【発売当時のレヴューより】
■バンド・パフォーマンスの即興性を捉えているライヴアルバム
1973年9月21日
By Joel Bute(The Midland)
トニー・ケイは多くの優れた仕事をしており、音楽界では広く知られている。その名を知らない人もいるかもしれないが、彼はイエスの最初の3枚のアルバムを通してキーボード・マンを務めた。彼はフラッシュにも在籍し、彼らのファースト・アルバム『フラッシュ』をレコーディングした。
彼は、音楽界にその名を残すことを約束する全く新しいグループを結成した。その名は「バジャー」だ。
このアルバムは、ロンドンの有名なレインボー・シアターでの公演からライヴ収録されたものだ。
コンサートでのグループには、スタジオでは再現できない、ある種の自発性の輝きがある。
ライヴ・アルバムとスタジオ・アルバムを聴き比べれば、その意味がわかるだろう。
この『ワン・ライヴ・バジャー』は、バンドが6曲の非常に強力なカットを野蛮に爪弾くことで、この自発性を表現している。
ライヴ・アルバムということで、ありがちな問題はあるが、特に気にするようなものではない。
ヴォーカルは少々荒削りなところもあるが、ガッツが感じられ、ハーモニーもライヴ・アルバムとしては驚くほどうまくいっている。
バジャーのメンバーは、ケイ、ベースのデイヴ・フォスター、リード・ギターのブライアン・パリッシュ、そしてスティック・マンのロイ・ダイクだ。
バジャーの音楽は一体感があり、エキサイティングだ。交錯する演奏は、単なるトニー・ケイとそのバック・グループではないことを証明している。楽器のバランスもよく、バンドは一流の仕事をしている。
イエスのリード・ヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンがプロデュースに携わっていることを考えれば、このアルバムがイエスの香りがするのは当然だろう。『イエスソングス』が気に入ったなら、『ワン・ライヴ・バジャー』も気に入る可能性は高いと思う。
アルバムを見つけるのに苦労した。すぐにフリーモントに届くといいが。
何はともあれ、これを見ない手はない。そのジャケットは、ロジャー・ディーンの非常にセンスの良いアートワークで描かれている。彼はユーライア・ヒープの『Demons and Wizards』や 『The Magician's Birthday』のジャケットを手がけている。
イエスの最後の3枚のアルバムに収録されていた宇宙的なものを覚えているだろうか?
そう、ディーンはそれも担当している。
音楽的には、バジャーは手を伸ばせば届きそうな、噛みつきそうなグループであり、その最初の作品である『ワン・ライヴ・バジャー』は、非常に明るい未来への白熱したスタートである。
輝け!
【1993年オーストリア盤CDのライナーより】
バジャーは、オリジナルのイエスのキーボーディストであるトニー・ケイが、同じくオリジナルのイエスのメンバーであったピーター・バンクスと結成したバンド、フラッシュを脱退し、自身の「プログレッシヴ・スーパーグループ」の結成に乗り出した1973年に結成された。
イエスのヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンとザ・ウォリアーズで活動していたベーシスト、デヴィッド・フォスターが最初に加入し、レモ・フォー、ファミリー、そして1971年に「Resurrection Shuffle」で世界的な大ヒットを記録したアシュトン・ガードナー&ダイクの3分の1メンバーだったドラマー、ロイ・ダイクが続いた。
4人目のメンバーは、ダイクと出会ったメディシン・ヘッドやスリーマン・アーミーに参加し、ポール・ガーヴィッツともLPをリリースしていたブライアン・パリッシュだった。
アトランティック・レコードはすぐにバンドと契約し、1973年にデビュー・アルバム『ワン・ライヴ・バジャー』をリリースした。
イエスと同様、このアルバムにはインストゥルメンタルを基調とした長い曲が収録されており、メンバー個々のスキルは十分に発揮されていたが、大衆の想像力をかき立てるには至らなかった。
新たなインスピレーションを求めたケイとダイクは、フォスターの後任に元スティラーズ・ホイールのギタリスト、ポール・ピルニックを起用し、ダイクの古くからのベーシスト、キム・ガードナーも加入させた。
フロントマン/ソングライター探しは、リバプール生まれのジャッキー・ローマックスの加入で幕を閉じた。ローマックスは、以前アンダーテイカーズに在籍し、ビートルズのアップル・レーベルに所属するソロ・アーティストでもあった。
ローマックスは、バジャーをプログレッシヴ・ロック・バンドからよりソウルフルなバンドへと変貌させ、バンドのセカンドLP『White Lady』の全曲を作曲した。
このアルバムはニューオーリンズのプロデューサー、アレン・トゥーサンのスタジオでレコーディングされたが、リリース前にクロイドンのフェアフィールド・ホールで、PAの使い方を巡って口論になったE.L.O.をサポートするギグを行った後、バンドは解散。
ローマックスはキャピトルとワーナーズのためにアルバムをカットするソロ・キャリアに戻った。
また、ロッド・スチュワーツの『Foolish Behaviour』LPに参加するなど、セッション・ワークも数多くこなした。
ロイ・ダイクはカフェ・ソサエティ、パット・トラヴァース、クリス・バーバーらと活動し、トニー・ケイはディテクティブに加入、バッドフィンガーに在籍した後、1983年にイエスに再加入した。
ポール・ピルニックは後にデフ・スクールやジョー・イーガンと組み、キム・ガードナーはドワイト・トゥイリーらとセッション・ベーシストとして活動を続けた。
(マーク・ブレナン)
日本盤LPのラーナーノーツは、大森庸雄(つねお)さんが執筆されました。
■ジョン・アンダーソンのプロデュースにロジャー・ディーンのアートワーク、イエス公演の前座に出演してアルバムが製作されたことを考えると、トニー・ケイはピーター・バンクスとは異なりイエス脱退後もバンドと良好な関係を保っていたことが伺えます。
ロジャー・ディーンはファイン・プリントを販売するために、オリジナルを見直して描き直したそうです。
https://www.rogerdean.com/product-page/badger
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