アメリカもとんでもないことになっているし、世界を見渡しても心配事は多々ありますが、この1週間は自分の生活が少し大変になったので、それについて書いてみたいと思います。

 

正月早々、家族が歩道で転倒し骨折しました。激痛に見舞われましたが、その日のうちに病院に行くのではなくちょっと様子を見たいというのでそのまま時間が過ぎていきました。翌日、やはりおかしいということで救急車を呼びました。

 

救急隊の方が転倒の状況や今の体の状態などを細かくチェックし、どうして昨日のうちに救急車を呼ばなかったのかと一言。ああ、やっぱり私が首根っこ押さえても救急車を呼んで病院に連れていくべきだったな。病院に運び込まれても、ドクターに同じことを言われたそうです。

 

普通の人間には軽々しく救急車を呼ぶべきではないという考えがどこかににあって、それが場合によっては手遅れになりかねないのですね。私の義妹が転倒して脳挫傷になり、生死の間を彷徨って一時はだめかと思われた記憶が蘇ります。幸いうちの家族の場合はそれほど深刻な怪我ではありませんでした。それでも肩の骨の骨折なので、手術が必要という判断になりました。これから1週間以上は入院、そのあとはリハビリが続きます。

 

家族は日頃から筋肉を鍛えなくちゃと言って筋トレに励んできたので、入院中に筋肉が一挙に衰えてしまうと気落ちしています。ただ、入院中からリハビリが始まるようなので、根気強く続けることが当面の目標になります。でも本人にしてみればショックでしょうし、しょんぼりするのもよくわかります。

 

転倒のリスクは特に高齢になればなるほど大きくなります。でも辺りを見回してみると、歩道一つとっても決して平坦ではないし、所々陥没や隆起があったりして、高齢者でなくても危険と隣り合わせであることがわかります。私も何回かつまづきそうになったことがあります。今までと同じように普通に歩いていると、どこかに潜んでいる危険に捕まって思わず転んでしまうということは十分に考えられるのです。樋口恵子さんが、高齢者は「上を向いて歩こう」ではなく「下を向いて歩こう」だ、と言っていましたが、その通りだと思います。

 

歩道は最も危険な場所ではないかとすら思います。つまづかなくても、誰かにぶつかられたり、後ろから猛スピードで突進してくる自転車に轢かれるかもしれません。もうずいぶん前から私は歩道を歩くときには非常に神経を尖らせています。若い人は高齢者のことなど考えずにこれみよがしに歩いていきますし、子供を乗せたママチャリの恐怖は言葉に言い表せません。何か考え事をしながら歩道を歩くのは絶対にしてはいけないことですね。とにかくゆっくり歩くこと、誰かが後ろから追い越したければどうぞお先にとどいてあげること、自転車が来たら身構えること。

 

自分に降りかかる危険は振り払わなくてはなりません。

 

それでも日本の救急医療体制は素晴らしくて、どれだけのプロフェッショナリズムによって人間の命が守られているかということを、今回改めて感じました。整形外科の先生の説明も素晴らしかった。安心しておまかせできると思いました。

 

 

トランプ大統領が、ベネズエラを武力攻撃したニュースに衝撃を受けています。国際法上もこんなことが許されるはずはありません。アメリカへの麻薬密輸を根拠に、いくら独裁者Maduroであっても攻撃して拘束し、アメリカ国内で裁くなど、あり得ない。

 

ブッシュ大統領(父)がパナマ侵攻によりNoriega政権を崩壊させNoriegaを逮捕したことを思い起こさせる出来事ですが、それとはレベルの違う悪行であるとの分析も見受けられます。

 

いずれにしても、トランプはプーチンや習近平やネタニヤフと同様の独裁者であることがますます明確になった以上、高市首相が訪米してトランプと会談し、日米同盟の結束を示すなんてことはやめた方がいい。全世界に日本はトランプを支持するような印象を与えてしまいます。

 

イタリアのメローニ首相はInstagramでいち早くベネズエラについての声明を発表しています。ベネズエラのイタリア人コミュニティーを気遣うことと並んで、武力で他国の政権を崩壊させることへの非難もきちんと述べています。乏しいイタリア語能力ですが、辞書片手に読みました。メローニ首相素早い対応、いつも感心させられます。

 

高市内閣は何もまだ表明していません。北朝鮮のミサイルは重大問題かもしれませんが、国際情勢をもっと広く捉えて見解を表明すべきではないでしょうか?日米同盟を唱えるだけの外交から少し距離をおいた方が良くないですか?

 

1月にメローニ首相の来日が予定されていますが、外交的にメローニ首相と対等に話せるような高市政権なのか、ちょっと不安です。日本外交はグローバルなんて言葉を腐るほど使ってきましたが、基本的に国際政治のセンスが少し甘すぎると思います。

 

追記:

メローニ首相の投稿を注意深く読むと、いつものように、トランプを正面から批判することは避けています。外国の独裁政権を倒すことが採るべき手段であるとは思わないが、ハイブリッドな脅威に対して防御的な介入の正当性はある、というような言い方をしています。メローニ首相はアメリカに対してはいつもこういったワンクッション置いた発言をしています。

 

評論家の樋口恵子さんの『93歳、あとは楽しげに生きる』(講談社)を読みました。

 

樋口さんは女性問題、労働問題などの活動家であり、土井たか子さんを応援するなどかつての社会党を支持し、都知事選にも出馬したことがある方です。私は社会問題をめぐる活動家タイプの人があまり好きではありません。大学での同僚にも活動家、運動家タイプの社会学者がいて、ものすごい違和感を持ったことがあります。世の中の不正に対する怒りなど、情緒的な部分が表面に出る人には不信感しかありません。

 

だから、樋口さんも好きではありませんでした。でも、本書を読んで樋口さんのイメージが完全にひっくり返り、自分の不明を恥じるまでになりました。というのも、樋口さん自身の経歴から導き出された知恵や洞察力、現在の介護の制度づくりにも尽力したこと、とんでもなく辛い経験があっても抜群のユーモアのセンスで乗り越える姿勢、全てが尊敬に値するなあと思ったからです。

 

何よりも、私自身が高齢者としての生き方をあれこれと考えるようになったからかもしれません。

 

樋口さんが大学を卒業して社会に出る頃は、今とかなり違って、高学歴で既婚、子持ちの女性に対して門戸を開く企業は無いに等し買ったとのこと。編集者を目指していたものの、どこも雇ってくれない現実に突き当たります。それが評論家として活躍し始め、政治の世界でも社会保障制度の構築などで貢献し、現在私たちが使える介護制度の構築にも関わったとは、なかなかのものです。

 

本書で私が感銘を受けた箇所はいろいろあるのですが、その一つは人生100年といわれる超高齢化社会の日本で生き抜くことは面白い経験だという点です。高齢期というのは第二の人生であり、それに必要な「義務教育」があるはずだと言うのです。長い高齢期をどのように快適に安全に過ごすことができるか、自分の老いと正確に向き合うために必要なことがらを学ばなくてはならないのです。自治体のサービスや社会の仕組み、健康に関する知識など、学ぶことは多々あります。

 

樋口さんの提唱する「楽しげに生きる」とは、高齢になってあそこが痛い、これができなくなって嫌になるとか不機嫌のタネが増えていくと、人はどんどん不機嫌になって本当に楽しくなくなってしまう悪循環に陥るから、「楽しいことがなくても自ら果敢に楽しみを見つけていこうとする意志」を持つことなのです。「ちょっとだけ楽しいふりをする」ので十分だと言うのです。

 

資格の取得や趣味など、新しいことに挑戦することも一つの楽しみのリストに入るのですが、私がイタリア語学習に精を出すのもそれなんです。樋口さん曰く、「ただ純粋に挑戦を楽しむことができるのが、年寄りの特権です。その結果、うまくいったら万々歳。上手くいかなくても、それはそれでやろうと思った自分を褒めてやりましょうよ」なのです。こういう考え方、とても素晴らしいと思います。

 

私がイタリア語を勉強し始めるというと、「イタリア旅行をして言葉が通じるようにすることを考えて一生懸命勉強するといいよ」とアドバイスをしてくれる人もいます。やはり言葉は使ってなんぼの世界でしょうから。でも、老老介護で介護をしている私にはそもそも旅行するだけの時間的余裕がありません。それよりもイタリア語を学ぶ喜びは別のところにあるのです。それについてはまた改めて書いてみたいと思います。

 

それはさておき。樋口さんの本を読んで考えることがたくさんありました。長寿の作家には佐藤愛子さんもいますね。そういう人たちから、アドバイスをもらうことも高齢化社会の「義務教育」の一つですね。