記録。
あらゆることが二元論で分断されがちな世界に対して、時々すごく窮屈だなあと思う。
言葉というものの生みの親である人間が、その言葉に飼い踊らされているようで。
幼少の頃から、本来、グラデーションのように限りなく広がってカラフルで綺麗な世界であるはずなのに、極力少ない色で塗り分けようとする社会に何とも言えない不快感や違和感を抱いてきた。
言葉は、伝える為に世界のほんの一部を切り取っているだけで、その内実を全て表すことなんてできないのに、どうして皆その全てを分かったように話せるのだろう。
「大人」だから経験豊富で、「子供」だから未熟で無知だという固定観念。「男」だから男らしく、「女」だから女らしくっていうトートロジー。皆が言う「普通」「マトモ」「安定」。そういう表現に出会う度に疑問を抱いてきた。
少なくとも自分の関わってきた人の中には、
いい歳をしても子供よりマナーを守れない人もいれば、子供に対して愛情を抱かない親だっていて、女から男として新しい人生を歩む友達もいて、就職をしていなくたって人間として尊敬すべき生き方をしている人だっている。
それなのに、世の中でどうしてそういう表現が当たり前のように多く使われているんだろう…。
勿論、ニュアンスや表現、伝達する上での利便性に関しては理解できるから、
自分がそういった表現を素直に受け入れられないことや、そこにうまくはまることができないとわかることに対しての苦しみが膨らんでいっただけなのだけれど。
そんな風にもし自分が思うままに、自分がしたいままにしてそれがいわゆる「普通」や「マトモ」から外れていることなら、
自分は世の中に「異常」だらけな人間だと認識されるのだろうか。若しくはものすごく「ワガママ」で手のつけられない人間だと受け取られるのだろうか。
物心が着いて以来そんな風に不安を覚える機会が増えて、誤魔化すことが得意になっていった。自ずと、合わせることが得意になっていった。
批判されて、後悔と自己嫌悪に苛まれることを強いられるより、その方が苦ではなかったからだ。
無論、弱さゆえにそういった逃げに走る自分のことなんて少しも好きになれなかったけれど。
とにかく、そうやって一歩引いてものごとを捉えるようになってしまった自分の日常の中で、
「親が離婚しているからこの人は『不幸』なのだ」とか、「お金があるからあの人は『幸せ』だ」と決めつけるような存在が同世代にも多くあることも知っていき、
自分の諸々の悩みを人に打ち明けることも意味がないと諦めるようになった。
環境、嗜好、考え方。
中途半端に恐らく「普通」ではない要素を持ち合わせた自分の存在に幾度となく嫌気がさした。その「普通」という表現に支配され、うまく動くことのできない臆病な自分が許せなかった。
「やりたいことは何か?」「好きなものは何か?」「将来をどう考えているか?」
その答えに「正解」なんてないはずなのに、
理解してほしいと期待をかけ、本心から答えればそれが「不正解」のように遇らわれる始末にも、何度も悔しく苦い思いをさせられてきた。
気づけば、自分の好きなものに対する自信さえ失っていた。
もっと絶望的な運命を背負っていたならば、無理にでも自分を正当化して、胸を張って自信に満ちて生きることも容易だったのだろうか。そんな風にも考えた。なにもかも中途半端で弱い自分が本当に嫌だった。
少し脱線するけれど、そういう苦しさに押し潰されそうになった時、漫画にハマった時期があった。当たり前だが、漫画の世界では、どんな登場人物でもちゃんと存在できていて、どんな個性を持っていてもちゃんとその世界で受け入れられている。
自分は物語などにあまり感情移入する方ではないけれど、自分の意思に従って、自分の運命を変えていける人間になれたらと願ったこともあった。
そしてそれは、一般的には「進むべきでない、苦しい道」と言われる漫画の世界に道を開いた人だからこそ、描けるキャラクター、ストーリーであって、だからこそ自分の感情を動しているのだと気づいた。
確かに、昔よりは「多様性」が謳われる社会になったのだとは思う。働き方だって、家族の在り方だって事実として本当に増えているのだと思う。
メディアで度々取り上げられている事柄で考えるなら、セクシャリティの面おいては、ここ数年で「LGBT」という言葉が一気に世間に浸透し、同性婚が認められ始めたように。
「そういう人達がいる」という認識から入らなければ、理解が始まらないことも間違いないと思う。その意味では、言葉の浸透というのはとても大きな進歩なのかもしれない。
ただ、ある事柄に対して、言葉が生まれ先走って伝播していくことの危険性をいつも考えてしまう。言葉というのはいつでも人々の頭の中でしっかりとした「型」を作りすぎてしまうから。
それを得て全て理解したような気になってしまうことや、そこから個人的な感情で正誤判断を下したり、上下関係を構築してしまうことに対して、自分は恐ろしささえ感じる。
言葉は、人の中に強固な「型」として存在するようになる。知った気になって、それが肩書きのように「あの人は○○なのだ」と簡単に片付けられるように作用してしまう。
そして、それが経験したことのない出来事だったり、自分の中にない概念を表したりするものだった場合、本質を知らずして、自分との違いを理由とした空虚な感情が付いて表れる。「大変そう」「可哀想」「羨ましい」「ずるい」「キモい」。
丁度、先の離婚してると「不幸」、金持ちだから「幸せ」という例も同じだ。
そうやって、見えないところで、自分の中にある「型」の中に他人を押し込めて評価する行為は、実は余りに残忍なことだと思う。自分も含めて多くの人はそれを無意識のうちに行ってしまっているし、避けられない部分も間違いなくあると思うけれど。
もしかしたら自分の立ち位置に、誰より苦しんで生きているかも知れないのに。
もしかしたらもっと適切な説明ができるかもしれないのに。
もしかしたら全くそうではなくて単なる誤解かも知れないのに。
中途半端に「型」が存在しているだけで、他の可能性を見ようとすることを怠ってしまい易くなる。
だからいつまでたっても無意味に人を傷つけるだけの差別やいじめがなくならないのだろう。
自分の周りに、「優しい」と形容すべき人は沢山いる。でも当然、その「優しさ」の質や度合いが全て違うように、本来この世界における物事は本当は1つの型には嵌れないことや1つの定義では説明しきれないことで溢れているはずである。
勿論、言葉が無ければ人間関係は成り立たないし、コミュニケーションの手段として必須であることは言うまでもないけれど、
普段の生活から顧みたり想像したりして、言葉というものが少なからずそういった危険性を持ち合わせているということを、もっと多くの人が認識できるようになればより穏やかな世界になっていくような気がする。
実現性は低いかもしれないが、本当の意味で「多様性」を認めることができる社会になったなら、どんなに居心地が良いのだろう。そんな社会であれば、自分、更には他の人の魅力をより良い形で引き出し発揮できるようになるのに。そう思いながら多くの時間を過ごしてきた。
ハッキリとしたレッテルを貼らなくたって、「普通じゃない」「間違っている」「変わっている」と簡単に人を判断できること、それを人に言えること自体、まだまだ世界が二元的な言葉や思想に支配されている故なのだと思う。そしてその事実にあまり気づけていない証拠だとも思う。
「赤」のを見ても、「青」のを見ても、「エメラルドグリーン」のを見たって、人々はそれを「色鉛筆」であると素直に受け入れられるのに、
人は人の在り方に関わることとなると、途端に「赤」と「朱」程の差にも敏感になろうとする。
短絡的に「赤」が「正解」で「朱」は「間違い」だと言ったりする。
空は何色なんだろう。虹は本当に「7色」なのか。この人は本当に「笑顔」なのか。あの人はどういうことを伝えたくてこの言葉を言ったんだろう。
実体験を通じて、そういうことを考えてみることは、とても大事だと思う。自ら「実は1色でも2色でもないかも知れない」と見直すことも、「こんな色もあったのか」と知ることもすごく大事だと思う。
ちなみに虹が「7色」だというのは、世界共通ではない。「8色」というところもあれば「2色」という国もあるらしい。要するに、何処を何色と切り取るかは、その文化(言語)、延いてはその人次第な訳である。
もし自分がそれを知らないまま、アフリカの異国で「虹は7色に決まってる!」と言ったら、やはり「変わり者」だと扱われてしまうのだろう。
極例かもしれないけれど、世の中は意外とそんな脆い言葉と常識が溢れているなあと思う。そしてそれによってあらゆるコミュニティの中で、誰かを傷つけたり、誰かが傷ついたり、誰かと立場が逆転したりしてしまったり、といったことが頻繁に起きているのだと思う。
今までの自分は、そういう世界の中で自分をどこに身を置いたらいいかわからずにずっと苦しんでいた。けれど、そういうことを長い時間かけ考えて整理した上で、
やはりそれならば自分は、ただ虹の美しさや綺麗さを眺めて味わえる存在でありたいと思えた。
「色の数なんて幾つでもいいよ。それよりさ、本当に綺麗だね。」って。しっかり言える人になりたい。
仮に、他の人の見方を知り一旦取り入れたとしても、それを全て鵜呑みにすることをせず、自分の中で噛み砕いて、常に自分の価値観で世界を捉えていたいと考えられるようになった。
それに、そこに正解、不正解を判断することに価値を見出す人間には絶対にならないでいたいと思った。
例えそう在ることで、自分が批判されるようなことがあったとしても。
そして、そう在ることでこの先誰かの救いであれたなら、過去の自分を報いることさえできるような気がした。