黒部さん家の子育て回顧録
というわけで、飛んだ部分を書き込みます。(ごめんなせい。)
地下鉄に乗っている時にグワーンというプレッシャーが下腹に来た。で、これがすぐ子宮を通過して子宮口まで達した。こういうのを直下型流産というのだろうか。次の瞬間、下着がヌルッと熱くなり、あきらかに出血が始まった。
地下鉄はすでにマンハッタン59丁目の駅に到着しようとしていた。瞬間だが、この車両に乗り合わせている人に知られずに電車を降りる方法はないものかと考えた。でもそんな考えはすぐに消えた。すでに足に血が流れ降りてきている感覚があって、車両の床にも血が落ちはじめていた。とにかく電車を降りて、トラムウエー(マンハッタンから私の住むルーズベルトアイランドまでを結ぶロープーウエー)までたどり着けば血みどろでも家に帰れる、そう思った私は血のことは後回しで、とにかく家に帰ることだけを考えていた。地下鉄の駅は夕方のラッシュアワーが始まっていた。
私の後ろから階段を上ってきたおばさんが叫んだ。”Oh! my god!!!! she is bleeding!" (ちょっとこの人出血しているわよ!)
黒部さん家の子育て回顧録
BOB LETTER 2
アメリカの産婦人科医は直接羊水検査を行なわない。これまた分業医療で羊水検査専門医がいる。検査は高額で8万近くかかる。紹介されたオフィスはマンハッタンの5番街にあり、中に入るとマダムらしき風貌の女性達が検査の順番を待っていた。隣の女性は老紳士に付き添われていたのでてっきりお爺ちゃんかと思ったら夫だった。離婚、再婚がノーマルなアメリカ社会では産婦人科医でも男性の高齢者をよく見かける。さて私の検査は黒と出た。その晩医師からの電話は淡々としていた。「you have a positive reaction. You need to talk with your husband either you have an abortion or not. If so, we have to make an action in 3 days since you are already 24 weeks」つまり、すでに24週になっているので堕胎を決心した場合には3日以内に行なわなくてはならない,主人と相談するようにとのことである。こういう結果になるとは予想していたが事実となると頭が混乱する。再び主治医に電話をして彼の意見を聞いた。こんな時日本語だと感傷的になり涙声になってしまうが、英語だとなぜか冷静に対応できる、やはり自立型言語なのか。「Yoko, if you don’t want your 4 children cry because of the baby, you just cry once」ダウン症の子供が産まれることで4人の兄弟達が苦労することを考えると、今だけの悲しみをあなたが受け止めるほうがいいというアドバイスだった。すでに大きくなったおなかを見るとやりきれない気持ちになったが医師の意見に従った。事を急ぐので翌日即入院が決まり、病室に入るとひっきりなしに検査医や看護士が入ってきて準備が始まる。わけのわからない注射やクスリを投与され点滴は開始された1時間後医師から電話があった。内容は世にも恐ろしい堕胎メニューの説明だった。
黒部さん家の子育て回顧録 1
黒部さん家の子育て回顧録
長女を出産したのは27歳の時だった。28歳で次女、30歳で長男、32歳で次男、途中33歳で流産、34歳で胎児に問題があり堕胎、35歳で三女を出産した。なぜ5人なのかには多少理由がある。長女がおとなしく内気だったので友達を作るのが難しく、なら自分で作ってしまえということで次女ができた。しかし女の子が2人も続き主人の納得できないという顔を見て長男を出産した。ラッキーといえばそれまでだが男子誕生のためのあらゆる手段を実行した。一番効き目があったのが逆立ちだった。さて、この長男がおっとりしていて、上に姉2人がいることを思うと弟ぐらい作ってやらないとダメかということで次男ができた。ところがこの次男、体が弱く病気がちがったので少々心配だった。あと一人ぐらいは作っておいたほうがいかもしれない、ということで5人目を妊娠した。これがいけなかった。欲張って妊娠した天罰か2週間で流産。それもNYCの地下鉄の中での大出血となってしまった。(つづく)