龍神 23 聖徳太子の本当の姿 | イッピーの独り言

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ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ

 

聖徳太子は蘇我氏と深いつながりが

 

ありました。

 

その蘇我氏ですが、歴史上に初めて出てくる

 

のは西暦500年代の初めの蘇我稲目です。

 

稲目は蘇我馬子の父親とされています。

 

それまではまったく無名の豪族でした。

 

その出自が謎に包まれているのです。

 

家系図を見ると蘇我氏は非常に入り組んだ

 

姻戚関係をもち実力者との関係を

 

強めたように見えます。

 

物部守屋を滅ぼしたのは蘇我馬子でしたが

 

実は馬子の妻は物部守屋の妹でした。

 

その子供の蘇我蝦夷(えみし)の妹の

 

刀自古郎女がさらには聖徳太子の

 

妻になっています。

 

つまり蘇我蝦夷に滅ぼされた

 

山背大兄皇子は蝦夷の甥にあたります。

 

その山背大兄皇子は聖徳太子の息子でした。

 

息子はおじさんに殺されたのです。

 

さらにもとをたどれば聖徳太子自身も、

 

日本書紀に拠れば、蘇我稲目の子孫

 

となっています。

 

(以上の部分家系図参照→蘇我氏

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E6%B0%8F

 

これだけでも聖徳太子がいかに蘇我氏を

 

自分の庇護者として、あるいは身内同様の

 

近い存在として思いを寄せていたかが

 

想像できるのですが、それを裏切られたのは

 

やはり相当なダメージだったと思われます。

 

さらにもう一つ知られざる事実があります。

 

実は蘇我氏も渡来系外国人の可能性が

 

非常に強いんです。

 

蘇我氏の「蘇」の文字もそのことを

 

示唆しますが・・・

 

上に参照した家系図の一番初めの部分、

 

つまり蘇我稲目の祖先は「高麗」と

 

なっています。

 

これが事実だとすると明らかに蘇我氏は

 

帰化人の一族なんです。

 

このことは歴史の教科書には出てきません。

 

だとするとこの一連の事件はにわかに

 

別の様相を表して来ます。

 

まったく今までと違う次元のストーリーが

 

展開します。

 

古代日本はもしかすると外国人同士の

 

戦いの舞台だったのかもしれないのです。

 

この時代は、聖徳太子を含めて日本には

 

本当に多くの外国人がいたのです。

 

続きはまたねグッド!

 

 

 

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