3️⃣🟥🟪【2023年11月11日 (土)】大谷専修学院講堂【9時30分~12時30分】
講師:藤場俊基氏(金沢教区常讃寺住職)
講題:「わけもわからずに称名念仏しても意味はない」か?
 
🌟【講義の走り書きメモ3️⃣】
 
🔷私の父親は、それなりに上手な説教師だったのです。私よりも人気がありました。二代続けて説教が上手な人は、珍しいですよ。
 
🔶40年ぐらい、お説教の上手な人がいて、坊守も熱心なのです。私の母親も住職よりも、はるかに人気がある。珍しいですよ。
 
🔷住職と坊守が、二代続けて、凄く熱心な真宗門徒であった。そのお寺は、どうなったと思いますか?
 
🔶私の寺は門徒が30数件、戦後、私が生まれる1年前に、そのぐらいから、あとで見事な念仏者になった人は、あまりいない。
 
🔷父親は地域では、かなり有名な布教使で、説教していても話は上手でした。
 
🔶私は地域では、あまり人気がありませんけど、全国的にはそれなりに知られている。
 
🔷お寺にお参りする人は、それなりにおられる。報恩講には、7.80人、今は、3.40人、来られるが、みんな他所から来られる。
 
🔶父親のファンの人と、私のファンの人がいる。午前に父親が、午後が私、半分に分かれます。
 
🔷でも新たな念仏者が現れることは殆んどなかった。半分以上は他所で来たい人か、他に行くところがなくなって、ここを見つけ出して来て下される。
 
🔶上手な説教は、求心力はありますが、念仏者を生み出す力はない。どうやって念仏者が生まれるか、私にも分かりません。
 
🔷言っておきますけど、多少、お説教が上手になっても、念仏者は生まれません。でも頑張って下さい、と申します。
 
🔶お説教が上手い講師、住職がいるからといって、念仏者がわんさか、わんさか、生まれる訳ではありません。
 
🔷でも念仏者は生まれる。なぜか生まれる。その念仏者が生まれる力を信頼するしかない。
 
🔶そこを信頼したならば、ない知恵を絞って、訳の分からぬまま、何かを自分が感じたことを言葉にしなけれればならない。
 
🔷言葉にする時には、勉強が必要なのです。受け止める時には知識は必要ありません。受け止めるためには、感じるためには、教行信証は、なくても構わないのです。
 
🔶でも、そのことを人に向かって、発信するためには、言葉を持っていた方が圧倒的に上手く行きます。
 
🔷言葉を知らないと同じことを繰り返すとか、この先生はこういわれていました、あの先生はこうおっしゃってました。それを受け入れをするか、同じことを自分が分かっている知識を切り売りするだけです。
 
🔶切り売りする知識の理解の深さと量によって、差がついてくる。同じことを何度もいう。決まりきったことしか言えない。
 
🔷私は、ずっと教行信証ばかりを読んできたので、何を考えるにしても、教行信証を引き当てて考えます。
 
🔶これは教の巻にあるとか、行の巻、信の巻にあるとか考えてしまって、行の巻が何をテーマにして言おうとしているか、それなりにきちんと分けてきて、親鸞聖人がおっしゃっていることが他の人と、どこがどう違うのかを一生懸命に考えた。訳が分かるとは、確かなこと。
 
🔷皆さんは、親鸞聖人を信じていますか?何故ですか?根拠、道理は何ですか?
 
🔶私は親鸞聖人を信じているのではなく、親鸞聖人が信じたことを信じています。
 
🔷親鸞聖人を直接、信じているのではない。親鸞聖人の言葉は分かりますが、なぜ18願が本当なのか、大事なのか、親鸞聖人がおっしゃっているからでは、理由になりません。
 
🔶大無量寿経はなぜ真実の教だといえるのか?親鸞聖人がそのようにおっしゃったから。
 
🔷親鸞聖人を、なぜ信じられるのか、という問題に戻ってしまう。
でも親鸞聖人は、大無量寿経によって、真実の教えに出会ったことは、間違いない。
 
🔶その根拠と理由は、ハッキリと教の巻に示されている。なぜこの経典を信頼するのかを明らかにするのが、教の巻ですから。
 
🔷そこで親鸞聖人は、大無量寿経に書いてあることは、本当のことだから、確かだから、真実だから、という言い方はしていない。
 
🔶出世本懐の経典だから「真実の利をもってせんと恵まんと欲して」とあるから、内容の問題です。
 
🔷内容の理解が、その経典を証明するのはトートロジー、循環論法なのです。なぜ大無量寿経に根本的な信頼を置いたのか?
 
🔶根拠と道理が教の巻に示されている。皆さん、教の巻を読んでみたことはありますか?
 
🔷私は教行信証をずっと読んでいますが、教の巻に引っ掛かっている。「それ真実の教をあらわさば則ち、大無量寿経これなり」
 
🔶ここから教行信証は始まっている。出発点が、信頼が出来なかったら、あと何を聴いても。
 
🔷親鸞聖人を信用する話というのは、日蓮上人を信用する人と、完全に衝突します。親鸞聖人は法華経を中心とする勉強は、殆んど暗記されています。
 
🔶親鸞聖人は無茶苦茶、記憶力のいい人ですから。おそらく映像記憶、写真をとるように記憶が出来る人ではないかと思います。
 
🔷これは、今でもそういう人はいらっしゃる。パッとみて、写真をとるように記憶が出来る人が、たまにいるのです。役者さんでもいます。
 
🔶「私は台本を覚えるのに苦労はしません」という人がいる。たとえば、大竹しのぶさんとか。
 
🔷親鸞聖人は、9歳から29歳まで勉強をして、それでも比叡山を去ったのは、なぜなのか?
 
🔶それは法華経に対する根本的な信頼の根拠が見つからなかったから。書いてある内容は理解をしておられた。これがどうして信頼が出来るのか、つまり読んだけど、我々に、どういうことを伝えようとしていたのかが、ハッキリとしなかった。
 
🔷これが自分にとって、何を意味しているのか、これによって、私は、どういう生き方をしていけばいいのか?
 
🔶それで、法然上人のもとに行かれた。法然上人の評判は色々と聞いておられたと思います。だから、法然上人を訪ね歩いていったとしても不思議はないのですけれども、何が親鸞聖人を引き付けたのか?
 
🔷親鸞聖人は法華経を勉強してもよく分からなかった、親鸞聖人を引き付けたのは何だったのか?
たとえば、聴いていた人の輝きとか。
 
🔶法然上人のおっしゃっていたことは、一緒にお念仏をしましょう、究極的にはこれしか、言われていない。
 
🔷法然上人の書物を読んでも、そこに全部おさまる。それを聴いて、凄いと思ったと思います。
 
🔶この人は凄いことを言われているなあ、という感じです。
    【前半終了】
 
🌟【プロフィール】
1954年石川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、5年間、三和銀行勤務。大谷専修学院修了、大谷大学大学院博士課程(真宗学専攻)満期退学。
現在、石川県常讃寺住職。
✡️【主な著書】
🟨『顕浄土方便化身土文類の研究ー弁証論ー』(文栄堂、1991年) 
🟨『エイズという時代』(共著、東本願寺、1995年)
🟨『親鸞の教行信証を読み解く Ⅰ 教・行巻-浄土教の成立根拠と歴史的展開』(明石書店1998年)
🟨『親鸞の教行信証を読み解く Ⅱ 信巻-浄土教の信仰における問』(明石書店、1999年)
🟨『親鸞の教行信証を読み解く Ⅲ 証・真仏土巻-浄土教は仏教であるか否か』(明石書店1999年)
🟨『親鸞の教行信証を読み解く Ⅳ 化身土巻(前)-似て非なる「仏教」-願われて在る逸脱』 (明石書店2000年)
🟨『親鸞の教行信証を読み解く Ⅴ 化身土巻(後)-似て非なる「仏教」-許すべからざる詐称』 (明石書店2001年)
🟨『凡夫、ゆきやすき道』(真宗大谷派名古屋別院)『善導と観経に学ぶ』(真宗大谷派四国教区)
🟨『共なる歩みの道をー本願の歴史の中の私ー』(真宗光明団)、🟨『親鸞の仏教と宗教弾圧』(明石書店2007年)
🟨『『阿弥陀経』に聞くー極難信の法から問われる信ー』(真宗大谷派仙台教区教化委員会2008年)
     【終了】