■ アーティストの後悔:イエスが『ユニオン』について(殆ど)良いことを言わない理由



ピクチャーディスクが綺麗な2003年盤紙ジャケ


2024年2月12日

By Al Melchior(American Songwriter)


多くの60年代、70年代のロックバンドがそうであったように、1980年代にイエスも新しいサウンドを手に入れ、さらに高い人気を獲得した。

エアロスミス、ジェネシス、ハートのようなバンドのファンが分裂したのと同じように、リスナーも賛否両論を巻き起こした。あなたは70年代ヴァージョンのファン?それとも80年代の方が好きですか?


「90125」ヴァージョン、或いは「Yes-West」としても知られている80年代バージョンのイエスは、1987年のアルバム『ビッグ・ジェネレイター』制作中に勢いを失い始めた。

その後、フロントマンのジョン・アンダーソンを失い、由緒あるプログレッシヴ・ロックバンドはついに終わりを告げるかのように見えた。

しかし、イエスは90年代初頭に、過去20年間のラインナップをブレンドして再登場。ついに、誰もが満足するイエスが誕生した。


ハイブリッドのイエスからリリースされた唯一の作品『ユニオン』は、ほとんど誰も喜ばなかった。おそらく、バンドメンバー自身以上に『ユニオン』を批判した者はいなかっただろう。

ここでは、『ユニオン』がどのようにして生まれたのか、そしてなぜ多くの人が『ユニオン』をイエスの低迷期と受け止めたのかを紹介しよう。


ユニオン誕生の経緯

1988年、アンダーソンはイエスを脱退し、70年代初期の代表的なメンバーであるビル・ブルフォード、リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウの3人と合流した。

トレヴァー・ラビン、クリス・スクワイア、トニー・ケイ、そしてアラン・ホワイトを擁するバンドがイエスの名称を残したまま、4人組はアンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウ(またはABWH)と名乗った。

彼らは1989年にセルフタイトルのアルバムをリリースし、『ダイアログ』という続編をレコーディングした。しかし、アリスタレコードは『ダイアログ』のリリースを望まず、コラボレーターを起用して曲を書き直すよう求めた。


一方、イエスはアンダーソンの後任をまだ見つけていなかった。偶然にもアンダーソンはラビンに連絡を取り、ラビンはABWHに自分の曲を貸してくれることになった。これは最終的に、より広範なコラボレーションの話し合いにつながり、アリスタは本格的なパートナーシップの方が両グループにとってより良いものになると判断した。


イエスは合体していなかった

この作品は、アルバム・タイトルから想像されるような2つのバンドが合体したものではない。

それは、両バンドのプロジェクトが1枚のレコード盤でスペースを共有するという妥協の産物だった。アルバム全14曲のうち4曲は「90125イエス」が演奏し、その他の曲はABWHのメンバー全員、または何人かが演奏した。

少なくとも『ユニオン』制作に携わった何人かの意見では、2つのプロジェクトの合体はどちらのグループにとっても有益ではなかった。


統合された作品には膨大な数の参加者が関わっており、主要なプレーヤーのうち2人は相反する目的に向かって働いていた。

『ダイアログ』をプロデュースしていたジョナサン・イライアスは、よりポップなレコードを望んでいたし、『ユニオン』のアソシエイト・プロデューサーを務めたアンダーソンは、最近の2枚のイエス・アルバムの商業的な方向性から離れたかったのだ。


方向性が明確でなかったことに加え、レコーディング・プロセスは時間的なプレッシャーとバンド・メンバー同士の不仲に悩まされた。

イライアスによると、アンダーソンは録音されたパート、特にハウとウェイクマンのパートに不満を抱いていたという。それらのパートを再録音するためにスタジオ・ミュージシャンが採用された。サーガのジム・クライトン、TOTOのスティーヴ・ポーカロ、セッション・ギタリストのジミー・ハーンは、『ユニオン』の最終バージョンに参加したミュージシャン達の一部だ。


バンドの反応

ハウとウェイクマンは、自分たちのパートが一部差し替えられたことに不満を抱いており、『ユニオン』に対しても概して否定的だった。

ハウはロサンゼルス・タイムズ紙にこう語っている。

「何週間も何週間もギターを弾き続けてきたのに、平凡なギタリストのせいでそれが台無しになってしまった。ジョナサン・イライアスがレコードをいじくりまわした」

ウェイクマンが、このアルバムを『オニオン』と呼ぶのは、「聴くたびに泣けてくるからだ」とコメントしたのは有名な話だ。


『ユニオン』に対する不評は、イエスの中でほとんど共通していた。

ブルフォードは「私がレコーディングした中で最悪のアルバム」と言い、ラビンは「アルバムというより失敗したプロジェクト」だと言った。

当初はイエスのアルバムに貢献することに興奮していたポーカロでさえ、厳しい言葉を投げかけた。

YouTubeチャンネル『Rock History Music』のインタビューで彼は、「ジョナサン・イライアスは悪夢だった。プロデューサーと関わった中で最悪の経験だった。(僕の演奏の)多くは使えないと彼は言った」


イライアス側は、素材の不足と、イエスのメンバーを同じ部屋に集めることの難しさと戦わなければならなかったと語っている。

イライアスは2001年のインタビューで、「私はこの曲から生まれたコードやメロディーのいくつかを特に誇りに思っているわけではない」と説明している。


数少ない明るい話題

ユニオンは否定的な意見も多かったが、アルバムには支持者もいた。

ビルボード200で7位を記録。リード・シングルの「リフト・ミー・アップ」はビルボードのメインストリーム・ロック・チャートで首位を獲得し、ホット100では86位を記録した。

「セイヴィング・マイ・ハート」(9位)と 「アイ・ウッド・ハヴ・ウェイティッド・フォーレヴァー」(49位)は「リフト・ミー・アップ」とともにメインストリーム・ロック・ランキングにランクインした。


『ユニオン』はほとんど否定的な評価を受けたが、オールミュージックのブルース・エダーは、(5つ星のうち)2つ星半という、より公平な評価をしている。

エダーは、「素材はそれなりにしっかりしており、普通の状況下であれば、このアルバムは特別ではないにせよ、上出来と見なされただろう」と書いている。

『ユニオン』はバラつきがあるが、「アイ・ウッド・ハヴ・ウェイテッド・フォーレヴァー」、「リフト・ミーアップ」、「ミラクル・オブ・ライフ」、「サイレント・トーキング」、そしてグラミー賞にノミネートされたハウのアコースティック曲「マスカレード」などは、イエスの過去のアルバムに収録されていてもおかしくない曲ばかりだ。ハウも「ミラクル・オブ・ライフ」は「とてもいい曲」だと認めている。


イエスは『ユニオン』の制作を二度と取り戻せない時間として振り返るかもしれない。

少なくともこのアルバムを聴いた体験については、イエス自身のコメントと同じことは言えないだろう。


出典:

https://americansongwriter.com/artists-remorse-why-yes-has-almost-nothing-good-to-say-about-union/



■ジョンとジョナサンは「方向性が違った」のではなくて「共犯だった」と理解しています。

イエスが8人になってアルバムを出すことを知って驚愕しましたが、実際に出たアルバムでは8人が一緒に演奏していなかったのでがっかりしました。その後イエス・メンバーの演奏が差し替えられたことを知ってさらに驚きました。


しかし、アルバムとしてまとまりがないとしても、「ショック・トゥ・ザ・システム」のような好きな曲もいくつかあります。

そして8人が一緒にステージに上がった「ユニオン・ツアー」のライヴは最高でした。

興奮して鼻血が出そうになりましたよ(笑)


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