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「糞道」の等級--胡同トイレ物語⑥

すべての「糞道」がここまで細分化されているわけではない。場所によっては、汲み取り「糞道」の中に「水道」の権利も同時に含まれており、一人の人間が同時におまる洗いの報酬を受け取ることができる場合もある。あるいはおまるを使わない便所の多い地域もある。その場合は、汲み取りがめんどう(おまるを傾けるだけというわけにいかず、勺でほじくりださなければならない。厳寒の冬なら、凍ってしまい、さらに負担が大きい)な上、おまる洗い代を別途徴収することもできない。


おまるのあるなしも「道」の価値に影響した。「道」の値段は、時代によって違うが、前述の人口密度の事情のため、清代(旗人しか住まぬ、商店なし)は安く、民国時代には高騰した。光緒年間には1糞道あたりわずか銀56両でしかしなかったものが、1920年代には5600元に値上がりしたのも、そういう事情あってのことだ。産出量の単位が違うのである。


「道」の価値を決める要素は4つ、即ち地域の繁華度、戸数の多さ、産出量、おまるの有無である。これにより三等級に値段ランクが分けられた。



1等級:内城の一等地にあり、商業繁華街で店舗が多く、人の出入りが激しい上、人口密度も高く、多くの住民がおまるを使用している。価格は5600元前後。
2等級:あまり繁華な場所ではなく、おまる洗いの権利が「水道」として、分けられているため、収入が少ない。価値は洋銀300元程度。
3等級:城のやや辺鄙な地域にあり、貧民居住区。産出量、品質ともに劣る。価値は200元程度。


貧しいと、糞便の量まで少なく、さらに質まで悪いとは初めて認識したが、市場価格に影響する重要要素とは驚きである。


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トイレの話を書いているからといって、毎日トイレの写真ばかり載せるわけにもいかず。適度にまったりと胡同のスナップを載せていきます。。。。


写真: 2003年、西直門内、前幅胡同で見かけた二階建て。この当時はあまり二階建て(もちろん住民が勝手に改築したもの)を見かけませんでしたが、最近は増えました。オリンピック後に胡同の取り壊しも一段落し、景観保護エリアもはっきりと指定され、どうやらしばらくは取り壊されないらしい、とわかったためでしょう。というのは、勝手に建てた二階部分は、合法的な住居面積に認定されないため、取り壊しとなると、建築費が戻ってこないからです。10年くらい住めたら元が取れるでしょうが、数年で取り壊しになれば、投資損となってしまいます。



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写真:胡同の風物詩、鳩小屋もあります。最近では飼う人もめっきり減ってきました。


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「糞道」の種類--胡同トイレ物語⑤

「糞道」の所有権の細分化・市場化が進むのは、清朝が滅び、群雄割拠の民国時代に入ってからである。前述のとおり、清朝が政権をとっていた間、北京内城には旗人しか居住が許されず、商業施設の開設も基本的には禁止されていた。閑静な住宅地と言って良く、こういう状況では、人口密度が極端に高くなることはなかった。


ところが清朝が滅びると、その制限がなくなり、誰でも不動産を買い取るか、家賃を払いさえすれば、住めるようになったことはもちろんのこと、店舗を開いて商売することもできるようになった。人が集まれば、糞尿処理はさらに大きな利益になる。こうして「糞道」制度が、市場の原理により規範化されていく。


「糞道」には、三種類あった。一つ目の「旱道」は、その地域内の便所の汲み取り権を決めた範囲である。二つ目の「水道」は、その地域内のおまるを洗い、毎月報酬をもらう権限のある範囲、その価値は低く、旱道の市場価格の半額しかしない。最後の「跟挑道」は、「水道」糞夫に付き従い、おまるを洗った洗い汁を桶に受ける権限のある範囲。おまるを洗った汁の中に含まれる糞は、水のように薄く、その権利の値段は100元ほどしかしない。


つまりわかりやすくいうと、ある家庭のトイレを「旱道」権を持つ糞夫がまず汲み取りにくる。次にこれとはまったく別の概念として、「水道」権を持つおまる洗いの糞夫とその後ろに天秤棒の桶を持って付き従う「跟挑道」権を持つ二人がやってきて、洗う労働報酬を稼ぎ、その洗い汁を受け取る。


おまるの洗い汁の最後の一滴にまで生活を賭ける人間が存在するという壮絶さに絶句せずにはおられない。資源の最後の一滴まで拾い集めなければ生きていけない過酷な現実がそこにある。



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糞道は「白契」--胡同トイレ物語④

糞夫らはすべて「某街某巷の便、某人の拾取に帰す。他人勝手に取るべからず」の証明書を所有し、他の私有財産と同様に売買、譲渡、相続、賃貸できる権利となった。



もっともこの権利は、あくまでも非公式のものである。北京城内の不動産でさえ所有権を認めなかった清朝という政権が、いわんや便所の「汲み取り権」を、だ。



清朝は北京城内の居住を満州族を中心とした「旗人」のみに制限し、「旗人」らにも城内の不動産の売却を禁止していた。しかし時代が下るにつれて困窮し、家を手放す旗人が続出、さすがに漢族に売ることはタブーだったが、旗人同士で売買関係が生まれた。複雑な売り買いの経緯を繰り返した所有権について、正式な権利がないことでトラブルが続いて、どうにもこうにも処理できなくなり、最終的には認めざるを得なくなる。



この際、非公式な契約は「白契(バイチー)」と呼ばれ、これに対して正式な権利書は「紅契(ホンチー)」といい、区別された。便所の「汲み取り権」が「白契」でしかなかったことはいうまでもない。



汲み取り権の1区画は、1「糞道」の単位で呼び習わし、その持ち主は「糞道主(フェンダオジュー)」と言った。大規模な糞道主になると数百戸、小規模であれば数戸のみという場合もあった。




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           写真: 友人・女優の土屋貴子さんのブログ より。安陽に向かう途中のトイレ。



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