と、昨年も同じことを書きました。



◾️詰め込み過ぎの『ユニオン』


2016年4月30日

By Nick DeRiso(Ultimate Classic Rock)


ピーター・バンクスとトレヴァー・ホーンを除く、プログレ・バンドのレガシーに貢献した主要メンバー全員が参加したイエスの『ユニオン』が、ちょっと出来が良すぎると感じたとしたら、それは事実だからだ。

1991年4月30日にリリースされた『ユニオン』は、多世代にわたる里帰りというよりは、フランケンシュタインの怪物、別々のプロジェクトをつなぎ合わせたアルバムだった。


このアルバムは過渡期にリリースされた。

当時のイエスのメンバー(トニー・ケイ、クリス・スクワイア、トレヴァー・ラビン、アラン・ホワイト)は、1987年の『ビッグ・ジェネレイター』とジョン・アンダーソンの脱退を経て、再び活動を始めようと奮闘していた。

彼らは1983年の大ヒット作『90125』まで連続したアルバムで一緒に仕事をしてきたが、アンダーソンはまだラビンとの関係を結んでいなかった。


「あの頃は、『90125』の後に再びヒット・レコードを作ることよりも、良い音楽を作ることの方が問題だった」とアンダーソンは2013年に語っている。

「ビッグ・ジェネレイターは実現しなかった。大げさだったし、やりすぎだった。私はあのプロジェクトに全く関与していない。私はただ入って歌っただけ。彼らは私を邪魔にならないようにしておきたかった。だから私は忙しくしていた」


そうして彼は、ビル・ブルフォード、リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウといった、過去にイエスに貢献したおなじみのメンバーに加わり、ベーシストのトニー・レヴィンと別のバンドを結成した。

「スティーヴ、ビル、リックと一緒なら、とても簡単だった。だから、アルバムはうまくいったんだ」


主な理由は、そのサウンドがまるで、そう、「イエス」だったからだ。

ただ、契約上の理由から、彼らはアンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウと呼ばれることになった。

車を持っていて、それを「ステアリング・ホイール、トランスミッション、ラジアル、シャーシ」と呼ぶようなものだ。

しかし、ABWHがセカンドアルバム制作のために再結成される頃には、トレヴァー・ラビンのデモが話題の一部となり、レーベルの担当者は妙案を思いついた。


『ユニオン』は、この似ているようで全く異なる2つのバンドをイエスの旗の下に融合させた。

例えば、ジョン・アンダーソンは、シングル「Lift Me Up」を含むトレヴァー・ラビンの3曲と、ビリー・シャーウッドとのスクワイアの別プロジェクトから生まれ、すでに完成していた「The More We Live」に声を添えただけだった。


「私たちは音楽的にも個人的にも意気投合した」と2011年にシャーウッドはスクワイアについて語った。

「たくさん笑ったし、いい音楽もたくさんあった。いつもとても簡単だった。もちろん、その後、彼と私が作曲チームとして作り上げたダイナミズムを、イエス・モードに移行するのが面白くなった」


この時点では、それはほとんど単独で起こった。

クリス・スクワイアも同様に、完成したABWHの曲にバッキング・ヴォーカルを加えた。

スティーヴ・ハウの「Masquerade」は、古いソロ曲の残りだった。

「Evensong」は、トニー・レヴィンとビル・ブルフォードがABWHのツアー中に始めた曲だった。

「Saving My Heart」は当初、ラビンとスーパートランプで有名なロジャー・ホジソンのコラボレーションのつもりだったらしい。


実際そうであったように、このアルバムはつぎはぎだらけのように聴こえ、皮肉にも『ユニオン』と名付けられたが、それ以外の何物でもない。

このアルバムはゴールドセラーにとどまり、トレヴァー・ラビンの加入以来、イエスにとって最悪の結果となった。そして、新たなパワーにもかかわらず、『ユニオン』はビルボード・チャートで『ビッグ・ジェネレイター』の15位に匹敵する成績しか残せなかった。


メンバーが8人に膨れ上がったツアーも、同じように個性がつぎはぎだらけで混乱したものだった。

スティーヴ・ハウはかつてこう認めている。

「結局、僕らはずっとステージにいた。僕は1曲だけ出て、また戻ってきたんだけど、他のメンバーには出て行ってもらえなかったんだ」


『ユニオン』はバラバラで、最終的には満足のいくものではなかったが、それでも一部の関係者にとってはプラスになった。

アンダーソンにとっては、遅ればせながらトレヴァー・ラビンとのつながりができ、イエスへの復帰と1994年のアルバム『トーク』へとつながった。

「もちろん、みんな集まってユニオンをやったんだけど、その頃から僕とトレヴァーは本当に絆が深まったんだ。それまでは本当に絆がなかったから、本当に面白い時期だった」


『ユニオン』はトニー・レヴィンにとっても、イエスの両ドラマーとの長い付き合いにつながった。

ABWHの他に、レヴィンはブルフォード、デヴィッド・トーンと共同でBruford Levin Upper Extremitiesを設立。その後、2011年にリリースされた完全即興の『Levin Torn White』では、トーンとアラン・ホワイトと共演している。


シャーウッドにとって、ユニオンは大好きなバンドへの入り口になった。彼は90年代を通してツアー・サイドマン、エンジニア、プロデューサー、そして正式メンバーとして活動し、1997年の『Open Your Eyes』と1999年の『The Ladder』ではクリエイティブな面で大きく貢献した。


「私のゴールは、党派の壁を取り払うことだった。ジェネシスを、例えば1978年以降は聴かないという人がいる。私はすべての音楽が好きなんだ。私がやろうとしたのは、団結をもたらすことだった。そのために、私は誇りに思っている。

結局、私はクラシック・バージョンを見ることができたし、90125バージョンとも仕事をした。両方のバージョンを見た後、私は新しいものを考え出すのを手伝った。それは世界と引き換えにはできないよ」


出典:

https://ultimateclassicrock.com/yes-union/


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