🟨③心を清らかにするのが仏教【七仏通戒偈・自浄其意】晩年の親鸞聖人は真実の信心を清浄の信心と言われるようになる【信力増上・信力転増・増長すべきは信心なり】【令和6年02月09日】
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🟥https://youtu.be/_Pg5oaRDC5I?si=f5KTKSRaamQrkzyr

3️⃣【レジメ資料】
 🌟🌏️私は40年間以上、仏教を勉強して、やっと、この十の概念の大まかな理解は出来ましたが、それを十歳にも満たないソーパーカがその理解が全て出来ていた、ということは、ただの子供ではないですね。心から見習いたいです。
 
🔷お釈迦様は、
「君は見事です。今日から、あなたは比丘です」と言われました。
そして、お釈迦様はソーパーカを「正式な比丘(びく)」として認められました。
 
🔶これは、かなり大胆なことです。というのも、三十歳や四十歳の年配になってから、出家する人達は、先に出家した人は先輩ですから、たとえ「七歳の子供」であっても、頭を下げて、礼をしなくてはいけません。
 
🔷しかし、お釈迦様は肉体の年齢よりも「心の清らかさ」を重視なされたのです。
 
🔶仏教のサンガ(僧)教団では、上下は「心の清らかさ」で成立しています。
 
🔷ソーパーカは、完全に心を清らかにしていましたので、お釈迦様は、正式に「比丘」として、ソーパーカを認められたのでした。
 
🔶「心を清らかにする」
これが仏教では、とても大切なことなのです。仏教の究極の目的は覚りですが、覚りとは心が清らかになった境地です。
 
🔷有名な『七仏通戒偈(つうかいげ)』でも「自らその心を清らかにする、これが諸仏の教えだ」
🔶これこそ「仏教だ」とお釈迦様は、断言なされています。

🟨諸悪莫作(しょあくまくさ) 
➡️もろもろの悪を作すこと莫(な)く
🟨衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 
➡️もろもろの善を行い
🟨自浄其意(じじょうごい) 
➡️自ら其の意(こころ)を浄くす
🟨是諸仏教(ぜしょぶっきょう) 
➡️是がもろもろの仏の教えなり

【パーリ文】
🟩Sabbapāpassa akaraṇaṃ(サッバパーパッサ アカラナン)
➡️「一切の罪を犯さぬこと」
🟩kusalassa upasampadā(クサラッサ ウパサンパダー)
➡️「善を具足すること」
🟩sacittapariyodapanaṃ(サチッタパリヨーダパナン)
➡️「自らの心を清めること」
🟩etaṃ buddhāna sāsanaṃ(エータン ブッダーナ サーサナン)
➡️「これが諸仏の教えである」

🔶親鸞聖人で言うと、晩年に書かれたと言われている教行信証のコンパクト版である『浄土文類聚鈔(じゅしょう)』には、
『清浄』という言葉を『真実』の代わりに沢山、使用しておられます。
 
🔷『教行信証』には「真実の信心」という言い方だったのが、
年を召されてお書きになった『浄土文類聚鈔』には、全て、
「清浄の信心」という言い方に、親鸞聖人があえて変えておられることは、とても興味深いことです。
 
🔶例えば、
『常覆真実信心天』【正信偈】の言葉を変更されて、
『常覆清浄信心天』【念仏偈】のように、敢えて変えておられます。
 
🔷この御心は、親鸞聖人が晩年に
「『信力増上(ぞうじょう)・信力転増(てんぞう)【教行信証行巻】』なされて、心が成長されて、煩悩から少しずつ離れて、円熟されて心が清らかになっていかれたからである」と言えるのではないでしょうか。
 
🔶蓮如上人も、
『増長(ぞうちょう)すべきは信心なり』【御一代記聞書】と仰有っています。
 
🔷『信心は成長していくものだ』とお釈迦様も、親鸞聖人も、蓮如上人も教えられておられます。
 
🔶「信力増上」は龍樹菩薩の言葉でありますが、
『華厳経』の「信心増上」の言葉を言い換えた言葉です。
 
🔷私も心が成長出来るように精進させて頂きたいと思います。(^_^)
     【終了】