、そこに一言、書いてある。「捨身。身を捨てる」
「捨身とは死ぬことと見つけたり」印刷で、そして本願寺とある。
🔶ようみんな、黙っていたなあ。
あとになって、ぐちゃぐちゃ言ったけど。そういうことが言えるような考え方。何を中心にして判断をするか。
 
🔷それを皆さんに仏様の教え、阿弥陀様の教え。仏教というものを中心に物事を考えたら、どういう発言が必要か、どういう行動がいるのか、時には厳しい面が出てくる。
🔶そういう面を受け止めて頂く。
どうお伝えするかが宗教の持っているものの救いの現実やと思います。
 
🔷仏様の教えを拠り所にして生き、拠り所にして死ぬということを判断をする。
🔶人間の願いとして思うのは、基本的には、死にとうない。長生きをしたい。厚かましい人はコロッといきたい。
 
🔷死ぬとは嫌なこととなるけど、それを仏様のおっしゃることで判断したならば、浄土へ生まれるのですよ、と教えると、どう受け止めるか。
🔶何を拠り所にして、考えて受け入れていくか、これが宗教というものの持つ一番大事な役割です。
 
🔷お祀りすることも法要も大事ですけど、格好はつきますけども、格好の内面がどうかが問題です。
多分、現在も似たり、寄ったりだと思います。
🔶関西圏、真宗だけでなく、江戸時代に建てられたお寺、改築されたお寺さん、お宮さんもそうです。本願寺もそうです。
 
🔷内陣と外陣が分かれるところに障子がある。障子の上に欄間がある。あの欄間は牡丹とか、唐獅子、東本願寺は天人が多い。
🔶時には、竜が舞っていたりする。わりとオーソドックスにあった。
 
🔷ところが、江戸時代の初めから中頃にかけて出来たものには、欄間に二十四孝というお話が掘っております。
🔶二十四人の極めて親孝行の人達の列伝。歌舞伎の好きな人なら、廿四孝伝。八重垣姫、武田勝頼と武田信玄と謙信との息子を。
 
🔷有名な親孝行を集めた中国の書物。忠孝、これが寺子屋でおさめる一番大事な教育方針。
🔶それを実地に孝の方で、廿四孝。それが欄間に掘ってある。すさまじいのがある。
 
🔷一番有名なのが孟宗竹。孟宗とは子供です。子供の頃に親が死にかける。あと何か食べたいものがあるか?筍が食べたい。
🔶その時は冬なので、貧しい家なのだけど、親の願いを聞いてやりたいので、雪の中を探しても見つからず、泣く。
 
🔷親のいまわの際にうちひしがれる。その思いが天に通じて、出てきた。それを親に食べさせて孝行しつくした。その時に生えた筍だから、孟宗竹といった。そんなのがおった。
🔶それから、唐婦人。この人はお寺の欄間に姑と嫁が掘ってある。子供がいるけど、お嫁さんのお乳をおばあさんが飲む姿を描く。
🔷お嫁さんの鑑の世界。おばあさんは年を取って、歯が全部、抜けてしまった。
 
🔶モノが噛めない。あとはお乳しか飲めない。その時は牛乳はなかった。それが孝行やと、これが一番多いパターンです。廿四を叩き込む。それが明治になってつぶれた。
 
🔷そうすると今度は、日本の神様を動員してきて、今度は天皇は神様の末なので、天皇陛下のいうことは何でも聞くんですよ、となった。
🔶そんなん言ったら、宗教の自由はない、といったら、この神様は神道は宗教ではない。違います、となった。でもこれがほんま宗教です。
 
🔷これは宗教ではないので、他は何を拝んでも、真宗でも、神道でも、仏教でも、キリスト教でも何でもいいわけです。
🔶ただしこれは形だけですよ、といった。儀式だけ。
 
🔷商売、かまへん。後生大事、かまへん。でも天皇陛下をボロクソに言ったら、それまでですよ。
🔶最終的には、紙一枚で戦争にいかないといけない。何があっても、天皇陛下に対しては、反逆は一切許さない。
 
🟩❇️🟩
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ
 
🔶終りなき世とは、天皇陛下が治めていきなさる世が、終わりなき世ということです。
 
🟨❇️🟨
初日の光 明(あきら)けく
治まる御代の 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ たふとけれ
 
🔷二番があるのよ。
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ たふとけれ
🔶君がみかげ、正月を喜んでいるのと違う。天皇様を讃える歌なのです。
 
🔷これが年のはじめと、紀元節と、それから天長節、それから明治節。それから神嘗祭。
🔶天皇さんが新米を召し上がる年です。勤労感謝の日、これは神嘗祭です。
 
🔷始めての天皇さんのは大嘗祭。
明治節は、文化の日。明治天皇の日。
🔶皆で、これを祭日といった。なぜかというと、天皇が宮中で祭祀をされる。なら、国民は皆でこれをお祝いする。学校へいって、教育勅語を奉読する。
 
🔷宗教でないといわれたものが宗教で、判断の基準になるものは、強制をしている。
🔶儀式的なものは自由にしている。でも本来、価値観の基準になるものは、戦争に反対を本願寺が言い出したら、バシッとする。
 
🔷有名な話で、植木等のお父さん、戦争反対論者、戦争に行く人に必ず生きて帰れ、と言った。
🔶人は殺すな、弾のあたらんところに行け、といっていたので、いつも捕まっていた。よう殺されないでいたと思います。
 
🔷こういう宗教状況が、日本ではずっと続いた。ですから、そういう感覚の宗教的な状況が何百年と起こっている。
🔶そこへ浄土真宗では、悪人でもそのままで救って下さる、というお言葉がある。
 
🔷そのままで、ええという、アホかいな。そういう部分のおさえどころが出来ていない。
🔶四百年近くかかって、作られてきた長い歴史の中で、ここで言われる、たしなみ。
 
🔷極めて厳しい面が失われてきた。そのあたりに浄土真宗の持っている。これは浄土真宗だけでない。日本の伝統的な仏教の陥っている悲しい現実がある。
🔶そういうものをこれから、少しずつ、仏教なり、宗教という意識を受けて下さる皆さん方に受け止めて頂けるか。
 
🔷今後の日本に宗教を本当の意味で植え付けていく。大事な道筋と違うかな。
🔶こういうお言葉をみせてもらいますと、蓮如様は、わりと、きついのですよ。蓮如様になりたいわ。
 
🔷住職の鏡です。御文章に「御正忌の章」がある。
🔶あそこに「聖人の御前に参らん人の中において、信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし、もっての他の大事なり」とはじめの方に出てくる。
 
🔷あんなことを言えますか?
参っている人に、信心を頂いて喜んでいる人と、格好だけで参っている人がいてるやろ、と言われている。
🔶これは住職はちょっと言いにくいよね。あれが、ほんまに言えたら、ええなあ、と思います。
 
🔷私は気が弱いので、中々言えない。わりと厳しく蓮如上人はおっしゃる。
🔶自分自身にも大事なことですし、お聞き下さる方にも大事なことやなあ、というお言葉でございます。
     【終了】