「フランク・ザッパがピンク・フロイドのライヴにゲスト出演するのを見たことがある。彼はひどかった」



2026年5月9日

By Dom Lawson(Prog)


生涯にわたり実験的なロックを追求してきたマイケル・ギラは、マザーズ・オブ・インヴェンションのアルバムは最初の3枚だけが聴く価値があると主張している。

それ以降は、ザッパが「残念なプログレ的傾向」に流されてしまったからだ。


2012年、スワンズ(Swans)の創設者マイケル・ギラ(Michael Gira)は、フランク・ザッパとマザーズ・オブ・インヴェンションが自分にとってどれほど大きな存在だったか、そしてその気まぐれなバンドリーダーへの想いがいつ薄れていったかを語った。



60年代、私はまだ若かったが、当時の素晴らしい音楽、そしてそれにしばしば結びつけられる様々なマテリアルを貪り尽くすには十分な年齢だった。

マザーズ・オブ・インヴェンションの作品はすべて買い集めた。理想を言えば、このバンドを、ロサンゼルスのネオンが輝く郊外を荒らし回り、地元住民を恐怖のどん底に陥れる、見事に不潔で狂気じみたヒッピーたちとして捉えているんだ。


ザッパは紛れもない天才だったと思う。文化的な観点から見れば、彼の活動はパンクロックが社会に突きつけたのと同じくらい、社会に対する挑戦だった。当時、彼らのライヴを一度も観られなかったことが心残りだ。彼らのライヴは、まるで食肉処理場で行われるサーカスのようなものだったのだろうと想像する。


その音楽は、私の恐ろしくサイケデリックに歪んだ心の、脂ぎったトンネルを駆け抜ける、統合失調症的なソリ滑りだった。彼らは素晴らしい曲を数多く持っていたが、そのどれもが奇妙で不穏な出来事そのものだった。


『Brown Shoes Don’t Make It』、『Plastic People』、『Who Are The Brain Police?』、『Let’s Make The Water Turn Black』、『Trouble Every Day』…どれも最高だ。『Help I’m A Rock』は素晴らしい。まるで初期のCanのようだ。


ザッパは私にとって最初のヒーローだった。でも、あの3枚の傑作アルバム(1966年の『Freak Out!』、1967年の『Absolutely Free』、1968年の『We’re Only in It for the Money』)以降に彼がリリースしたものは、どれも好きになれなかった。


彼には、プログレッシヴロック特有の、テンポや音色の変化が頻繁に繰り返されるといった、少々残念な傾向も見られたが、初期の頃は音作りの面で実に独創的だった。


実は1969年、ベルギーで開催されたロックフェスティバルで、彼がピンク・フロイドのセッションに参加するのを目撃したことがある。

当時、私は家出中のヒッピーの少年としてそこにいた。そのフェスティバルには、ソフト・マシーン、イエス、ザ・プリティ・シングス、そしてシカゴ・アート・アンサンブルも出演していた。


だが、ザッパはひどかった。

彼はスポットライトを独り占めし、ありきたりなブルース/ロックのソロを披露して、アンサンブルが生み出す絶え間ないクレッシェンドという、それ以外なら素晴らしい体験、まさに音のスペクタクルを台無しにしてしまった。あの後、私は彼を少しばかり嫌うようになったと思う。


Pink Floyd with Frank Zappa「星空のドライブ」

アトム・ハート・マザーズ・オブ・インヴェンションですね😂


マイケル・ロルフ・ギラ(1954年2月19日生まれ)は、アメリカのシンガーソングライター、作曲家、作家、アーティスト。現在はニューメキシコ州を拠点としており、1980年代のノー・ウェーブ・ムーブメント全盛期にニューヨーク市で、自身がヴォーカルとギターを担当するバンド「スワンズ」を結成した。

また、ヤング・ゴッド・レコードの創設者であり、以前は「エンジェルズ・オブ・ライト」のフロントマンを務めていた。


出典:

https://www.loudersound.com/bands-artists/frank-zappa-pink-floyd-swans-michael-gira


【補足】

ギラが観たロック・フェスティバルとは、1969年10月24日〜28日の5日間にわたってベルギーのアムジーで行われたFestival Actuel(アムジー・フェスティバル)のことです。フランスのレコードレーベル「BYG Actuel」によって主催されました。当初はパリでの開催が予定されていましたが、当局の不許可により最終的にベルギーで開催されました。


フランク・ザッパは司会だけでなく、多くのバンドのステージにゲスト参加して即興演奏を行ないました。

主な出演者は、ピンク・フロイド(10月25日)、イエス(10月27日)のほか、ジェスロ・タル、テン・イヤーズ・アフター、ソフト・マシーン、ザ・ナイス、キャプテン・ビーフハート、キャラバンなどで、多数のプログレやジャズロックのバンドが出演しました。


フランク・ザッパは、次のように回想しています。

「パリから来たあるグループが、このフェスティバルを大成功させた。パリ市内での大規模なイベント開催は死ぬほど恐れられていたが、フェスティバルを開催したかった連中は決して諦めず、結局ブリュッセルから2時間ほど離れた牛の放牧地を選んだ。霧が立ち込め、気温は20度か30度くらいだったと思うが、本当にひどい天候だった。

テントが数張あるだけで、人々はどこからともなく現れ始め、PAシステムを起動したらちゃんと動いたし、照明も点けたら点いた。そしてバンドが実際に演奏を始めると、なんと、見事にポップ・フェスティバルが成立したんだ。彼らはその光景を見て、5日間続けなければならないと悟った。


私はそのフェスティバルに参加するよう頼まれた。最初はマザーズに出演してほしいと言われたんだけど、当時はメンバーがいなかった。だから、以前から知り合いだったピエール・ラテスが、フェスティバルの共同司会を頼んできたんだ。でも現地に着いてみると、ほとんどの人がフランス語を話していて、私が何を言ってるのかさっぱり分からないだろうから、バンドを紹介しても意味がないって分かった。

そこでピエールは、いくつかのバンドと一緒に演奏してみたらどうかと提案してくれた。


でも自分のギターがなかったからかなり不利だった。他人のギターを使わなきゃいけなかったし、フェスでみんなが使えるように置いてあるアンプを使わなきゃいけなかったんだけど、それらはしょっちゅう故障したり調子がおかしくなったりした。その上、いくつかのバンドは、私の演奏にどう対応すればいいか少し戸惑っていたようだ。

だって、毎晩決まったアレンジやセットリストで演奏しているバンドにとって、その構成にない異質な要素を無理やりねじ込むのは難しいんだ。

観客も批評家も、そうした事情を忘れていた。たぶん、私が下手なギタリストだって証明したくて、ちょっと焦っていたのかもしれない」




1975年のアルゼンチン盤『ザ・イエス・アルバム』の中に、内容がザッパのミスプレスLPがあるそうです🤣