🌠『ブッダという男〖初期仏典を読みとく〗』 (ちくま新書1763)を読みました。【著者・清水俊史】

🔷最近、仏教界で話題沸騰の本だということで全部、読ませて頂きました。大変、参考になりました。

🔶膨大な量がある初期仏典を読み解いた上での、著者の主張には、説得力があり、経典の根拠を挙げて、仏教学者たちの著作を具体的に挙げた上で、批判されています。

🔷特に私が大事だと思ったのは、「ブッダは業と輪廻を否定した」かのような風潮が、現在の仏教界にあることです。

🔶著書【p.76】にあるように、
「初期経典の中で、ブッダが輪廻という現象の存在を否定する発言をしている箇所は、ただの一つもないのである」

🔷業と輪廻の実在を明らかにされたのが、ブッダであり、仏教であります。

🔶私が尊敬する佐藤哲朗さんが、ユーチューブで、この本の解説をされておられますので、関心のある方は、それを御覧になってから読むと、より理解が深まるかと思います。

🟩解説動画の再生数が、8,000回を超えています。
🟨ブッダという男「仏教学 -1.0」の衝撃、日本印度学仏教学会への提言|この仏教書がすごい!
🟦YouTube で見る
🟥https://youtu.be/qc1jjpcKWNw?si=B8zff27gVKnbGj__

✡️【以下、佐藤哲朗さんのコメントより引用】

🌟流浪の仏教学者、清水俊史先生の最新刊『ブッダという男 初期仏典を読みとく』(ちくま新書1763)が発売直後から、大きな反響を巻き起こしています!
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🌟現代的な価値観を前提にして、人間ブッダを再現しようとする意図がもたらした「近現代の神話化」の弊害を排し、釈迦牟尼仏陀の真の先駆性を歴史の中に位置づけようと、初期仏典を丹念に読み込んだ、とても真摯な仏教書です。

🌟結論だけ挙げると、初期仏教を素直に受け入れている方々にとっては、ただの常識の属することも多いのですが……

🌟そして「あとがき」では、著者が被った学界での不条理なハラスメントが告発されています。

🌟学界のしょーもない恥部が明らかになったことで、興味本位に読まれている面もある『ブッダという男』ですが、本文の切れ味は掛け値なしにすごいです。

🌟「ブッダは業と輪廻を否定した」「ブッダは無我ではなく〈真の自己〉を説いた」など、経典のどこを読んだら、そんなトンチキな結論に達するのかわからない「寝言」に覆われていた、日本の初期仏教研究

🌟(それは大御所の学説に異を唱えると寄って、たかって潰されるという陰湿な体質によって守られてきたようです……)が、

🌟本書のベストセラー化という外圧を受けて、幾ばくなりとも正道に、たち戻ってくれることを願ってやみません。

🌟とにかく年末年始に必読の一冊と思います。200ページちょいなので、さくっと読めるし、より深く学ぶための参考文献と、その解説も充実しているので、初期仏教研究の入門書として最適です。

🌎️追伸1:ちなみに「ブッダは業と輪廻を否定した」「ブッダは無我ではなく〈真の自己〉を説いた」云々という寝言は、さる先生の所説ではありません。

🌟もうちょっと、上の世代に蔓延ってた、トンデモ説なんですが、トンデモを言い続けて、引っ込みがつかなくなった大御所たちによって、壊れたスピーカーのように繰り返されています。

🌟パワハラ・いじめが怖いので、一部の勇気ある or 空気読めない研究者以外は、なかなか間違いを大っぴらに指摘できない状況にあるようです。

🌟『ブッダという男』が広く読まれることで、可哀想な裸の王様たちを素直に「かわいそう」と思える人が増えてくれることを期待しています。

🌎️追伸2:べつに業も輪廻も神通も、個々の研究者がそれを無条件に「信じる」必要はまったく無いんです。

🌟ブッダとその弟子たちは、2600年前のインド亜大陸あたりにいた他人ですから、現代の研究者と価値観や物の見方、体験が異なるのは当然です。

🌟にもかかわらず「ブッダは現代人と同じであるはずだ」という思い込み・偏見によって資料の読みを歪めるのはよくないし、

🌟証拠にもとづいて間違いを指摘されても認めないどころか、圧力かけて、批判潰しするなんてのは、もっと良くない、という話です。べつに当たり前のことでしょ?

🌎️追伸3:版元の大蔵出版が激烈な声明文(抗議文)を出すほどの事態になった、さる先生の出版妨害事件について、

🌟被害者である清水先生の側に立って、というか、客観的に事の真相を明らかにしようと動いた、アカデミシャンは、佐々木閑先生(花園大学教授)ただひとり。

🌟あとは皆、見て見ぬふりしてだんまりを決め込んでいた。あるいは、研究に忙しすぎて、ホントに知らなかったという人もいたかも知れない。

🌟まぁ、狭い業界なので、最高学府()の教授や、そのケツ持ちに睨まれたら、怖いから黙っておこう、となるのは、人情として無理もないけど、

🌟やっぱ人間を越える教え(uttarimanussadhamma)を学んだり、若者に教えたりしてる面々の振る舞いとしては、あまりにも情けないと言わざるを得ないよね。

●『上座部仏教における聖典論の研究』に関する声明|大蔵出版株式会社 2021年1月28日
🟥https://www.daizoshuppan.jp/news/n39180.html

✡️以下、内容に関するメモ

🌃memo01:
🌟ブッダが(現代的な意味での世俗的な)男女平等を説かなかったという点は『ブッダという男』で指摘されてる、そのとおりなのだが、
🌟釈尊の男女平等は「悟る素質という観点」から観たものであるとともに、生物学的なものの見方から来るものでもあったと、控えめに主張することは許されるだろう。
🌟つまり、セックスとジェンダーの分離である。世起経では、性別の分離は描かれるが、男女の優劣は説かれない。

🌟また増支部1、2経では、男女の色声香味触が、それぞれに強烈な誘引力を持つことが説かれる。

🌟修行の世界では、男女を混ぜるのは危険なのである。しかし、女性が殊更「性悪」のような言説ではない。

🌟ただし、古代インドのジェンダー秩序下での女性の生き方に釈尊は、批判的であったし、普通に差別的なことも言っている。

🌟(AIにパーリ経典を読み込ませて、女性論を語らせたら、大炎上必至だろう。)とはいえ、釈尊は、世俗の生活を脱して、出世間の道を歩めば、そこに男女の差はありえないことも説いていた。

🌟ジェンダーの外衣を脱ぎ捨てれば、人間の生物としての男女に差異はないからだ。

🌟でも、現実的には困難も多いし、出家教団にとっては面倒ごとも増えるだけなので、釈尊は女性の出家を渋った。

🌟それだけではなく、女性の出家を迫ったのが、自身の養母(おかん)だったという点も考慮に入れるべき。

🌟大沙門たるゴータマ尊の前で、突っ立って話かけるような、態度でかい女性である。ブッダからすれば、「母ちゃん、頼むから勘弁して!」という場面だったのだ。

🌟その辺の機微については、以下の動画で触れた。
🟥https://www.youtube.com/watch?v=q8lchWS9dpY

🌃memo02:
🌟俗説撫で斬りの3~6章の後に置かれた7章(新しい「神話のブッダ」として構築されたアンベードカルの仏教像が、確かにインド社会を変えたという話)を読んで、ちょっと、ホロッとしてしまった。

🌟近現代に仏教を誤解とともに駆動させてきた「神話のブッダ」を創造した先人たちの足跡もまた、敬意をもって、振り返られるべきなのだ。

🌟それは、厳しく真剣な批判と両立しうるものでもある。

🌃memo03:
🌟第3章末尾で、椎尾弁匡(近代浄土宗の重鎮)の戦前・戦後の変節ぶりに触れたくだりでは爆笑した。

🌟極限まで、体制翼賛・戦争協力を煽りまくっておいて、
「過去の戦時中は、めちゃめちゃであります」って、めちゃめちゃだったのは、あんたの口業だよ。

🌟良質なリベラルアーツは、ユーモアの源っすな。聞くところによると、浄土宗では、いまだに椎尾弁匡への批判は、タブー視されているとのこと……

🌃memo04:
🌟本文中「ゴータマ・シダッタ」という、カタカナ表記が2箇所あったが、Siddhattha はシッダッタと書くのが一般的ではないか? 

🌟あと、貪瞋痴と熟語になってないところで瞋に「じん」とルビ振ってあったが、これは普通に「しん」ではなかろうか?

🌃memo05:
🌟先行研究への批判的言及を含めて、ほとんどが、それそれ、そやな、まぁそやな、という感想しかなくて、超スムーズに読み進められた。

🌟ただ、ここの引用は、こっちの経文の方がいいんじゃないかな、みたいな箇所は、ちょっとあった。

🌟具体的には、第三章で、転輪王経を紹介したくだりのあとに、悪魔相応の王国経が、ちょびっと引かれてたら、ブッダの心の機微がさらに伝わったかもなぁ、とか、

🌟業の希釈については、やはり「塩壺経」出さんと決まらんだろ、とか、そんな程度のことだけど、近々しゃべってみたいと思う。

🌃memo06: 
🌟第3章4節「ブッダの生命観」に "不殺生とは「殺さない」と誓うことで、備わる善の抑止力のことであり、殺さないという状態を常に維持する必要があるわけではない。"とあって、若干の違和を感じたのだが、

🌟これは、清水先生の『阿毘達磨仏教における業論の研究』の第2部「無表の構造(行為の構造II)特に第3章「別解脱律儀の構造」での議論を下敷きにした記述のようだ。

🌟無表の相続で、戒体が具わる、みたいな話は、説一切有部の議論なので、戒は破れる前提で、その都度、懺悔しては、また戒を受けるテーラワーダに親しんでる身には、あまりピンとこない。

🌟とまれ『業論の研究』の、この箇所を読み直して、北伝仏教で、在家の授戒儀式を重視する阿毘達磨的根拠もわかって勉強になった。

🌟手元にあるUpāsakajanālaṇkāraの訳文(浪花宣明『在家仏教の研究』)によれば、テーラワーダの場合、戒が汚れたら、その原因の不善法を取り除いて浄化し、破れたら、懺悔して再度、受戒ということのようだ。

🌟仰るとおり、三帰については他師(異教)に帰依しない限りは、壊れない。でも帰依者が死んだら、壊れる( 無罪の〔帰依の〕破壊)。けっこうドライ。

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【目次】
はじめに
🟩第一部 ブッダを知る方法
🔷第1章 ブッダとは何者だったのか
「歴史のブッダ」を問い直す/「神話のブッダ」を問い直す/
これからの「ブッダ」を問い直す

🔷第2章 初期仏典をどう読むか
初期仏典とは何か/
批判的に読むということ/
先入観なく読むということ/
傲慢なブッダ、謙遜するブッダ/
韻文優先説と人間ブッダ

🟩第二部 ブッダを疑う
🔶第3章 ブッダは平和主義者だったのか
「善なる殺人」は肯定されるのか/
暴力や戦争はどのように否定されるのか/
征服を助言するブッダ/
ブッダの生命観/
殺人鬼アングリマーラ/
父殺しの王アジャータサットゥ/
解釈としての平和主義

🔶第4章 ブッダは業と輪廻を否定したのか
神話を事実である「かのやうに」捉える/
無我と縁起/無記と輪廻/
中道と輪廻/ブッダの輪廻観

🔶第5章 ブッダは階級差別を否定したのか
ブッダの近代性・合理性/
平等を説く資料と、差別を容認する資料/
沙門宗教という文脈/
聖と俗の平等/理想と現実/
アンベードカルの社会改革

🔶第6章 ブッダは男女平等を主張したのか
仏教と女性差別/
女性を蔑視するブッダ/
女性の〝本性〞/
平等の限界と現実/
ブッダの男女観

🔶第7章 ブッダという男をどう見るか
現代人ブッダ論/
イエス研究との奇妙な類似点/
「歴史のブッダ」と「神話のブッダ」

🟩第三部 ブッダの先駆性
🔷第8章 仏教誕生の思想背景
生天と解脱/
バラモン教と沙門宗教/
沙門宗教としての仏教

🔷第9章 六師外道とブッダ
道徳否定論/唯物論/要素論/
決定論/宿作因論と苦行論/
懐疑論/沙門ブッダの特徴

🔷第10章 ブッダの宇宙
梵天と解脱/生天と祭祀/
瞑想と悟り/現象世界と解脱

🔷第11章 無我の発見
個体存在の分析/
バラモン教や唯物論者との違い/
ブッダは「真の自己」を認めたのか/
経験的自己と超越的自己/
なぜブッダは自己原理の有無に沈黙したのか/
ブッダの無我説

🔷第12章 縁起の発見
縁起の順観と逆観/
煩悩・業・苦/
ジャイナ教の縁起説/
ブッダの縁起説

🟩終章 ブッダという男
参考文献/あとがき
     【終了】