異星人 62 天平の甍(いらか) | イッピーの独り言

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ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ


二ギハヤヒが基礎を作った天平の甍グッド!


天平の甍(いらか)の時代は日本は

 

今よりもはるかに国際色豊かな時代でした。

 

都の大路には外国人が闊歩し外国の

 

食べ物も多く味わう事も出来たと思います。

 

奈良の正倉院には当時日本にはいって来た

 

多くの外国の品々が展示されています。

 

全てが常時公開されているわけではないので

 

おそらくまだ驚くような物が

 

あるかもしれません。

 

さて

 

この外国との交易との基礎を作ったのは

 

二ギハヤヒでした。

 

彼は日本で最初の都を今の奈良県

 

桜井市の大神神社に定めます。

 

国内外の交易を促進するために太田川を

 

ある程度の外国船がはいって来られる

 

ように整備します。

 

治水灌漑は彼の先祖の同族と

 

思える「三年寝太郎」の時代から

 

得意とした技術です。

 

太田川の水路は大神神社のすぐ側に

 

まで到達していました。

 

当時の大阪湾は東京湾と同じく今よりも

 

ずいぶんと内陸まではいりこんでいました。

 

南方や中国からの外国船が四国の航路を

 

行き来していました。

 

スサノオ・二ギハヤヒ親子は当時からこの

 

四国を大切な航路と認識していました。

 

現在の愛媛県大三島にある大山祇神社

 

(おおやまずみじんじゃ)はスサノオが

 

西の瀬戸内海航路に目を

 

光らせていた拠点でした。

 

二ギハヤヒの孫の乎千命(おちのみこと)

 

が自ら植えた大クスの木が今でもあります。


 

(乎千命手植えの大クス)


愛媛には今でも越智さんや越知さんが

 

多く残っています。

 

瀬戸内海航路の東には現在の琴平宮に

 

若き二ギハヤヒが拠点を構えました。

 

琴平宮の「宮」はもともと神社と

 

言う意味ではありません。

 

二ギハヤヒの「宮殿」でした。



 

(琴平宮外観)

 

大きな船は太田川には入れず

 

瀬戸内海の終点は太田川の河口に

 

は外国人がたまる町が出来ました。

 

当時の奈良の都とはきわめて近い

 

距離関係にありました。

 

話は飛びますが・・・

 

安部晴明は陰陽師を究めるためには

 

外国語にも精通していました。

 

というよりももともと外国語に日常的に

 

接していたと思われます。

 

陰陽師の技術の多くは天文道を含め

 

外国の技術つまり呪術や占術でした。


 


 

この外国語がわかるという利点が晴明の

 

才能を伸ばす基礎となりました。

 

晴明の母親は「白ぎつね」と

 

噂されています。

 

この白狐は信田(しのだ)の森に

 

住んでいました。

 

信田の森とは太田川の河口にあります。

 

太田川にはいれない外国の大型船が

 

多く停泊していました。

 

このため多くの外国人の船員が

 

このあたりで長旅の疲れを癒していました。

 

信田の森とはそのような場所でした。

 

晴明の母親は白人だった可能性が

 

強いと思われるのです。

 

日本は江戸の鎖国時代が長く続いたために

 

独自の文化を古来より保っていたという

 

イメージが現在では強いのですが、

 

もともとは極めて外国に開かれた

 

文化を持っていました。

 

このことがスサノオが活躍できる基礎と

 

なっている可能性があります。

 

あるいは時代が下り聖徳太子が影響力を

 

行使できる基盤となりました。

 

よそものを大いに受け入れて来たのです。


続きはまたねグッド!

 


時代を見つめるボク目