プログマガジンの『90125』の記事を書いたStephen Lambreさんはイエスの本『Decades : Yes In The 1980s』の著者です。
この本は『90125』だけの本ではないので、関連する記述はわずか10ページなのですが、その中で雑誌には書かれなかった話がいくつかあったので紹介します。
①ジョン・アンダーソン抜きの『90125』
ジョン・アンダーソン抜きの『90125』、つまりシネマの『90125』フルバージョン完成版が存在するようです。
このヴァージョンは1983年の春にレコード会社(つまりアトランティック)に送られました。
②ジョンが車でテープを聴いた理由
クリス・スクワイアは、ヴァンゲリスとの3枚目のアルバムをレコーディングするために英国に戻っていたアンダーソンに音源を聞かせるためにジョンが借りていた家へ車で行きました。
ところがアンダーソンの妻(前妻)ジェニファーはスクワイアを家に入れなかったそうです。
スクワイアの妻に昔から恨みがあって、妻同士仲が悪かったとか。
それでジョンはクリスの車の中で後に『90125』となるシネマ版の完成テープを聴きました。
③ジョンのクレジット
ジョンは後から参加したにも関わらず、アルバム『90125』の9曲のうち7曲にクレジットがあります。
ラビンは次のように説明しています。
「ジョンはそれらのクレジットをすべて獲得したんだ。彼は曲の中でいくつかのことを変えたけど、そのやり方はいつもとても繊細だった。
ジョンはあるナンバーの歌詞を、彼の歌い方に合うように調整してくれた。彼には自分の足跡を残す時間がほとんどなかったが、彼がアルバムにふりかけたインスピレーションに満ちた妖精の粉が、それなりの努力をかなり良いものにしたことは明らかだ」
大人ですね。
④エディー・ジョブソン
エディは、正式メンバーとして加入することに同意した後、ラビンとともにアルバムのマスタリングに立ち会いました。
またリハーサル・ルームに集まって、あまり知らなかった「ラウンドアバウト」のキーボード・パートをその場で学んだそうです。
アメリカに戻り、ワールド・ツアーまであと2、3ヶ月しかなかったので数週間は誰とも連絡を取らず、自宅のスタジオでイエスの全楽曲を学びました。するととある人物から電話がかかってきて、話し合いも協議もなく、脱退することが決定事項だったそうです。
エディは「イエスは、ブライアン・レーン、スティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマンとの争いを解決するために、3人のオリジナル・メンバーを必要としていた」と語っています。
「イエス」名義の使用にケイが必要だったようですね。バンド名をイエスにしたのでジョブソンが脱退した(脱退しなければならなかった)というのが真相のようです。
⑤トニー・ケイの復帰
アルバムがリリースされたわずか数日後、ケイはバンドに復帰したようです。
⑥スティーヴ・ハウのコメント
ハウは新しいイエスについてイエス・クラシック・アーティスツのDVDで『90125』を初めて聴いた時の感想をこう語っています。
「『ロンリー・ハート』を聴いて、イエスは本当に変わったなと思った。ギタリストが変わり、グループ全体が変わった。
こんなことになるなんて。ギタリストが変わっても同じグループになると思っていた。
ある意味、エイジアのようだった。エイジアに自分がいながらにしてイエスも存在する、これは私にとって新しいことだった」
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