真冬の寒さの中で新年度が始まりました。入学、入社、人事異動など、この時期ならではの光景が繰り広げられます。

 

私は定年退職して4年が経つので、もうすっかり新学期の緊張感からは遠ざかってしまいました。入学式、オリエンテーション、ゼミや講義の滑り出しなど、いろいろあったなあ。でもそこに戻りたいとは思いません。自分の今の生活やこれからのプランを考えることの方が大事になりました。

 

介護を別にすれば、そんなに忙しいわけでもないのに、気がつくと寝る時間になっている。本を読む時間がない。何故なんだ??

 

理由は簡単で、social mediaに多くの時間を割いているからです。social mediaに全く触れないのも極端ですが、見始めるとスクロールし続けてあっという間に時間が過ぎてしまうというのはよくある話です。私も例外ではありません。スクロールをやめてみると、時間はいくらでも作れます。

 

ニュースもつまらなくてみる気がしない(Trumpの顔など見たくもない)ので、ちょうど良いからXもInstagramもThreadsもYouTubeもBlueskyも最初の一つ二つを見てやめてみる。そうすると、不思議なことに本を読もうという気になります。というよりsocial mediaに飽きちゃったんでしょうね。目まぐるしく移り変わる政治や経済について追いかければ追いかけるほど頭の中がいっぱいになってしまって、疲れてしまいます。

 

そうすると、もう少しゆったりした気持ちで本を読もうかということになるわけです。ペースを落として生活する。最近はそんなふうに考えています。

 

例えば、今までよりも歩くスピードが落ちたのではないかと感じているのですが、これは老化のせいなのか、そもそも早く歩く気がないのか、どちらなんでしょうか?早く歩く気がない、ノロノロのんびりでいい、そんなふうに考えているからなのではないでしょうか?いや、それが老化ということなんですよ、と言われればそうなのかもしれません。

 

もともとせっかちな人間なので、ともするとあれもこれもやらくちゃいけないと考えてしまいます。ちょっと待って立ち止まって、ゆっくり時間をかけて考えてみる。最近はそれができるようになりました。70歳にして何という進歩でしょう!(笑)それでいいのですよ。

 

Hatena blogに内省というブログを書いています。(https://lifewithgreens.hatenablog.com) よかったら読んでください。

 

 

 

毎年桜は咲くのだから、いつもと同じ光景を目の当たりにするだけなのに、なぜ桜がちょっとでも咲くとみんな大喜びでカメラを向けるのかな?

 

そういう私も、ここ数日、少し咲き始めた桜を探して近所をうろうろしていました。かなり咲いていますね、今日あたりは。上野や千鳥ヶ淵などは人が多過ぎるから早朝にでも行くしかありません。そうは言っても、早朝、不忍池のハスの花を見に行こうと思っていて行った試しがない私です。

 

教えていた大学の前の土手の桜はもう見頃だろうか。

 

なんだか嫌なことがあっても、春になるとワクワクして嬉しい気分になるから不思議ですね。

 

今日は朝から介護。明日も朝から介護。今週は水曜日の義母のケアマネさんの訪問日というのもありました。病院に全くかかっていなくて健康そのものだった義母も、最近は内科だけでなく、歯の治療や眼科の診察など、訪問診療の回数が増えました。

 

びっくりしたのは、訪問診療の医師たちが、いろんなポータブル機器を持ってきて歯の治療や、眼圧測定などを行うことです。歯の治療でレントゲンをとる場合も、ポータブルの装置でとっていましたし、眼圧なども簡単に測れるし、すごいなあと思いました。高齢者の医療はいろんなところで進歩を遂げています。

 

ただ、訪問診療が増えるとその度に私が同席しなくてはならないので、正直、しんどいです。

 

そういう時に桜を見ると、なんだか幸せな気分になるから不思議です。イタリア語を勉強し、好きな本を読んでさらに幸せな気分になろうと思います。

 

 

これまで外国語を学ぶということは、単に手段として外国語を身につけることだと考えていました。愚かですよね。

 

英語の場合、私は政治経済に関心があるから、それに関する書物を自由に読めるようになりたい、とか、論文も英語で書けるようになりたいとか、ニュースを不自由なく読んだり聴いたりできるようになりたい、とか、話すのはあまり得意じゃないけれどそれでもうまく話せるようになりたい、などと思っていました。

 

あくまでも英語という言葉そのものではなく、それを手段として自由に操れたらいいなという発想です。自分の研究に必要な手段と言えるでしょうか。

 

イタリア語を学び始めてから、こうした考えが少し変わったように思います。

 

半年独学でやってきて、楽しいのはもちろん、もっともっと知りたいと思うものの、現時点では直説法現在形しか学んでいないため、いろんな文章を読もうとしても、ニュースを聞いてもなんとなく分かる語があるな、程度の理解しかできません。かえってフラストレーションがたまります。I have a book程度のイタリア語能力なんです。

 

それで、Instagramでフォローしている@ines.tutoringで、次のような投稿を見つけた時にはこれだと思いました。

 

Learning Italian was all fun and games.....Until il congiuntivo showed up with more rules than a strict nonna guarding her pasta recipe.

 

面白い!と同時に、このil congiuntivoってなんだろうと思って調べたら接続法のことでした。直説法なら楽しめるけれど、そして時制もなんとかクリアできたとしても、この接続法というのがなんとも厄介だということでしょう。

 

直説法現在形だけでも十分にfun and gamesです。とにかく活用だらけ。動詞が活用するのはもちろんですが、形容詞だって冠詞だって活用する。とにかく活用を覚えるだけでめまいがしてきます。最初はこんなの無理と思っていましたが、そのうちなんとなくパターンがあるのでそれを飲み込むと、どんな活用でもかかってこい、みたいな気分になる。でも不規則活用になるともう本当に覚えるしかない。それでもゲーム感覚で楽しめば良いのです。

 

ところが接続法というのは本当に複雑のようです。今年度は接続法までたどりつければ良いなあ。

 

直説法が事実を表すのに対して、接続法は自分の考えを言う(〜だと思う)、意見や判断を示す(〜のようだ)、必要性(〜が必要だ)、可能性(おそらく〜なのだろう)といった単なる事実ではない世界を表す文法なのです。

 

考えてみれば、生きているということは、事実の世界にとどまることなく自分や他人の考え、意見、様々な感情、判断などを含む複雑な世界と不可分なのです。つまり言葉とは人間を知る、自分を知ることと同義なのではないでしょうか。そんなことすら知らないお前はなんと無知なのだと言われそうですが・・・。

 

イタリア語を学び始めて感じている正直な気持ちです。英語だけだったらそんなことに気づかないまま、単にスキル的な発想で言葉を捉えていたのではないかと思います。

 

春はウキウキして、発想も感じ方も今までと違う次元に展開していくのかな。