奥野宣之さんの『読書は一冊のノートでまとめなさい』『だから、新書を読みなさい』などを読んでいると、世の中には本をかなりの冊数読み続け、自分の思考を深めることに役立てている人がいるのだなあと感じます。

 

ちょっと前にも「読書について」というブログを書きましたが、本を読むという知的な営みについて根本から考え直しているこの頃です。認知症高齢者の介護などをやっていると、時々本当に心が壊れそうになる時があります。そういう時に、ストレスに負けないための手段が読書ではないかと思うのです。嫌な現実から距離を置いて自分だけの世界に浸るということが読書を通じて可能になるからです。推し活やイタリア語学習も同じような効果をもっています。

 

奥野さんは「読書生活」という言葉を使って本好きの人間にとっての生活の全てを表しています。面白かった本についての誰かとの会話、電車の中での読書タイム、何気なく書店に立ち寄ること、ベッドに本を持ち込むことなど生活の全てなのだそうです。私はそこまでは読書好きではなく、特にベッドに本を持ち込むなど絶対にしたくないことの筆頭に挙げられます。でも、自分なりの読書生活というものを意識的に営む重要性は感じています。

 

この情報氾濫の時代に、新書を通じて広く知識を吸収して自分の考え方をアップグレードしていくという指摘も、なるほどと思います。面白いこと、楽しいことは本の世界に充満しているのですよね。少しずつ実践しているところです。

 

なお奥野さんはかなりの蔵書を持っているようですが、大抵の人間にとっては自宅にたくさんの本を保管できないのが現実です。かつてZoomで会議をやったときに、画面に映った国際政治学の教授の書斎を見て、あんなふうに本に囲まれて幸せそうだなあと思ったものです。私がそのような書斎っぽい環境に身をおけたのは現役時代に個室の研究室を使えた時期に限られます。退職の時に本をかなり処分せざるを得なくなり、泣く泣く本のごく一部だけを自宅に持ち帰りました。その後、あの本が今手元にあればと残念に思うことも多々ありました。図書館で借りれば良いというのが、その時の本の選別の基準でした。

 

イタリアの哲学者、文筆家のUmbelto Ecoは5万冊の蔵書を持っているらしいです。本人曰く、全ての本を読んだかと尋ねる人がいるけれど、全て読む必要はない、本は薬のようなもので、自分の精神の健康状態によって必要な本を読めば良いというようなことを言っています。You should always have nutrition choiceなんていう気の利いた言い方もしています。

 

私のような凡人は図書館があるから、必要に応じてそこに行けば良いのだと思っています。情報過多の時代にはあれもこれも読むというよりも、情報源を限定した方が良いというのが奥野さんの主張で、私もそれに賛成です。テレビは見ないし、新聞も読まなくなりました。購読していた日経新聞、New York Timesもずいぶん前に解約しました。ソーシャルメディアからの情報入手は少しはしますが、多くはThe New Yorkerという雑誌を読むことで取り込んでいます。これにはかなり高い購読料を払っていますが、もったいないと思ったことはありません。それに見合う質の高い記事を読めるからです。だからNew York Timesを読まなくても問題ないと思っています。

 

本に関しては奥野さんは溢れるように発行される単行本よりも、まずは新書によって広く知識を吸収しているそうです。そこで関心を持った事柄、テーマなどは単行本で深めていけばいいわけですから、一つのやり方として参考にさせてもらっています。これまで新書なんて、と軽んじてきた自分がいるわけですが、大いに反省し、まずはイタリアやヨーロッパに関する基本知識とそこから考えを深めるために何を読むべきかを検討していきたいと思っています。

 

このブログでも私が読んだ本について少しずつ紹介していけたらと思います。

 

こんなことを考えながら大晦日を過ごしています。2025年の振り返りはしますが、どちらかというと2026年に何をやりたいかということの方が頭の中のかなりの部分を占めています。やりたいこと、考えたいこと、いろいろありますから。

 

 

 

 

94歳認知症高齢者を間近に見ていると、自分は絶対にああなりたくないと思います。私も含めて多くの人が認知症には絶対になりたくないと思っているようです。海馬だけでなく人間を人間たらしめている前頭前野の機能が落ちてくるとどうなるか。それを見るたびに恐ろしくなるのです。異様な言動、成り立たない会話、日によって人格が変わる、などなど。

 

もちろん、世の中には「絶対」ということはありませんから、どうなるかはわかりません。でも不断の努力で、なるべくそうならないようにはできるはずです。認知症は生活習慣と脳に対する適切な刺激の欠如によるものなので、やはり回避するためには自分の努力がものをいうのだと思います。

 

脳神経外科医の東島威史さんの著書『不夜脳』を読みました。認知症について世間で言われている「常識」的なことを信じ込まないための必読書ではないかと思います。

 

日本は世界的に見ても認知症の人口が多く、しかも睡眠時間が短いことが知られています。このため、睡眠時間が短いと認知症になりがちだというような都市伝説が流布していると著者は言います。認知症人口が多い日独伊は高齢者人口の多い国家であること、そして、睡眠時間の短さが認知症に直結するとは必ずしも言えないのではないか。こう言ってくれる本書は中途覚醒に悩んでいる私に取っては救いです。

 

なぜ睡眠時間が短いと認知症を発症しやすいという見方が出てくるのか。本書によるとノンレム睡眠時にグリンパティックシステムというものが働き、脳の表面から深部へと脳脊髄液が流れ込み、脳の神経細胞(ニューロン)の間に溜まった老廃物をすみずみまできれいに洗い流すことが知られているからです。老廃物としてはアミロイドβ、タウタンパク質、活性酸素などいわゆる認知症と老化の原因物質があげられます。

 

このため睡眠不足が認知症を引き起こすというような説が流布しているのですが、著者はもちろんノンレム睡眠時にも洗い流されるけれども、覚醒時にもこのグリンパティックシステムを稼働させることができる(!)と述べています。つまり有酸素運動や知的刺激(外国語学習や読書!!)など脳が喜ぶ刺激をたくさん与えることによって稼働させられるのだと言います。

 

なんだ、寝ている間だけじゃないんだ!!ここを読んでとても安心しました。世界基準の認知症リスク因子の中に睡眠不足は入っていないのだそうです。それよりも生活習慣を整え、糖尿病や高血圧などの病気にならないようにし、適切な脳への刺激を与えることが重要なのだそうです。「長く眠らなくても大丈夫」という言葉を読んで、本当に安心しました。もちろん、体は睡眠を必要とするから、眠らなくても良いということではありませんが。

 

著者があとがきで書いている内容に感動しました。

 

「僕は脳にしか興味はありません。・・・10年多く生きることよりも、最期の瞬間まで思考を巡らせ、自分らしく在れる脳でいたい。その一点だけを考えて毎日を過ごしています。」これよくわかります。私も全く同じと言っても言い過ぎではありません。

 

そして、脳についてのまとめですが、次のように述べています。「脳は、活動のために進化した臓器。静けさではなく、躍動。停止ではなく、活性。それこそが、きっと脳が求めるもの。日本人が世界一の短眠族でも、長く眠れなくても大丈夫。・・・」

 

ああ、そうなんだ。

 

自分がお金を出して買ってよかった本の中の一冊です。

 

 

 

高市政権が成立してすぐさま外交で大忙しだった総理大臣。それが終わると臨時国会で、18.3兆円の補正予算を組んで成立させなくてはなりませんでした。国会議員の定数削減は継続になったようですが、ガソリン税の暫定税率の廃止や、年収の壁の178万円への引き上げなど、あっという間に実現してしまいました。

 

国民民主党の榛葉幹事長は感無量という感じで有権者の前で演説(報告?)していました。

 

内閣支持率は相変わらずの75%とは、なんともすごいです。

 

公明党のように、ことの進め方が乱暴すぎるとか、石破のように高市首相の存立危機事態に関する発言を批判するとか、ちょっと信じられないことをいう勢力もいるわけですが、これに対しては、いかに連立解消が良いことであったか、石破退陣がもっと早く起こっていればよかったとか、あるいはそもそも高市総裁誕生がもっと早く実現していれば自民党の支持率も低下せずに済んでいたとか、いろいろ感想はありますね。

 

高市政権を批判する人たちはもちろんいるわけですが、これだけさっさと課題を片付けて成果を出す政権を目の前にして、どう反応していいかわからないのでしょう。揚げ足を取ったり、とにかくケチを付けたかったりする人たちなのではないかと思ってしまいます。

 

大型補正予算の効果がどう出るのかが、私の目下の関心事です。とにかく財政出動を通じて日本経済をなんとしても成長軌道に乗せるという決意はとてもよく理解できます。少し時間がかかるかもしれませんが、これが実現できたら素晴らしいと個人的には思っています。

 

成果を出すってことがどういうことなのかを私たちのわかる形で示してくれる政権なのだと思います。