2️⃣🟥🟨【12月27日(火)】名古屋東別院会館〖愚深会〗にて、鶴田義光先生の「御文を読む会」に参加しました。
 
✨【講義の走り書き】
🔷蓮如上人は、生涯、200数10通、書かれたうち、80通を実如さんが選ばれたのが、五帖の御文。
 
🔶吉崎で書かれたものとしては、「第三帖 第十通《神明六ヶ条の御文》」が最後の御文になる。このあとに大阪に逃げていかれることになる。
 
🔷この御文を書かれた後、4ヶ月間、大きな変動があった。
 
🔶吉崎御坊が焼けた時に、本光坊了顕が命がけで守った、血染めの聖教【証の巻】が残っており、それで、両本願寺の真宗聖典の表紙は、全て赤になっているそうです。
 
🔷文明7年に吉崎退去、河内へ逃げられる。側近の蓮崇に裏切られた。蓮如さんの真逆なことを門徒に伝えて、加賀の大名と闘うことになった。それで蓮崇を破門をされて、吉崎を捨てられた。
 
🔶蓮如上人の自分の意思は、争いを避けるのが本意であることを示すために、あえて蓮崇を破門される。そのあと、戦いを避けるために蓮如さんはあちこちへと、逃げ回られた。
 
🔷慌ただしい中で、今回、書かれた御文になる。御文を読む時にはお書きになった背景を知って見ていく必要がある。社会状況、現実がある。
 
🔶そういうところから、生まれて来ている。言葉だけで理解をしていくのは浅はかである。
 
🔷そういう教えの言葉を言われたものには、必ず歴史的な背景がある。教行信証にも必ず書かれた歴史的な背景がある。背景に泥々とした背景があった。
 
🔶これは、七祖聖教を読む時にも背景があって書かれていることを知る必要がある。そういう意味では、教えを説かれた歴史的背景を知る必要があります。
 
🔷その当時、6ヶ条に関わる事柄が、蓮如上人の周りに実際に起きてきていたから、それを戒められた内容になっている。
「あんたらは間違っている!みたいな、相手を批判する言動をするな!」と教えられる。
 
🔶今まではともかく、修行とは、浄土真宗では、聞法のことを聞法修行といわれる。
 
🟨一、神社を軽しむること、あるべからず。 
 
🔷先ず神社が筆頭にくるのは、化身土巻にあるように、天につかえない。批判的に言ってしまう。
元々、日本は神道なので、神を批判するのは認められない。神も仏も認めあうのが、古来からの仏法であった。
 
🔶同じ境内に、神社も寺も建てられていた。国を護るのが神で、国の安泰をはかるのが、昔のお坊さんであった。
 
🔷それを、浄土真宗は念仏一つ以外は認めないと批判する。よく仏法を理解をしていない人が批判をしてしまった。他宗を批判どころか、神社も批判をしてしまったので、周り中を敵に回してしまった。
 
🔶p.571【御手紙】
🟨親鸞聖人は「よろずの仏菩薩を軽しめてはならない」といわれる。
🔷戒めておられる。聖道仏教のお陰で今、仏教を聞かせて頂いているんだぞ。
 
🔶それを切り捨てるのは、ご恩を仇で返すことになるんだぞ。
 
🔷神々は念仏者を護って下さる。自力聖道仏教によって、他力念仏に目覚めさせて頂いたんだ、それを忘れたら、ご恩を仇で返すことになる。
 
🔶この問題は、七ヶ条制誨の時から、問題になってきたもの。方便の意味が分かっていない。
 
🔷浄土真宗が流行ると、神社や他宗を軽くみて、神社や他宗を捨てていくようになっていった。
 
🔶本願念仏を聞いているから、それ以外は必要ない!という者が現れた。本来は逆なので、浄土真宗は落ちこぼれを救うのが、本願念仏なので、そこをきちんと弁えないといけない。
 
🔷いずれの行も及び難き身が原点で、箸にも棒にもかからないものを救うための教えが本願念仏。
 
🔶それを聖道仏教をバカにする、それは謗法罪となる。聖道仏教はお釈迦様の教えだから、謗ると謗法罪になる。
 
🟨一、諸仏・菩薩ならびに諸堂を軽しむべからず。
🟨一、諸宗・諸法を誹謗すべからず。
 
🔶様々な教えを批判する。あなどる、謗る、バカにする。あってはならないと戒められる。
 
🔷次は世間の決まりごとを護るべきことは護る。
 
🟨一、守護・地頭を疎略にすべからず。
 
🔶世間の決まりごとは護る必要はない。阿弥陀さんだけでいいんだ!世間事は、適当にやっておればいいんだ!というものがいた。
 
🟨一、国の仏法の次第、非義たるあいだ、正義におもむくべき事。 
 
🔷内面、越後の国、吉崎御坊に広まっている仏法は教えを聴きながら、間違って蓮如の教えを聞いている。
「あなた方が聞いているのは、私が教えている仏法ではない!正しい教えを聞いていないからだ」といわれる。
 
🟨一、当流に立つるところの他力信心をば、内心に深く決定すべし。 
 
🔶他力信心を表にあらわさない。
自分の聞いた教えを振り回して、相手を批判の道具、武器にすることが往々にして出てくる。
「それはあなた方の仏法の理解が浅いんだ!」と戒めておられる。
 
🔷ちょうど、子供が玩具を貰って見せびらかすようなもの。仏法者ぶるな!表に出してしまった。
 
🔶家族に仏法を伝える時も、自分の生き方を肯定して、他を否定すると、家族は「仏法なんて、もう聞くか!」となる。
 
🔷内心に深くたくわえる。いい加減に仏法を我々は聞いていることを反省しないといけない。
 
🟨一つには、一切の神明と申すは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、
 
🔶「本地」とは、仏・菩薩は衆生救済のために、様々な化身を現じるとされ、その化身を垂迹と呼び、本来の仏・菩薩を本地という。
 
🔷日本では、奈良・平安時代から盛んに本地を仏・菩薩、垂迹を日本古来の神々とする本地垂迹説が説かれ、神仏習合(日本古来の神道と仏教が融合し、一体となって信仰されること)が行われた。 
 
🔶本地垂迹説があって、姿形を変えて、現れたものを垂迹と呼ぶ。本来の姿を変えて現れた。
 
🔷神仏習合、共に合わせて同時に融合して一体として、信じられてきた。
 
🔶大きな寺の一部に神社がある。同時に拝まれてきた。仏教が流行ってきた。仏教の方が多いので、仏教よりの捉え方になる。
 
🟨この界の衆生をみるに、仏・菩薩には少し近づきにくく思う間、
 
🔶当時は、神社の方が身近にあったようである。
 
🟨神明の方便に、仮に神と現れて、衆生に縁を結びて、その力をもって、たよりとして、遂に仏法に勧め入れんがためなり。
 
🔷これも仏法に片寄った言い方、神は、護って下さるんだ。仏法に導いて下さっているんだ!
 
🟨これ、すなわち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のおわり」(摩訶止観)といえるは、このこころなり。
 
🔶「和光同塵は結縁の始め、八相成道は利物の終わり」
仏・菩薩が衆生救済のために、本来の覚りの智慧の光を隠して、世俗(俗塵)の中に現れて、僅かな法縁を結び、方便としてのあり方、方便として姿をあらわして、
 
🔷釈尊の生涯を、八相成道という。釈尊がこの世で、人間の姿となって、修行して覚りを得ることによって、衆生を利益して下さったのである。物とは衆生のことで、救って下さる。
 
🔶中国隋の天台智顗の『摩訶止観』にある言葉です。
 
🟨されば今の世の衆生、仏法を信じ、念仏を申さん人をば、神明はあながちに、わが本意とおぼしめすべし。
 
🔷あながち、ひたすら、神々はわが本意だと思われる。
 
🟨この故に、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちに同じく信ずる心はこもれる故なり。
 
🔶別に神社にいかなくても、弥陀一仏に籠っているから。
      【終了】