昼食後、宮島の厳島神社にお詣りしてきました。

入口
入口左

東回廊

向こうは右楽房、かな

祓殿

客神社本殿 拝殿


玉取祭の説明パネルがありました。
「玉取祭(たまとりさい)」は、400年前から毎年8月下旬に本殿と大鳥居の間の海上で行われる伝統神事です。

満潮の海に高さ8メートルの櫓をが組まれ、天井から吊るされた「宝珠」を奪い合うというものです。
若者たちが海中で3段の人間ピラミッドを組み、一番上の人がジャンプして叩き落とし、それを取ります。
宝珠を叩き落とした人「落主」、海中で宝珠を手に入れた人「取主」は、共に大きな幸運に恵まれるとか。



厳島神社の「鏡の池」は、潮が引いたときにだけ姿を現す丸い水たまりのような池で、神社の中に3か所あります。海なのに池の中心部からは真水が湧き出すそうです。

一つ目は、ここの鏡の池。
鏡池に映り込む秋の月が大変美しく、歌がたくさん残されています。
1715年に光明院の僧、恕信により選定された厳島八景のうちの「鏡池秋月」は、ここの池のことを指しているそうです。
 
二つ目は、御本社本殿右側にある揚げ水橋の近く。
近くに康頼灯籠が立っています。

三つ目は、大国社と天神社の渡り廊下近く、奥まったところにあります。

海水が満ちてきているので、今日は見られません。



反対側に大鳥居が見えます。



ここが揚水橋(あげみずばし)。

手水鉢のようなものに海水をくみ上げる仕組みになっているそうです。
鏡の池…は、見えません。
が、卒塔婆石は、なんとなく透けて見えています。

1177年、後白河法皇の付き人中原康頼は、平の名を賜ったものの、後年平家討伐の計画を藤原成親と密談、喜界島に流刑されてしまいました。
本土に帰りたい康頼は、卒塔婆にする木片を千本用意して反省の和歌を一本一本に書き連ね、海に流した先が、厳島神社の鏡の池に流れ着き、そのことを知った清盛が帰京を赦したと言われています。

ちなみに、その板には2種類を書いてありました。
「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ 八重の潮風」
「思ひやれしばしとおもふ旅だにも猶ふるさとは恋しきものを」

 
後半に続きます。