「獅子身中(しんちゅう)の虫」とは、味方でありながら害になる者、
内部から禍(わざわい)と崩落をもたらす者、さらには恩を仇で
返す者をいう言葉である。
獅子は死んで屍(しかばね)と化しても、他の獣は恐れて近づかない。
いわんや、それを食うことはない。けれども、屍の中に自ら虫が生じて、
その虫に食われて死骸は跡形もなくなってしまうという。
「梵網経」には、
「獅子身中の虫、自ら獅子の肉を食い、余外の虫に非(あら)ざるが如し、
(かく)の如く、仏子自ら仏法を破る。外道(げどう)天魔の能(よ)く破壊
するに非ざるなり」。
仏の正法(しょうほう)が破壊するとすれば、それは外道や天魔によるの
でなく、仏教徒、仏弟子中の悪者のせいである。それはちょうど、獅子の
屍が消えるのが、他の獣の餌になるからではなく、獅子の身体の中に生
じた虫に食われたためと同じだ、というのである。
「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」、といわれる
通り、人の和こそは人間集団が集結する最大の要素だが、これを内側か
ら乱す分子こそ「獅子身中の虫」である。
内部から禍(わざわい)と崩落をもたらす者、さらには恩を仇で
返す者をいう言葉である。
獅子は死んで屍(しかばね)と化しても、他の獣は恐れて近づかない。
いわんや、それを食うことはない。けれども、屍の中に自ら虫が生じて、
その虫に食われて死骸は跡形もなくなってしまうという。
「梵網経」には、
「獅子身中の虫、自ら獅子の肉を食い、余外の虫に非(あら)ざるが如し、
(かく)の如く、仏子自ら仏法を破る。外道(げどう)天魔の能(よ)く破壊
するに非ざるなり」。
仏の正法(しょうほう)が破壊するとすれば、それは外道や天魔によるの
でなく、仏教徒、仏弟子中の悪者のせいである。それはちょうど、獅子の
屍が消えるのが、他の獣の餌になるからではなく、獅子の身体の中に生
じた虫に食われたためと同じだ、というのである。
「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」、といわれる
通り、人の和こそは人間集団が集結する最大の要素だが、これを内側か
ら乱す分子こそ「獅子身中の虫」である。
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