✡️🌎️【2024年2月11日 (日)
芦屋仏教会館
【日曜仏教講座】午前10時00分より
講題:「無量寿経に聞く」(二十二回)
講師:龍谷大学名誉教授・本願寺派勧学・大田利生先生
……………………✴️…✴️……………………
🌟【講義の走り書きメモ】
🔶今日は仏の世界から離れて私達の姿、五悪段について。
現実を考えていく必要があると思います。

🔷上巻は弥陀成仏の因果、仏様の世界が説かれている。それに対して、下巻は私達が救われていく因果が説かれている。上巻とは、対照的に説かれている。

🔶一転して、ここは、五悪段、三毒五悪段、あるいは悲化段ともいう。ここは、逆に五善をすすめるところでもあります。

🔷お釈迦様が勧誡、戒めるところをみていきたいと思います。
我々はどんな生き方をしているのか?

🔶流れからすると、展開に大きなギャップがあるというか、これは無量寿経という経典は印度で成立をしているのですが、途中で漢訳をされる時に、元々なかったものが挿入されたのではないかと言われている。

🔷今までは阿難に言われているのに、ここの段になると説き手が、弥勒菩薩に代わって、弥勒菩薩と天人に告げられる。

🔶お釈迦様が誰に告げられるか?
阿弥陀経典なら、舎利拂といわれる。弥勒菩薩とは、慈氏と言われる。

🔷ここは大事なところです。今、弥勒菩薩はトソツ天に今、修行中です。567000万年に降りてこられて仏になられる。次の生に仏になられる方。

🔶親鸞聖人は信を獲た人は「次如弥勒」と言われる。無量寿経に「次如弥勒」とある。ここから、信心を獲た人は、次の生は仏に成ると、ここで親鸞聖人は、かけて言われている。

🔷上巻では、浄土の荘厳が説かれる様子が説かれて、
仏、弥勒菩薩と諸々の天・人等に告げられて、
🟨無量寿国の声聞・菩薩の功徳・智慧は、称説することが出来ない。またその国土は、微妙安楽にして清浄なること、かくの如し。

🟨何ぞつとめて善をなして、道の自然なるを念じて、上下なく洞達して、辺際なきことを著さざらん。

🔷この道が仏の道に叶っていることを信じて、上下の別なく、全ての人を受け入れて下される。
悟りを獲て、極まりない辺際を身に付けようとしないのか。

🟨よろしく各々(おのおの)つとめて精進して、つとめて自ら、これを求むべし。

🔶精進して、進んでこの道を進むがよい。ここで善をなして、生まれようと願うがよい。

🟨必ず〔迷ひの世界を〕超絶して、去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截(き)り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。

🔷必ず迷いの世界を捨てて、安養界に、横に、とは、直ちに、ということです。

🔶横超という言葉がある。他力のこと。これに対して、竪という言葉、これは自力。
竹に虫がいて、上っていくという譬がある。この上ない覚りを開くことが出来る。

🟨〔安養国は〕往き易くして人なし。その国、逆違せず、自然の牽くところなり。何ぞ世事を棄てて勤行して、道徳を求めざらん。
極長の生を獲て、寿の楽しみ極まりあることなかるべし。

🔷ここだけは親鸞聖人、引用をされている。浄土には往き易いけれども往っている人が無い。
人無し、とは信ずる人が少ない、ということ。

🔶しかし、その国は間違いなく、仏の願いのままに受け入れて下さる。どうして煩わしい世の中のことを求めて、道徳というのは、我々が使っている、あの道徳ではない。覚りのこと。
🔷どうして覚りを求めないのか!無量寿を得て、楽しみ、極まりあること、なかるべし。

🟨しかるに世の人、薄俗にして共に不急の事を諍う。この劇悪極苦の中にして、身の営務を勤めて、もつて自ら給済す。
🟨尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂う。
🟨有無同然にして、憂思まさに等し。屏営(えいえい?)として愁苦し、念を累ね、慮りを積みて〔欲〕 心のために走り使われて、 安き時あることなし。

🔷しかるに、世の中のこと、不急のことを争っている。急ぐことは、生死の問題なのに、世間のことをあれこれ、急いでいる。
🔶急いでやらなければならないことなのに、他の本を読んだり、ついつい他の関係のないことをやってしまう。

🔷一番大事な生死の問題を置いて、世俗のことを一生懸命にやっている。
🔶不急の事を争う。死という生死の問題、誰もが死ぬのに、考えようとはしない。いつまでも若さを保ったり出来ると思っている。

🟨「顛倒上下することは無常の根本なり」
🔷いつも響いてくる言葉なのです。言葉とは響き、匂いという意味がある。
🔶これは大峯先生が言われていた。言葉を説明をしなくても、匂いが漂ってくる言葉がある。

🔷「顛倒」顛とは、てっぺんという意味、ひっくり返る。これは老少不定ということです。
🔶禅僧が親に死に、子供が死に、孫が死ぬ、と書いた。これがいいんだ。もし、これが孫が死に、子供が死に、親が死ぬとなったら、大変なことなのです。

🔷私は葬儀に行きますが、七、八か月前に葬儀に行きました。
お母さんは泣いておられました。
最後に控え室で、浄土に生まれたのですね、といって、落ち着いた。亡くなるということは、死は、浄土だ、誕生だとなると落ち着く。

🟨屏営として愁苦し、念を累ね、慮りを積みて〔欲〕 心のために走り使われて、 安き時あることなし。
🔷ここは貪欲のところです。

🟨有無あひ通じて 貧惜を得ることなく、
🟨言色常に和して、あひ違戻することなかれ。

🔶和顔愛語は、元々、法蔵菩薩の言葉
🔷和顔とは、笑顔。
先日、外国人が私に、ニコニコしてくれる。本当にいい感じがする。フレンドリーで。

🟨人、世間愛欲の中にありて、独り生れ独り死し、 独り去り独り来る。
🟨行くに当りて苦楽の地に至り趣く。身自らこれを当くるに、代るものあることなし。

🔶自己の為す行為にしたがって、苦楽の世界が決まる。

🟨おのおの強健の時に曼びて、つとめて善を勤修し、精進して度世を願い、極長の生を得べし。

🔷この後にお釈迦様は、
🟨顕示大道と出てくる。
大道を顕示して、苦しみ悩んでいるために仏教を大道を示された。

🔶無常だから、常に保つべからず、いつまでも続かない。

まる矇冥抵突不信経法
🟨矇冥抵突して経法を信ぜず

愚かで道理に背く。外に出ることが出来ない。

⭕世間怱々無可修惨頼
 🟨世間怱々として惨頼すべきものなし
🔷たよりにするものは、何もない。

……………………✴️…✴️……………………
🌃❇️【配付資料】
〖無量寿経に聞く(二十二)〗
【芦屋仏教会館・2024/2/11】
           大田利生
1️⃣三毒段
仏、弥勒菩薩と諸々の天・人等に告げたまはく、
「無量寿国の声聞・菩薩の功徳・智慧は、称説すべからず。
またその国土は、微妙安楽にして清浄なること、かくの如し。
何ぞつとめて善をなして、道の自然なるを念じて、上下なく洞達して、辺際なきことを著さざらん。
よろしく各々(おのおの)つとめて精進して、つとめて自らこれを求むべし。
必ず〔迷ひの世界を〕超絶して、去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截(き)り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。
〔安養国は〕往き易くして人なし。その国、逆違せず、自然の牽くところなり。何ぞ世事を棄てて勤行して、道徳を求めざらん。
極長の生を獲て、寿の楽しみ極まりあることなかるべし。

しかるに世の人、薄俗にして共に不急の事を諍う。この劇悪極苦の中にして、身の営務を勤めて、もつて自ら給済す。
尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂う。
有無同然にして、憂思まさに等し。屏営(えいえい?)として愁苦し、念を累ね、慮りを積みて〔欲〕 心のために走り使われて、 安き時あることなし。

田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂う。牛馬六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共にこれを憂う。

思を重ね、息を累みて、憂念愁怖す。横に非常の水火・盗賊・怨家・債主のために焚かれ、漂され、劫奪せられ、消散し、磨滅せば、憂毒忪々として解くる時あることなし。

憤りを心中に結びて、憂悩を離れず。心堅く意固く、まさに縦捨することなし。

あるいは推砕によりて、身亡び、命終れば、これを棄損して去るに、誰も随ふものなし。

尊貴・豪富も、またこの患へあり。 憂懼万端にして、勤苦すること、かくの如し。
諸々の寒熱を結びて痛みと共に居す。貧窮・ 下劣のものは、困乏して常に無けたり。

田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければ、また憂へて宅あらんことを欲ふ。

牛馬六畜・奴婢・銭財・衣食・什物なければ、また憂へて、これあらんことを欲ふ。たまたま一つあれば、また一つ少け、これあれば、これを少く。斉等にあらんと思ふ。

たまたま、つぶさにあらんと欲へば、すなはち、また糜散す。
かくの如く憂苦して、まさにまた求索すれども、時に得ることあたはず。思想するも益なく、身心ともに労れて、坐起安からず、憂念あひ随ひて勤苦すること、かくの如し。また諸々の寒熱を結びて痛みと共に居す。

ある時はこれによって身を終へ、命を天ぼす。あへて善をなし道を行じて徳に進まず。
寿終り、身死して当に独り遠く去るべし。

趣向するところあれども、善悪の道よく知るものなし。
世間の人民、父子・兄 弟・夫婦・家室・中外の親属、まさにあひ敬愛してあひ憎嫉することなかるべし。

有無あひ通じて貧惜を得ることなく、言色常に和して、あひ違戻することなかれ。

ある時は心諍ひて恚怒するとこ ろあり。今世の恨みの意は微しきあひ憎嫉すれども、後世にはうたた劇しくして大きなる怨となるに至る。

ゆゑはいかんとなれば、世間の事たがひにあひ患害す。即時に急にあひ破すべからずといへども、しかも毒を含み、怒りを畜へて憤りを精神に結び、自然に剋識してあひ離るることを得ず。
皆、まさに対生して、たがひにあひ報復すべし。

人、世間愛欲の中にありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。
行くに当りて、苦楽の地に至り趣く。身自らこれを当くるに、代るものあることなし。

善悪変化して、詇福処を異にし、あらかじめ厳しく待ちて、まさに独り趣入すべし。
遠く他所に到りぬれば、よく見るものなし。善悪自然にして、行を追うて生ずるところなり。

窈々冥々として、別離久しく長し。道路同じからずして、会ひ見ること期なし。甚だ難く、甚だ難ければ、またあひ値ふことを得んや。何ぞ衆事を棄てざらん。

各々(おのおの)強健の時に曼びて、つとめて善を勤修し、精進して度世を願い、極長の生を得べし。
いかんぞ道を求めざらん。
いづくんぞ、すべからく待つべきところある。
何の楽をか欲するや。

かくの如きの世人、善をなして善を得、道をなして道を得ることを信ぜず。人死して更に生じ、恵施して福を得ることを信ぜず。
善悪の事すべて、これを信ぜずして、これをしからずと謂うて、つひに是することあることなし。

ただこれによるが故に、また自らこれを見る。たがひにあひ瞻視して先後同じくしかなり。
うたたあひ承受するに父の余せる教令をもつてす。

先人・祖父もとより善をなさず、道徳を識らず、身愚かに、神(こころ)闇く、心塞がり、意(こころ)閉ぢて、死生の趣、善悪の道、自ら見ることあたはず、語るものあることなし。

吉凶・禍福、競ひて、各々これをなすに、ひとりも怪しむものなし。
生死の常の道、うたたあひ嗣ぎ て立つ。あるいは父、子に哭し、あるいは子、父に哭す。
兄弟・夫婦、たがひにあひ哭泣す。
顛倒上下することは、無常の根本なり。皆、まさに過ぎ去るべく、常に保つべからず。

〔道理を〕教語し開導すれども、これを信ずるものは少なし。
ここをもつて生死流転し、休止することあることなし。
かくの如きの人、矇冥抵突して、経法を信ぜず、心に遠き慮りなくして、各々(おのおの)意を快くせんと欲へり。

愛欲に痴惑せられて、道徳を達らず、瞋怒に迷役し、財色を貪狼す。これによって道を得ず、まさに悪趣の苦に更り、生死窮まり、やむことなかるべし。

哀れなるかな、はなはだ傷むべし。 ある時は室家の父子・兄弟・夫婦、ひとりは死し、ひとりは生きて、たがひにあひ哀愍し、恩愛思慕 して憂念[身心を〕結縛す、心意痛着して、たがひにあひ顧恋す。
日を窮め、歳を卒へて、解けやむことあることなし。

道徳を教語すれども、心開明せず、恩好を思想して、情欲を離れず。
昏矇閉塞して、愚惑に覆はれたり。
深く思ひ、つらつら計り、心自ら端正にして、専精に道を行じて、世事を決断することあたはず。
便旋として竟りに至る。年寿終り尽きぬれば、道を得ることあたはず、いかんともすべきことなし。
総猥慣ニョウにして皆、愛欲を貪る。
道に惑へるものは衆(おお)く、これを悟るものは寡(すく)なし。世間怨々として、惨頼(りょうらい)すべきものなし。
尊卑・上下・貧富貴賤、勤苦忽務して、各々(おのおの)殺毒を懐く。
悪気窈冥にして、ためにみだりに事を興す。
天地に違逆し、人心に従はず。
自然の非悪、まづ随ひて、これに与(くみ)し、ほしいままに所為を聴して、その罪の極まるを待つ。

その寿、未だ尽きざるに、 すなはち、たちまちにこれを奪ふ。
悪道に下り入りて、累世に勤苦す。
その中に展転して、数千億劫も出づる期あることなし。
痛みいふべからず、甚だ哀愍すべし」と。(『註釈版』五十三頁)

⭕無田亦憂欲有田無宅亦憂
🟨田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ。

⭕有田憂田 有宅憂宅
🟨田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ

⭕有無相通無得貪著
🟨有無あひ通じて貪惜を得ることなく

⭕世間愛欲中 独生独死独去独来
🟨世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る
















⭕当行至極苦楽之地身 自当之無有代者
🟨行に当りて、苦楽の地に至り趣く。身自ら、これを当くるに、代るものあることなし

⭕矇冥抵突不信経法
🟨矇冥抵突して、頓
 🟨世間怨々として惨頼すべきものなし

🌟『浄土三部経』(浄土真宗聖典編纂委員会)
     【終了】