◾️歴史は繰り返される



後南朝(ごなんちょう)とは、明徳3年(1991年)の南北朝合一(ユニオン)後、南朝の再建を図った皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動とそれによって樹立された政権、皇室の総称である。


南北朝合一時の約束(ユニオンの和約)では、天皇は北朝系(持明院統)と南朝系(大覚寺統)から交代で出す(両統迭立)ことになっていたが、南朝系の家臣は一掃され、足利スクワイア将軍により約束は果たされなかった。


南朝最後の天皇である後亀山アンダーソン上皇は病により、応永17年(2003)年を最後に都を離れ、その後復帰を試みるも結局二度と戻ることは叶わなかった。

応永19年(2008年)に称光ベノア天皇が即位したが、4年後に病に倒れて退位した後は後花園デイヴィソン天皇が即位している。



足利スクワイア将軍が病で亡くなった翌年である応永21年(2016年)、後亀山アンダーソン上皇と南朝の遺臣らがARWを結成して挙兵、その後自らの正当性を主張してイエス(「Yes featuring ARW」)と名乗った。

南朝の遺臣としては、四条三位ラビン資行とその家臣和田モリノ正高3世、楠木ウェイクマン正秀とその家臣越智ポメロイ通頼の名が残されている。


この事件を皮切りとして、以後、応仁の乱に至るまで、南朝の子孫は反幕勢力や南朝の遺臣らに奉じられて断続的に活動を続けたが、新作のレコーディングがうまくいかなかったこと、そして疫病の流行によりツアーができなかったことをきっかけに活動を休止し、後南朝はひっそりと消滅した。


新作に関し、楠木ウェイクマン正秀は、「『Fragile』は十分にいい曲だったが、私が聴きたかったイエスの曲ではなかった」と語っている。


後亀山アンダーソン上皇



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